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2009年4月12日 (日)

吉橋通夫「凜九郎①」(講談社YA!ENTERTAINMENT)

時代物を読みたかった
いつのことだったか、兎に角もうかなり前のことだ。
本屋の児童書コーナーの前を通りかかったとき、平積みになっている一冊の本が目にとまった。表紙はガタイが大きく目元の涼しげな少年剣士と思しきイラスト。大矢正和さんの水彩画だ!と見た瞬間分かる暈かしの綺麗な人物画である。大矢先生のイラスト入りだぞ。それだけでも読む価値アリなのに、チラッと本の帯の表を見ると、幕末剣士モノと判明。しかも新撰組とかじゃなさそうだ。手にとって読もうと思ったが、あまり時間もないし、週末で店内は子供が多く、彼らと並んで立ち読みをする気にもなれず、その場を立ち去り、それっきり。
で、去年以来の脳内幕末維新ブームである。何となく時代物を読んでみたい気分だったが、実は時代物は苦手なのだ。何か読みやすい物はないかねえ、と思ったとき、例の幕末少年剣士モノのことを思い出した。
ある日、チラッと本屋を覗いたら、発見。おっと、これって児童文学で賞も獲ってらっしゃる吉橋通夫先生の本だったんだね。

帯の後ろを見ると、ちゃんとストーリーが書いてあった。(括弧内は私の心の声。)
「凜九郎は15歳。(そうかやっぱり少年剣士だ!)八木道場の内弟子だったが師範代とのトラブルから破門になり、気が進まぬまま英国大使の用心棒の仕事を始めることになる。 (ほう、人斬りは嫌かい?)そのおり出会った勝麟太郎(何だとッ!!?)・・・」

はぁ・・・勝麟太郎って、あの勝麟太郎かいな。(←そんな名前のヤツが他にいてたまるか。)

てなわけで、第①巻は即買いです(爆)。

混沌の時代を生きる少年少女への讃歌・・・的な?
主人公・凜九郎はおっとりとした少年剣士である。事情があって天下の素浪人となってしまったが、剣の才能は天賦のそれと呼ぶに相応しいものを持っている。だが、人斬り稼業は「間尺に合わない」と真っ平御免、剣の道は好きだが真剣は恐ろしいと思っている。時は幕末、文久年間。凛九郎ほどの腕があれば用心棒として引く手数多な筈である。併し、少年は悩むのだ。「どう生きるべきか」と。

小説の中には6人の少年少女が登場する。まず、主人公の凜九郎に、彼の親友で大身旗本の息子、しんぺえ。幼なじみのおゆきちゃんに、八木道場の娘、志穂さま。何れも凛九郎よりお姉さんだ。シーボルト博士の息子、アレク。彼は実在の人物だ。そして、馬丁の娘、さくら。彼女はまだ8つ。
友情とは何か、大人になるとはどういうことなのか、「生きる」とは何か、それぞれが迷い、決断し、懸命に生き抜こうとしている。それぞれが事情を抱え、それと折り合いを付けながら乱世を生きていくのである。日々成長する少年少女たちが何とも眩しい。そして彼らを見守りつつ、やはり厳しい現実と折り合いを付けながら生きている大人たちもまた愛おしい。それぞれのキャラクターが鮮やかに描き分けられているからこそ、そう思えるのだろうが、そこもまた本書の魅力であろう。

物語は凜九郎の父に纏わる謎解きを軸に進んでいく。実在の人物が何人も絡んだりして、これはこれで充分楽しめるのだが、本書のテーマはおそらく別のところにあるだろう。謎が亡き父の生き方に関わるものであるという点がポイントかね。これは父という自身のルーツを巡る「自分探しの旅」なんだ。

そんなわけで、「生き抜くこと」「アイデンティティの確立」ね、これがこの作品のテーマであると見た。まだ①巻を読んだだけだけど、見当違いでもなかろう。


父性を担う人々
本書には主人公を導く力強い「父性」を担う人物が3人登場する。

一人は当然ながら実父の隆太郎。主人公の生きる指針であり、手本であり、ルーツである。彼は天災で母と共に命を落としたが、まだ小さかった凜九郎の元には大刀が形見として残された。この大刀、今後の物語の進行の上でも剣士でもあった父を象徴する存在であり、主人公の心の拠り所となる存在として重要になってくるのではないかと私は勝手に思っている。

