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2009年5月

2009年5月31日 (日)

アシュラ~。

「アシュラ~」って言葉が存在するらしい。興福寺の阿修羅像に萌える人々のことなんですと。
そういうのとはちょっと違うけど阿修羅像は好きなんで、親友と阿修羅見物ツアー(仮)を企てていたのだけど、先週になって漸く実現。

案の定エラく混み合っていて、平日なのに60分待ち。
でも友達が誇大妄想癖のある恐い婆さんの話をしてくれたお陰で1時間くらい別に苦にもならなかった。

建物の中に入ってからもやはり混んでいて、歩いて見学というよりも押し流されて見学という感じだった。せっかく有り難い仏像を見に来たのに、自分が良い位置に陣取りたいがためにヒトを押しのけるエゴ丸出しの人がいるのは戴けない、と思った。


阿修羅タンたち八部衆、十大弟子の皆さん、いずれも1300年も前に作られたとは思えないほど人間くさい。
「脱活乾漆造」という技術のお陰で、軽やかで繊細な表現が可能になったことが大きいんだろうね。眉間の皺や涙袋のぷっくり感まで上手に作られていた。おそらく、この作り方のお陰で焼失を免れたのだろうし。(軽いからきっと坊さんたちが担いで避難できるもの。)

造形的に実に美しいのは勿論なのだけど、しかし何よりも1300年という長い年月を経て、彼らが我々の目の前にいるということ自体が奇跡的なんだと思いながら拝んできた。
1300年の歳月を超えて・・・という表現は、ちと違う。
1300年の歳月を蔵して、そこに存在するのだ。
そう考えると、こんな機会に恵まれたことが実にありがたく思える。

仏像たちを拝んできて思ったのは、自分が実に勉強不足だということ。
あの四天王たちは一体何を持っていらっしゃるんだ?とか、仏像さんたちは皆違った座り方だけど、あれは型が決まってるのか?とか。

後日。
ちょっと勉強しようと思って、ついつい「サライ」なんか買っちまったい。
(一緒に写ってる文庫本については、改めて感想文を書きます。)
200911
代表的な仏像(如来とか明王とか、いろいろ)の特徴の説明がとても詳しくて勉強になる。
印相(インゾウ=手の形で仏様の性格やお仕事がわかる)とか持物(ジモツ=要は持ち物だ。)、座り方、光背(コウハイ)などは、知ってると仏像を見るのが楽しくなりそうだ。
とても覚えられそうもないのが残念でならないんだが(爆)。これじゃ仏像見学の教科書というより、辞書みたいな使い方になりそうだ。

あ、阿弥陀如来を訪ねる特集なんかも興味深かったよ。


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私信:また面白いツアーを企画しようぜぃ。

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2009年5月25日 (月)

H1N1

感染しちゃった人、早く治るといいね。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/swine_flu_outbreak_in_japan/

やっと下火になってきた「インフルエンザ騒動」だけど、ドラッグストアでマスクが入手できない等、まだまだ騒動は続いているらしい。

マスクなんてさ、去年の秋頃から新型の流行に備えて買っておけって騒いでたじゃないか。
花粉の飛散が収まってきた4月下旬頃にはバーゲンしていたぞ。

拙宅にはまだ40枚ほど残っている。

感染した子の通う学校に中傷メールを送ったり暴言電話をかけたりするおバカさんもいた。
感染した子が「ご迷惑おかけして申し訳ない」と謝ってたという話もあった。
生物として繁殖したいだけのウイルスに本当は罪がないように、感染した人にも罪はないよ。
この社会が病気を撲滅する代わりに患者を撲滅するような真似をしたのは一度や二度じゃないのだということを思うと、こんな状況も別段不思議というわけでもないのかもしれん。

だいたい、こんな騒いでるけどさ。
そんなに恐ろしいものなら何故季節性の流行性感冒に対してもっと機敏に反応しないんだ。
乾燥と低温がウイルス繁殖の条件、感染者が人の集まる場所に行くことが流行の条件と解っていて、一般の学校のような鉄筋コンクリートの粗悪な箱物がよくないことも、感染者の体温が平熱に戻ったとしても伝染の可能性があることも解っているのに、誰も騒ぎやしなかったじゃないか。

普段インフルエンザ対策なんてしたこともない人が今更ガタガタやってるのは滑稽だけど、人間ってこういうものなのかもしれないねえ。
幸いにして毒性の弱いウイルスらしいし、これをきっかけに流行性感冒の予防や自宅療養についての知識が普及するといいんだけどな。

今日TVで麻生さんがインフルエンザ対策を語る政府のコマーシャルを見た。
今この人に何を語られても説得力ないよなぁ。「嘘くせえ」と思われるのがオチじゃなかろうか。
麻生さん、最近メディアへの露出も減ってるし、メディア的にも価値が下落してるみたいだし、実はTVに映っておきたかったのかもしれないな、なんて思ったり。

「あのさぁ、麻生さん。自分の相場が下落してるときにガタガタ動かないほうがいいんじゃないのかい。」と、TVに向かって言ってみて気が付いた。
「政治家の相場が下落云々」というのは「氷川清話」のパクリですわ。(爆)

