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2009年3月30日 (月)

徳川慶昌(メモ)

■徳川慶昌(とくがわ・よしまさ)
1825.5.1(文政8年3月14日)~1838.7.5(天保9年5月14日)

・12代将軍・家慶公の五男坊。
・幼名は「初之丞」。
・天保8年に一橋斉位(なりくら)さんの末期養子に迎えられ(斉位さんは20歳で亡くなる)、同年6月6日に一橋家当主に。
・で、その後1年足らずで亡くなっている。
・後に一橋家を継いだ慶喜さんとよく似た風貌の若君だったらしい。

>>家慶公の話
ニックネーム(?)は「そうせい様」。家臣や大名から何を言われても「そうせい!」としか答えなかったから。そう書くと如何にも馬鹿っぽいが、大御所の家斉公の存命中は実権がなかったから、そんなふうに返事をするより仕方がなかった・・・というのが真実らしい。
子供は全部で27人。しかし殆どが早死してしまい、元服まで「生き残った」男子は僅か2人。四男坊の家定公(13代将軍)と、この慶昌公だ。しかも、その家定公は何らかの障害を持っていたと言われ、慶昌公も数えで14歳で亡くなっている。

>>慶昌公の御学友
文政12年頃、祖父の家斉公が5歳の初之丞さまに御学友をつけてくれた話が残っている。たまたま或る大奥の女性がお庭見学に親戚の少年を連れてきていたのだが、そいつがワンパクで度胸の据わった妙な子供だったそうで、家斉公はちょっと見ると少女のような風貌のその子がすっかり気に入ってしまったのだという。
慶昌公は夭逝してしまったため、バタバタと亡くなっていった家定公の兄弟のひとりというくらいでしか名前が残っていないけれど、彼の御学友だった(んで、一橋家の家臣として召し抱えられる予定だった)2歳年上の貧乏旗本の名前はしっかり残ってしまっている。

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・・・大河ドラマ「天地人」を見ていた自分、

「こんな下克上の時代にさ、主君にとっては子飼いの家臣って本当に大事だと思うけど、お仕えする側としては主君が早死にしたら行き場がなくなって、どうしようもなくなるんじゃないかね。結構リスクが大きくないかな。」

と一緒に見てた母に話を振ってみた。母は暫く考えて、徐に口を開いた。

「・・・そうなったら、お江戸の町とお城が燃えないように、頑張るしかなくない?」

こりゃあ天保9年の可哀想な「麟太郎くん」の話だ。
めちゃくちゃ話が飛躍してるけど、確かに「子飼い」だわ、ということで以前メモった慶昌公と、お父さんの家慶公に関する走り書きの内容をブログに上げておきたくなった。

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