二人目は八木道場の道場主、八木先生。凜九郎の才能を見出し、育ててくれた人である。剣の道をどう生かすかだけでなく、人を生かすための剣の道をも示唆してくれた人だ。凛九郎は、この人の死をも経験する。この人の死を背負い、乗り越えていくことで、自分の足で歩いていく覚悟をより確固たるものにしていったのだ、ということじゃないかねえ。

三人目は誰あろう、実在の人物・勝麟太郎だ。吉橋先生は実に見事な人選をして下さったものよ、と感心する。何しろこの人、直心影流の達人でありながら殺生を嫌い、あの物騒な時代に刀を紙縒で縛って容易に抜けないようにしていたという、べらぼうな御仁だ。人を斬りたくない天才剣士・凜九郎の「理解者」としては適任じゃないだろうか。また、若者の視野を広げ、未来への可能性を示す大らかな父性、そして郷土と人を愛し、平和を愛する生き方を自然体で示すことの出来る人物という意味でも、この御仁を小説の中に引っ張ってきたのは大正解だったのではないか。若者に親切だったり、江戸の庶民と仲が良かったりするところも人選のポイントだったと見た。幕末を生き延びて19世紀を見届けた人でもあるから、「生き抜く」ことをテーマのひとつとしているであろう本書のコンセプトとも合っているんじゃないかね。

・・・まぁ、個人的にはヤングアダルト向けエンターテインメント時代小説の中で勝先生に会えるとは思っていなかったから、それ自体が相当嬉しいわけである。既に政治家としての視点を身につけてはいるものの政治家と云う肩書きになる前の勝さんを登場させたところが何とも心憎い。「剣客」として扱ってくれたこともまた嬉しい計らいであったし、小さくて、身軽で、口が悪くて、頭の回転が速くて、そしてバカでかいことを考えていると云った、如何にも彼らしい要素を山ほど盛ってあるのだから、読んでいて気分がいい。蕃書調所の仕事が詰まらないから出勤してもすぐにゴロリと横になって昼寝ばかりしていたという怪しからん伝説の通り、肩衣をよれよれにして登場したり等、いちいち手が込んでいる。「ガキ大将が、そのままおとなになったような人」という表現は個人的に大好きである。吉橋先生、ナイスだ。

・・・この勝さん、そのうち凜九郎に向かってこんなふうに語り出したりはしないかね。「なぁ凜九郎さんよ、おめえさんはまだ若えんだ。だからこれからのことは焦らねえでゆっくり決めるがいいや。人は皆自分の信じるところ長ずるところを行へばいゝのさ。社会は大きいから、すべてを包容して毫も不都合はない。」・・・なんか途中から「氷川清話」になってるし(爆)。


余談だが、①巻の最後のほう、凜九郎とさくらの身の振り方について真剣に話をする勝さんは何故か水を張った盥に漬かって胡座をかき、団扇でパタパタと顔に風を送っているのだ。想像して思わず笑ってしまった。小さくて白くて、しかも妙に逞しい勝さんが(おそらくは黒眼勝ちな眼を無闇に光らせながら)褌一丁になって金盥の中にちんまりと収まっている図、相当ハマっている気がするのだが。吉橋先生、やっぱりナイスだ。

豊かな言葉たち
本書の秀逸な点は、やはり言葉の豊かさだろう。若い人が読めるように平易な言葉で書かれてはいるが、少年たちの言葉のやりとりひとつ取っても、実に言葉が豊かである。これは現代物(しかも学園物とか)じゃ到底実現し得ない、時代物ならではの水準だろうと思う。吉橋先生がそれも計算に入れていたとすれば、見事という他はない。実は、ストーリーをさらうだけなら20分ほどで済んでしまったのであるが、文章が平易な癖になかなか味わい深いので、じっくりと読み直したほどである。時間のあるときに続き(②と③)を買ってこよう。今度は始めからじっくり読みたいと思う。

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あー。結局また幕末と勝先生だ・・・。

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