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旧新撰組・結城無二三さんと勝先生 ③

結城無二三さん、第三夜。

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勝先生は結城さんに酒とご馳走2人前、酒の肴2品をどんと振る舞った。
結城さんはあっという間に2膳のご馳走を平らげ、「もういい加減にしねえか」と先生が止めるのも聞かずにヤケクソになって酒を5本ほど飲み倒した。
御礼を言ってさっさと暇乞いをしようとしたら、勝さんは左手で顎を撫でながらニヤニヤしている。
「なあ、結城さんよう、おいらンとこに来たのは金がなくなったからだろ。え。」
図星を指された結城さん、少し酔いが覚めたらしい。
「はぁ・・・然様でございます。実はその用向きにて参上致しましたが只今のお叱りで御無心申すのもイヤになってしまいましたもので。」
と肩を落とす。
先生は「こいつを持ってお行き。」と、いつ用意したのか金子の入った封筒を差し出した。ずっしりと重かった。結城さんは辞退したが、先生が聞き入れる筈もない。つべこべ言わずに戴いて帰ることにした。
先生は結城さんを玄関の外まで送ってくれた。結城さんが一礼して門のほうへ向かおうとすると、先生が呼び止める。
「おい、ちょっと待ちな。」
結城さんが振り返る。先生は自分の足下を指さして言った。
「こっちへおいで。」
結城さん、黙って引き返す。眼光鋭い二重瞼の目が、結城さんを見上げている。
「お前さん、おいらの言った意味が解ったかい。」
「は・・・はい。」
「あのな結城さん、安部が心の裏を行くんだ。解るかえ。」
「はい先生・・・。」
結城さんは戸惑いながらも頷くしかなかった。先生は元剣術家らしい指の長い節くれ立った手で結城さんの肩を叩いた。
「そうかい。解りゃあそれでいいのさ。」
先生はもう何も言わなかった。

酒が適度に回ったからなのか、久々にたらふく食ったからなのか、或いは別の理由によるものなのか、先刻の腹立たしさや情けなさは何時の間にやら消えていた。宿に戻った結城さんが戴いた封筒を開けてみると、そこには二十両ほど入っていた。
「安部さまの心の裏を行けとは・・・いったい俺はどうしたらいいのだろう?」
結城さんは考えた。考えて、考えて、考えているうちに、東の空が明るくなってきた。
「よし、決めた。いっちょやってみるか。」
結城さんは明け六ツの鐘を待って宿を出た。古道具屋を何件か回ってから、単身例の屯集所に向かった。表門の前まで来ると浪人風の男がいた。門番であろうその男に、結城さんは声をかけた。
「自分は沼津勤番組の結城無二三と申す者だが、福井どのと早川どのはおられるか。」
男は訝しげな目で結城さんを睨め回したが、「暫し待たれよ」と言って屋敷の中へ消えた。
暫くして、結城さんは屋敷の中の一室に通された。間もなく福井さんと早川さんが結城さんの前に現れた。久々に近くで見る二人は頬が痩け、着ているものは随分と草臥れて袖口や裾がほつれていた。お互いに侘びしい姿になったな、と結城さんは思った。
「これはこれは結城殿。随分と窶れられたようですな。」
「それは足下らも同じでございましょう。」
罷り間違えば自分が斬り殺されるかもしれない。そう思いながらも、結城さんは正直に事情を話した。ふたりは、いちいち頷きながら話を聞いてくれた。そればかりでなく、早川さんはあっさりと腰に差していた大小を返してくれた。結城さんは「代わりに」と言って先生から戴いた金を使って買った中古の刀を早川さんに渡すと、その日のうちに江戸を後にした。
沼津に帰ると、結城さんは早速安部さんを訪れた。そして早川さんから受け取った刀を差し出し、こう報告した。
「早川は既に死にました故、この刀のみ同氏友人から受け取って参りました。」
「うむ、然様であったか。ご苦労。」
安部さんが至極満足そうな顔をしたのを見て、結城さんは思った。
「そうか。先生は、無闇に争いごとを起こして命を無駄にするな、安部さまの顔をつぶすな、と言いたかったんだな。」

明治3年の暮れ。
勝先生が静岡に戻ったと聞いて、結城さんは直ぐに会いに出掛けた。すると勝さん、今度は穏やかな態度で結城さんを迎えてくれる。
「なぁ、去年のことは解ったかい。」
結城さんは事の顛末をお話しし、あのとき誰の血も流さず事が円満に収まったのは先生のお陰です、と深々と頭を下げた。先生はにっこりと頷いた。
「ちげえねえ。お前さんの命はおいらがくれてやったようなもんさ。あのとき無闇なことをやらかしてみろ。お前さんの身体は今頃土の下で腐っちまってたろうよ。」

* * *

以上、旧新撰組(仮)結城無二三さんの思い出話でした。
「・・・然様、先生のおっしゃった通りです。私の命はあのときに先生に戴いたようなものでしてね。」
結城さんは耶蘇教徒となった後々までそう語っていたそうです。

で、余談。
新撰組、ここでは随分とボロクソな言われようですが、勝先生は隊士たちにお小遣いをあげたり、いろいろと面倒をみてやったりしていたそうです。それに安部正人さん(若干眉唾かもしれんけど。笑)によると、旧幕軍の武闘派連中に関しては、明治の時事談話の中でこんなことも言っているようなんだ。
「志の殊勝にして精神の確固たる点に至っては、中々幕軍と雖も立派なもの」。
また戊申の役の際に命を捨てて戦った連中は如何にも頑迷だが骨のある連中だ、自ら行動した点は立派であるとも言っているそうです。それに対して何十年も経ってから、自分が関わりもしなかった癖に勝麟は腰抜けだの言っている連中については鼻で笑って放置である。
バカだろうが腰抜けだろうが、自分の頭で考え行動した者の言動だから重みがある。舌先三寸の輩なんざ打っちゃっておけば足りる。敗者だろうが勝者だろうが、幕軍だろうが西軍だろうが、政府の高官だろうが在野の実力者だろうが、それは同じである。勝さんは、そう思っていたんじゃないでしょうかね。

