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2009年3月29日 (日)

星亮一「偽りの明治維新」(だいわ文庫)

何を「偽り」と呼ぶか。
立ち読みだけど、一通り読んだ。確認したいのは、作者の星先生が「偽り」としたいのは、一体何なのか、という点だ。確かに教科書の明治維新なんて眉唾だとは思う。国家構想のないクーデターではなかったか?という疑問符を共有し、薩長側、しかも倒幕派中心の歴史には「ノー」と言いたいという点に置いては、私と星先生は似たスタンスなのかもしれないが、・・・でも星先生、あなたの維新史観も「偽り」臭くねえかい、と思ってしまったわけである。
まぁ、先生が長州と某恭順派幕臣が嫌いだってことは分かったよ。自分の賛美したいものを賛美するために、そうでないものを貶(けな)したりするのは良くない了見だ。そして、そういう手法があちこちに顔を出すのは、歴史本としては特に宜しくない。

史実の解釈よりも
「原爆」の話と絡めていたあたりのことについては、ちゃんと読んでいないのに感想を述べるのは憚られることだと思うから止めておく。まぁ、本書的には最も核心的な部分であるのかも知れないけれどねえ。
・・・てなわけで、別の話をしておこう。あのぅ、星センセ。某幕臣については「口ではかっこいいことを言っていても、どうせ下級武士の僻み根性丸出しなのである」という解釈で宜しいか。人間なんて、どうせそんな詰まらないものに決まっている、まして某幕臣はお育ちの悪い下級武士である、頭のいいエリート官僚を僻んでいて何の不思議があろうか、と。立ち読み程度の読み方+自称某幕臣の弟子(笑)の目という色眼鏡で読んでいるせいもあろうかとは思うけど、どうもそんなふうに読めてしまうのだ^^; そして、本書の「会津礼讃」っぷりと併せて読むと、何だか一種の選民思想の香りが漂っているような印象さえ受けてしまうのである。
尤も史実の解釈なんてものは時代によっても変われば、解釈する人の立場や趣向によっても変わってくるものではあるのだが、それにしても本書には、歴史を扱う者が最低限求められるであろう先人たちへのリスペクトが大幅に欠けているように思える。(勿論、薩長の連中に対しても、それは十分に払われるべきである。)そのせいか歴史という人間ドラマを描く物書きとしての温かな目が一向に感じられないのである。
解釈が素人っぽいとか、某幕臣を馬鹿にするなとか、そんなことはこの際どうでもいい。本書は作者の歴史に向き合う姿勢という点において非常に満足のいかない代物だと私は思ったわけである。

ちきしょー、何か損した気分だ。
歴史の本だと思って読んだら、違うじゃねえか。
こういうときに思い出す諺=「時は金なり」。

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