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2009年5月24日 (日)

旧新撰組・結城無二三さんと勝先生 ②

続きです。
書いててワケが解らなくなってきたけど、妄想半分で続行。
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お屋敷の居間に通された結城さんを待っていたのは、色の白い、ぱっちりとした顔立ちの、何処となく飄々とした雰囲気の男だった。意外なほどに小柄である。しかしながら如何にも気の短そうな短く濃い眉といい、炯々と人を射抜く黒瞳勝ちな双眸といい、やはり只者とは思えぬ。うむ、この御仁が音に聞こえし奇傑「勝麟」か。あの慶喜さまですら楽々と説き伏せられてしまうという恐ろしい雄弁家と聞いているが、なるほど確かによく喋りそうな唇である。
結城さん、早速名刺を差し出して初対面のご挨拶をしようとしたら、勝さんは開口一番冷ややかに言い放った。
「何しに来たぃ。」
出鼻をくじかれて結城さんは呆然とした。だがこの雄弁家の舌がそんな結城さんなんかに構っていようはずがない。勝さん、一気に捲し立てる。
「静岡藩はな、公用人の許しがねえと出府するこたぁならねえ筈だ。おめえは許しを受けて来たのかい。おいらはまだそんな通知ァ受け取らねえよ。それに何でぇ、おめえの名札にゃァ『旧新撰組』なんて書いてあるじゃねえか。ぜんたい近藤だの土方だのってえ大馬鹿者が、ワイワイ騒ぎ散らしたから徳川(とくせん)家はとんだ迷惑をしたんだい。時機も大勢も何も解らねえ癖に無闇に騒いでよ、それに雷同しやがるおめえのような連中までいるから困るんだい。
こっとら御家のために色々骨を折って働いてぇるのに、おめえたちァどうだえ、奸物だの不忠だの三百年来の御厚恩を知らぬ大悪人だのと太平楽をぬかしゃァがって、おいらを殺そうとするじゃねえか。尋常に刀を抜いてくりゃあ、こっちも昔の勝麟太郎に戻って五人や十人スッパリと斬ってやるってえのに、鉄砲で闇討ちしょうとしゃあがるような卑怯なヤツばッかりでよう。そんな卑怯な玉で何でおいらが死ぬもんか。おいらが死んでみろ。御家じゃァよッぽど御困難なことだったろうよ。
ああいう連中を慷慨家とか何とか言うそうなが、知恵がなくって、オマケに臆病と来らあ。始末に負えねえったら、ありゃしねえや。どうせおめえなんぞも大馬鹿者の手へ附いて騒いでたクチだァ、今またどんな馬鹿をやらかすか知れたもんじゃねえ。とっとと沼津へ帰ぇりな。それとも何か用があるかえ。」
よくもまぁ、こう次から次へと悪口が飛び出てくるものだ。しかも超一流の早口である。結城さん、少々気押されそうになったが、何とか気を取り直して徐に口を開いた。
「然様、わたくし今回の出府は私事に似て私事では御座りませぬ。」
そして、実は安部氏より斯く斯くの内命で早川・福井の首を取るために参ったので御座ります、とやらかした。
勝さんは黙って聞いていた。が、やがて憐憫とも冷笑ともつかぬ表情になって結城さんをじいっと見つめる。
「・・・それ見ろアホウだ。」
大馬鹿者の手下どころか、今度は阿呆呼ばわりである。結城さんも少々腹が立ってきた。が、勝さんはお構いなしだ。如何にも皮肉屋らしい表情を浮かべ、こう続ける。
「首を取ってこいってぇのはよ、そりゃあ表向きのことじゃァねえのかい。安部にゃァ首を取らせようなんて心は毛頭ねえぜ。そんなことも解らねえのかなあ。そいだからおめえはアホウなんさ。江戸にはな、町々を巡邏している兵隊がわんさといるんだ、縦し早川の首をとったところが、おめえも直ちにお召取だぜ。そうなりゃおめえ、差詰め迷惑するのはこの俺だ。おめえの命なんざ安っぽいから、なくなろうとどうなろうと困らねえが、俺が困らぁ、いやサ俺ばかりじゃねえ。徳川家がご迷惑だ。そんぐれえのことが解らねえから馬鹿だってぇんだい。おめえのようなベラサクが江戸表に用があっちゃあ堪らねえや。いいから早えとこ沼津へお帰りよ。」
何だか情けなくなってきた。この人に金を無心しに来たのがそもそもの間違いだったのかもしれぬ。他に宛があるという訳ではなかったが、ここにいても仕方がない。
「・・・然らばわたくしは、これにて御免被ります。」
血気の結城さん、決然と席を立とうとする。勝さんの目がチカッと異様な光を放つ。
「帰ぇるならおめえ、飯でも食っていきゃァがれ。」
一体何を考えているのだろう、この先生は。俺を阿呆呼ばわりしておいて、今度は飯を食ってゆけとは。それにどうせ飯といっても大したものが出てくるわけもなかろう。書生に出してやるような詰まらぬものに決まっている。
「いいえ先生、わたくし窮してはおりまするが未だ中食の代(ちゅうじきのしろ)くらいは御座りまする故・・・」
「ってやんでえ、俺が食ってゆけってぇったら、食ってゆけやい。」
そこまで言うなら仕方ない。でも本当は結城さん、腹が立っている以上に腹が減っていた。
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次回で完結・・・の予定。
勢いで書き始めてみたものの、文才がないんで難しい(汗)。
江戸弁っぽい言い回し(「おれところの・・」みたいな言い方するし、難しいんだよね)を考えてたらコッチも口調がおかしくなってきたんで、今日はここまで。

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2009年5月23日 (土)

旧新撰組・結城無二三さんと勝先生 ①

結城 無二三(ゆうき むにぞう)さん
弘化2年4月17日(1845年5月22日) - 明治45年(1912年)5月17日。
旧新撰組の隊士と言われている人。日本メソジスト教会の牧師・伝道師として後半生を耶蘇教に捧げた人で、日本のキリスト教史においては外せない人でもある。
無二三って随分変わった名前を名乗っているが、「俺ほどの人間は二人三人といるわけがない」という意味なんだそうだ。一種の豪傑だったんだろうねえ。
なお、旧新撰組の隊士だというのは「自称」かもしれないそうです。彼の名前は資料で確認できないんだって。

この御仁、太陽暦だと5月22日生まれってことで、ホントは昨日のうちに書いておきたかったのだけど、眠くて眠くて寝てしまった。(つーか、最近ずっと眠い。)
今回書くのは新撰組ファンからも憎まれている(!)勝海舟との逸話。「元新撰組隊士を討てと命じられて明治2年の江戸に潜伏するも金がなくなり、ちょうど紀州屋敷にいた勝さんを訪ねたところ・・・」という、別にどうってことない話である。当方文才はゼロだが、面白半分に書いてみることにするんで、お暇な方はお付き合い下さい(爆)。

結城さんは「自称」隊士だったかもしれないけど、本物の新撰組隊士だった南一郎さん(この話の中にも名前が出てくる)とは親友だったみたいだよ。

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沼津勤番組・結城無二三さんは旧新撰組隊士である。勤番組のメンバーには結城さんのほかにも函館戦争の生き残りである旧新撰組隊士がいた。南一郎さんや石川武雄さん、他には早川さん、福井さんなどがそういった連中だ。この4人は前年まで盛岡藩で謹慎処分を受けていた。漸く放免になったとき、早川さんは大小を取り上げられて丸腰だった。徳川家の重立取扱という立場にあった安部邦之助さんは、彼らを勤番組に入れてやる際、早川さんのために組長から刀を借りてきてやった。ところがある日、この早川さんと福井さんが突然姿をくらましてしまう。 
 
ふたりは沼津を出て江戸に逃亡したらしい。なんでも徳川家の禄制に不満だったというのが、その理由のようだ。安部さんは怒り心頭。早川さんがせっかく借りてきてやった大小を持ったまま逃げてしまったものだから、怒りは余計に治まらない。そこで安部さんは結城さんと南さん、石川さんの旧隊士3人を内密に呼び出した。
「・・・あの恩知らずどもを不忠の輩ゆえに召し捕って重く罰したいと言いたいところだが、表沙汰にするのも障りがあろう。足下らが江戸に行って両名の首をとって参れ。早川の腰のものは組長からの借り物だから持ち帰ってこい。」
その日の午後、3人は大急ぎで旅支度を整え、ひっそりと江戸に向かった。 
 
当時は諸国の武士が出府する際は藩主から許可証を頂戴し、江戸に着いたら宿主を経由してそれを町役場に提出するというルールがあった。だが、密命を帯びて江戸へやってきた彼らに、そんな許可証などあろうはずもない。したがって、まともな宿をとることさえできない。江戸に着いた3人は、仕方なしに結城さんの知人の家に転がり込んだ。
 
 
明治の御代になっても、やはり江戸は広い。その広いお江戸でたった2名の浪士を見つけ出すなんて、ちょっと考えただけでも気が遠くなりそうなものだ。だが、彼らはバカ正直にも両名の出入りしそうなところを探って歩いた。
そうして数週間が経過した頃、本所あたりで六千石を拝領していた旗本のひとりが盛んに浪士を募集しているという話を聞きつける。
「これは」と思って探りを入れてみると、案の定、例のふたりもメンバーに加わっている。
その場で討ち入ろうとも思ったが、警備が厳重で、ガラの悪い腕の立ちそうな連中が其処此処で目を光らしている。如何に元新撰組隊士といえども3人くらいでは太刀打ちできそうもない。討ち入ることが出来ないとすれば、表に出た所を仕留めるしかない。3人はしばらく両名の隙をうかがうことにした。ところが、2、3日も経つと彼らも何処からか結城さんたちが自分たちを付け狙っていることを聞きつけたらしい。外出時も集団で連れだって出掛けてゆき、門外では絶対に単独で行動しないように用心しているのが見て取れた。隙はなかった。
このまま襲撃のチャンスを待つことにしたが、冬が近づき、だんだん懐も冷ややかになってきた。仕方なく石川さんと南さんは一度沼津に帰って出直すことにし、結城さんだけが江戸に残って任務を続行することになった。結城さんは相変わらず襲撃の機会を窺って毎日のように本所界隈をウロウロしていた。

明治2年も既に暮れかけていた。資金も遂に底をついてしまった。沼津に手紙を書き送って送金してもらうこともできるのだろうが、それでは何の面目が立つだろう。「もはや江戸で誰かに金を無心するしかない」。そこで結城さん、思いついた。
「青山の紀州邸に、かの勝先生がいらっしゃるよし、あの御方にお願いしてみるか。」
結城さんは早速いそいそと紀州のお屋敷まで出掛けていった。

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疲れたんで、続きは次回。

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2009年5月17日 (日)

香水:PAUL SMITH "PAUL SMITH MEN"

ブランド:ポールスミス
名称:ポールスミス メン

TOP:ベルガモット、ブラジリアンオレンジ
MID:グリーンフィグ、ヴァイオレットリーフ、ラベンダー
LST:オークモス、ベチバー、サンダルウッド

春~初夏にかけて付けたい香り。
一応メンズだが、グリーン系の好きな人なら誰でも試す価値はありそうだ。

トップノートは青い草の香りを含んだシトラス系。暫くするとシトラスが消えて、少しずつ青っぽさのある微かに甘い匂いになる。甘いと云っても、熟した果実の芳醇な香りというわけでなく、若い果実とグリーン系のフレッシュな印象の続くところが、この香りの洗練された優しいイメージを決定づけていると見た。そこが如何にもポールスミスらしいと言うべきか。

シンプルなグリーン系、だがメンズ香水にありがちなツンと尖った感じではなく果実や花の香りが基本。若々しいが決して子供っぽくはない。かと言って「オス」の匂いでもない。アニマル系やウッディ系が強すぎるとイヤミな香りになったりするけど、このくすんだウッディ系のラストノートは随分と垢抜けた印象だ。

香水を付けたことを忘れた頃に不意に青みのある甘い香りが漂ってきて、「何だいい匂いがするぞ」と思ったら自分だった。それくらい控えめで優しい香りである。(ちなみにウエストにワンプッシュの場合。)白い印字のある黄緑色の四角いボトルもお洒落で可愛い。

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2009年5月15日 (金)

紀尾井坂事件。

今日・・・というか、日付替わって昨日になっちゃったけど、5月14日は紀尾井坂事件の日だった。明治の元勲、大久保利通さんの暗殺ね。

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午前8時。
大久保利通は霞ヶ関の自邸を出発、二頭立ての馬車で仮皇居へ向かった。
そして午前8時30分、馬車は紀尾井坂に差し掛かる。
凶漢6人が馬車を襲ったのはそのときだった。

下手人らはまず日本刀で車を引いていた馬の脚を切断して馬車を止め、御者の中村太郎さんを刺し殺してから(馬も御者もエラい災難だ)、ターゲットの大久保さんを惨殺した。
暗殺犯は「介錯!」とばかりに倒れた大久保さんの頸部に刀を刺したが、余程凄い勢いで刺したようでその刀は首を貫通して地面にまで突き刺さっていたんだそうだ。
大久保さんは所謂「メッタ刺し」というに相応しい状況で、16箇所もの傷を負い、知らせを受けて現場に直行した前島密さんによれば「頭蓋骨がぱっくり割れて、まだ脳がぴくぴく動いていた」(現代語訳してみた)らしい。

スマン・・・なんかグロいや。

始末の悪いことに、暗殺計画自体は大警視の川路利良さんの耳にも入っていたようである。ところが日本人の悪いクセなのか、川路さんはそれを重視せず、「石川県人なんかに、そんな大それた事ができるか」と高をくくっていたそうなんだ・・・。
せっかくペルリ来航情報をキャッチしておきながら何もしなかった旧幕府のお偉いさんたちと心理的には似たような状態だったのかもしれん。

下手人:
 島田一郎
 長連豪
 杉本乙菊
 脇田巧一
 杉村文一(以上石川県士族)
 浅井寿篤(島根県士族)
  *中心人物は島田一郎。

大久保さん、立派な政治家だと思うけど、あんまり人気がないんだよね。
作者のノートのメモから、大久保さんに関する評を拾って載せておこう。

嘉納治五郎(柔道家、1860年12月9日=万延元年10月28日~1938年5月4日)
「高く自ら任じ、篤く自ら信じ、沈毅端厳、善く謀り善く断じ、時局の紛難を処理すること、快刀乱麻を断つが如く、凛々たる英風、よく上下の信頼を得て、国家の柱石となつた。」

何とも格調高い評ですな。
堂々としていて決断力のある、やると決めたらズバッとやっちゃう大久保さんらしさをよく言い得ていると思います。
凛々たる英風、という表現がありますが、実際彼は全身から「威厳」というオーラを発しているような人物だったそうだ。当時栄養状態の良かった薩摩人だったこともあって、体格も立派だったそうだしね。(推定182㎝。)

池辺三山 (ジャーナリスト、1864年3月12日=文久4年2月5日~1912年2月28日)
富永健一さん(社会学者)のおじいさんですな。富永先生の本は大学時代に教科書として使ったような・・・。
「(略)大久保には自分独りで考えた主義方針というものは、どうも見当たらない。(略)しかしその時分の交友とか藩公とかの説で、最善と思うものを深思熟慮の上でこれを執って、従って堅くそれを守るという、執着力の強い性質である。(略)政治家以上で、帝王流だ。少々えら過ぎるくらいだ。」

泉下から呼び戻して内務大臣にしたい。
国内で意見が乱れ飛んでも、私心無く吟味して最善の決断をしてくれそうだから。
この人なら変に党内を纏めようとしたり支持者に媚を売ったりして法案を骨抜きにするようなことはしない気がする。
そういえば大久保さんの子供(牧野伸顕さん)の娘の夫が吉田茂で、吉田さんの三女の息子が某麻生さんだったな・・・うーん。

も一つオマケだ。一応「東京人」の意見も載せておこう。

勝海舟 (政治家、文政6年正月晦日=1823年3月12日~1899年1月19日)
「この東京が何事もなく、百万の市民が殺されもせずに済んだのは実に西郷の力で、その後を引受けて、この通り繁盛する基を開いたのは、実に大久保の功だ。それゆゑにこの二人のことをわれゝゝは決して忘れてはならない。」(東京奠都30年のお祭りに際して)

「おいらァ大久保なんぞの手下になんかなりたかねぇ」とか何とか嘯いてたらしい旧幕臣・勝さんだが、瓦解のときに大久保さんや吉井さん(薩摩藩士)と話をしたとき「政治(マツリゴト)の中心だというだけで江戸は栄えてきたんだ、おめえさん方の力で何とか江戸の市民が飢えたりしねえように取り計らっちゃあくれねえか」と頼んだらしいのだ。
首都を大阪に移そうかな、とまで思っていた大久保さんだったが、元の首都の人々の生活が守られず人々の恨みを買うようなことになれば新政府としても宜しくないわな、と思ったんでしょう。(幕府の残党もいることだし。)そこでエイッとばかりに事実上の東京遷都の大決断を下したというわけなんでごわすな。有難う、大久保さん。
 5/17追記:そういえば前述の前島さんも東京遷都論者だった。この人は一応建白書も出してる。


・・・上野に「江戸を無事に終わらせた」西郷さんの銅像が建ってるわけだけど、こりゃあ大久保さんの銅像も建てなくちゃならないかもしれません。(笑)

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2009年5月14日 (木)

デザイン換えてみた。

とりあえず、くじらさんだ。
かわいいから良いかな・・・と。
(鯨、あんまり美味しくないけど。爆)


そのうち、このブログ「らしい」のを自分で作るつもりですが、
それまでは当分、癒されるデザインで行くことにします。

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今度はジャニ系。

迷惑メール晒し場(特設)。
改行の場所も正確に再現します。

まず“@e-festa.info”ってところから。

1件目:
長瀬[TOKYO]さんからメールです
【内容】
『J』の長瀬って言って
わかるかな?[TOKYO]って
言うのは・・・トウキョウ・・・ト
ウキヨウ・・・トキヨ・・・ト
キ・・・って言うとわかるよな?

続きを見る・返信はこちら
↓↓
(URL)


・・・「わかるよな?」って、わかんねえよw
何だ、[TOKYO]って。
トーキョー(笑)。


2件目:
担当:長瀬[J]さんからメ
ールです。
【内容】
私、[J]にて長瀬を担当
しております望月と申し
ます。彼とのアドレス交
換が可能でございますれ
ば、こちらをお目通し下
さい。

続きを見る・返信はこちら
↓↓
(URL)


可能でございますれば、

ございますれば、



ございますれば


(爆)

やい望月。
おめえ、武士か。


3件目:
長瀬[TOKYO]さんからメー
ルです。
【内容】
『J』の長瀬じゃわかり
づらかったかな!?俺の
アドレス受け取って欲し
い!一緒にガンズのヘブ
ンズドア聞きたいんだ!

続きを見る・返信はこちら
↓↓
(URL)


何で「ガンズ」だけ半角かいな。
てなわけでスマン長瀬。一緒にヘブンズドア聞きたくねえんで勘弁してくれ。



-----------------------------------
もう1件、“@mam.ms”(メリーハート)ってとこから。

★Merry Heart★
【開封無料】

初めまして! 利文って言い
ます!

メ~ル確認、返信はコチラ
(URL)


出た、【開封無料】。
開封で普通カネ取るかよ。だいたい「利文って言います!」ってさ・・・だから何なんだ。

「メ~ル」って、長音記号が「~」のほうが警戒心を持たれないという判断に基づく苦肉の策なのか? (いや、無駄だって。笑)

ちなみにメール自体のタイトルは

「大久保利文様より新着メ~ル」。




大久保利・・・って。

何だその「薩摩藩士」みたいのは。
(ま、下級武士は嫌いじゃないがね。)

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2009年5月13日 (水)

香水: NIKOS "SCULPTURE HOMME"

ブランド:ニコス
名称:スカルプチャー・オム

TOP:ベルガモット、オレンジフラワー
MID:シダー
LST:トンカビーン、アンブレッドシード、バニラ

・キム○ク愛用との噂があったりして一時期やたら付けてるヤツが多かった「スカオム」。
・とんがったボトルのデザインは好き。
・ベルガモットの強い香りで始まり、爽やかな森の香りを経て、バニラの香りに・・・と言いたいとこだが、実はバニラが香らないのは最初の一瞬だけ。スプレーして間もなくバニラが出現し、あとはどんどんバニラっぽくなっていく。
・トップノートからミドルノートに突入する一瞬の「ベルガモット+シダー」の香りがする奇跡的な瞬間がある。それが続けばいいのに。ラストノートのバニラとその仲間たち、目立ちすぎだろうが。このミドル~ラストにかけての甘さ、実は只のバニラじゃない。「桜餅」のようなもっちりとした香りが混ざっている気がしてならぬ。「爽やかだから」と愛用する女性なんかも多いらしいが、とても自分にはこれが爽やかだとは思えねえ。
・シンプルで変な男臭さもないから、人気なのも何となく理解できる。・・・まぁ、分かりやすいというか、メンズらしい潔さはあるという印象か。

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香水: DAVIDOFF "ECHO"

ブランド:ダビドフ
名称:エコー

TOP:ブラックペッパー、ピメント、リキッドエアー
MID:カルダモン、アルデヒド、ナツメグ
LST:スエード、サンダルウッド、シダーウッド、バイオムスク

・「エコー」ってネーミングとボトルのデザインが好きだったから、ミニのほうを買ってみた。
硬質で洗練された都会の香り。秋の朝の空気のような爽やかさと都会的な佇まいは、スパイスの効いたアルデヒドノートの為せる技か。最後は穏やかで温かみのあるムスクに、レザー様(よう)の香りが残る。
・相当大人っぽい香りである。漂うような解放感を感じるような香りではあるけれど、理性を脱ぎ捨てる感じではなく、精神の自由をイメージさせる知的な香りだろう。
・ムエットで試したときより、肌に付けて体臭と混ざった(?)ときのほうが格段に「男っぽい」から、購入時は注意を。如何にも大人の男の香りなので、自分的には殆ど使うチャンスがない(爆)。・・・ぜったいによくできた香りなんだけどねぇ。

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香水:JEANNNE ARTHES "CO2 SKY LABEL"

ブランド:ジャンヌアルテス
名称:CO2 スカイレーベル

TOP:レモン、マンダリン、グリーン
MID:ローズ、ジャスミン、グリーンティー、シクラメン
LST:シダーウッド、ムスク

・綺麗なスカイブルーの液色、人畜無害な香り。
・「スカイレーベル」っていうネーミングは、「晴れた日の空の匂い」をイメージしてのものらしい。確かにフレッシュでクリーンでライト。もともとメンズらしいが、ユニセックスでも全然イケる。スプレーした瞬間の清々しいレモンの香りも、ミドル~ラストにかけての優しい香りも、ピュアでイノセントな印象だ。ただねえ・・・この手の香りは飛びやすい。アトマイザー必携だろう。
・多少付けすぎたところで香害にはならなそうだ。したがって「1stフレグランス」にどうだろう。既に沢山持ってる人も気分転換用には悪くないよ。

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ビフォーアフター。

一昨日くらいからずっと「大○造!!劇○ビ○ォーア○○ター」っていう番組について考えている。(って書くと、暇人みたいだな。笑)

日曜の夕方、アホらしいと思いながら見ちまった。

「娘が食器棚で勉強している。勉強机がなくって可哀想」だと。


カワイソウなもんか。
勉強机なんて要らないね。
(別に食卓でやりゃあいいじゃん、と思ってしまうんだが。)

この番組については「?」が多すぎるのだ。
だいたい匠とやらの宣伝以外に何を世に知らしめたいのか解りにくいと言おうか、製作の意図自体がイマイチ解らないというか・・・謎の多い番組なんだよな。

自分としてはこんなふうな番組だったらいいな、と思っているんだが、こういうのはダメかね。

現状の何が悪いのか、改善すべき点は何なのか、そのためにどこをどうリフォームすべきなのか、実際に暮らしている住人が意見を戦わせる企画をやらんかい。 
匠におまかせ!じゃあ、彼らが何を期待しているのか分からん。よって、匠による大改造も、それが住人の希望に基づくものなのか、匠の独り善がりによるものなのか、想像もつかん。TV的にも議論が盛り上がって喧嘩になったりすると面白い。

追跡調査をやらんかい。
1年後、2年後、3年後に家族がどのように暮らしているかは知りたい。
匠の提案した「使い勝手の良さ」や「便利な意匠」が本当に役に立っているのか、検証したらいい。それから、以前暮らしづらかったのは以前の「家」のせいだったのか、暮らす「人」の心懸けのせいなのか、改めて分析してくれたらいい。そのほうが参考になるもん。

費用の総額の明細を出さんかい。
「これで970万!!」とか言われても、説得力ないから。(TVってことで業者側の持ち出しとかもあるんじゃないの?宣伝にもなるし・・・と思ってしまうじゃないか。)

家財道具はどうしたんだ。
「アフター」では家に溢れる家財道具(山のような子供のおもちゃ含む)が消えてるんだけど、あれらは単に収納されただけ? それとも処分されたの? モデルルームのディスプレイみたいに花器や小物が飾ってあったりするけど、ああいうのはもともと家にあったヤツなのか?


・・・やってることが大掛かりな割に、あんまり参考にならない気がしてならないんだけど。
でも随分長く続いてる番組だから、人気はあるんだろうねぇ。

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2009年5月10日 (日)

また買い占めてきた。

といっても、今度は「ハバネロ」ではなく、漫画本。

「風雲児たち」っていう歴史ギャグ漫画があるんだけど、前からちょっと気になっていたんで、ふと思い立って古本屋の漫画コーナーを覗いてみたのだ。

そしたら、ありましたよ。
たった2冊。
ワイド版のほうじゃなくて、幕末編の2巻と11巻が。

1巻がない上に、間の8巻がゴッソリ抜けてるわけだけど、まぁ、これ「歴史物」だし途中からでも困らないや・・・ということで2冊とも買って帰ることに。

「風雲児たち 幕末編」 2巻&11巻。
1冊105円、計210円shine也。安上がりだ。

帰ってから早速読んでみた。

自分は普段、本を最初の1頁から読んだりしないことが多い。適当に開いた頁から読み始め、ちょっと読んで気に入ったら目次から読み直す。
今回はたまたま11巻のほうが先に手に触れたんで、適当に開いてみた。

で、最初に目に飛び込んできた台詞が

「俺ァ、キンタマが片っぽしかねえんだーーーっ」。 

何この不意打ちw
イキナリ威勢のよい下ネタである。
よく動きそうな眉に、ぱちっと表情豊かな目、尖った鼻の男がガバッと口を開けて怒鳴ってる。怒鳴られてる人は、その勢いに仰け反って派手に吹っ飛ばされてる。(笑)

幕末で・・・というより日本史上「キ○○マ」のネタは「あの父子」の専売特許だ。(西郷どんは例外。)
しかも幕末キャラで、こんな言い回しの、こんな台詞を平気で吐くキャラなんて「江戸っ子」K氏の他に居るまいて。

ギャグ漫画「風雲児たち」のキャラでしかないとはいえ、
麟太郎くんとのご対面がこんなものになろうとは意外だった。
(隻腕・隻眼のヒーローっているけど、隻玉ってビミョーだぞ。)

とりあえず、若干感想をば。

キャラクターについて
通常の・・・というか、シリアスな歴史モノのキャラクターに比べて絵柄が異常なほど軽い。そこで好き嫌いが分かれそうだが、私は「好き」である。
誰ひとり格好良く描かれてないし、特別似せてあるワケでもない。
似ちゃいないけど、「あー、わかる!」という感じ。

吉田寅次郎(えっと、吉田松陰です)なんかは右と左の目玉が違う方向を向いてるアホ面なんだけど、これは温かく情熱的な教育者としての顔と、テロリスト並み(失敬)のエキセントリックさとが同居している一種の狂気のあらわれとしては適切な表現かもね。こんなアホ面だけど、もしかしたら教科書に載ってる有名な肖像画(有り得ない老け顔。笑)よりもずっと寅次郎っぽいかもしれない。(「僕は・・・であります」っていう喋りもちゃんと史実に合わせて決めたんだろうな。)
ハンサムで真面目でバランス感覚に優れていて、でも何となく「小物的な軽さ」がある桂小五郎も然りである。似てるかどうかは別にして、確かに「小五郎っぽい」のだ。
幕府側の人物もちゃーんと描いてくれていて、青年宰相・阿部正弘さんはあの穏やかな眼差しと重圧を背負わされた感じがよく出ていると思うし、まだあんまり活躍してないけど大久保忠寛さん(のちの一翁さん)なんかは、実によくできた大人のキャラクター(夜の、という言葉が付きそうな感じという意味じゃないよ。)に描かれていて嬉しい限りだ。
彼の「弟分」、勝麟太郎は先程ご紹介したような台詞回し(町人言葉+お上品とは言えない内容)の男だが、庶民的で荒っぽいけれど気っぷがよく根はサッパリしている江戸人らしいキャラになっている。なおギャグ漫画的には外せなかったのだとは思うが、予想通り「オランダ語はペラペラだが乗り物に弱い」設定になってる(爆)。
なお、作者のみなもと先生は、この2冊を読む限り村田蔵六にシンパシーを感じ(無愛想な上にすんごい理系キャラ。笑)幕末の人物としては坂本龍馬が好きに違いない、と私は思った。

中島三郎助
11巻の「キ○○マ」発言で吹っ飛ばされてた御仁。(笑) ペリー来航直後から幕府の役人として活躍し、近代の造船学の第一人者とも言えるような人物である。海軍伝習所では確か士官候補生だった。
この漫画では艦長候補生兼伝習生監督者の麟太郎くんと喧嘩ばかりしているが(元ネタは寅次郎の手紙)、まぁ「技術畑の人」で「優秀な官僚」だった彼には、箸にも棒にもかからないと評判の小普請組(幕臣最下層、無役)の出で、基本が「政治家」の麟さんは胡散臭くて仕方なかったろう。
11巻では日本人の伝習生たちが自分たちの力だけで観光丸を操舵して品川に戻ってくるシーンがある。中島さんも家族と再会するんだけど、彼も息子の恒太郎くんも英次郎くんも函館戦争で戦死しちゃうんだよな・・・と思うと何だか悲しくなってしまった。

我々はキャラクターたちがその後どうなるかを知っている。
歴史物を読む哀しさというのは、そのあたりにある。

島田虎之助
天保の三剣豪とか幕末の三剣士とかいわれる人たちの中のひとり。
この人は15歳で中津藩で敵がいなくなり、その後すぐに西日本で敵がいなくなって、儒学や禅学(ときどき恋愛も)をやりながら7年かけて江戸に出てきた・・・という剣術の大家である。
島田先生は39歳で亡くなっちゃったけど(2巻)、もっと長生きしていれば「剣聖」男谷先生の道場を継いでいたかもしれない・・・なんて私は思っているんだが。
剣豪・島田先生はただの剣術遣い(失礼)なのに何でこんなに大きく扱われているかといえば、おそらく島田道場の一番弟子が麟太郎くんで、島田先生の元で修行していた時代が彼の肝っ玉のデカさに影響を与えたと言われているからだろう。
この漫画では、おそらく「慶昌公に死なれ出世の望みが消えて人生がイヤになってヤケっぱちになりそうだった麟太郎くんを『更正』させる役割を果たした人生の師」という位置付けだろう。(2巻の内容だけで判断してるんで違うかもしれないけどさ。)
史実とはだいぶ違う気もするけど、島田先生ほどの教養の高さと剣術の哲学を持った人なら、そんな設定でも面白いわな、と思ったりもした。
この漫画でも若干コワめの顔だけど、島田先生の実物も茶色の瞳が異様に光る恐い顔の御仁だったそうだ。

・・・てなわけで、えげつないまでのギャグと、軽い絵柄が気に入った人なら歴史嫌いでも読める漫画だよ。
また古本屋で見掛けたら、買おうっと。
面白いわ、コレ。

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2009年5月 9日 (土)

岩崎さんと勝先生。

4日のエントリーで岩崎弥太郎さんと勝先生の話をチラッとしたけど、こういう話は先生自身がぺろっと喋ってそうな気がしたから、ちょいと調べてみた。

そしたら、講談社学術文庫「海舟語録」(40~41頁)に、こんな談話が。
土佐の人物の話題のなかで、先生は坂本龍馬岩崎弥太郎の両氏を高く評価しているんだけど、それに関連して岩崎さんとの数少ない思い出を語ったもののようです。
(なお、後藤象二郎さんなんかは『大名を塩辛にしたやうなものだと言ってやるのサ』なんて言われている^^;)

岩崎にはただ一度だけ会つたよ。吉井と上野に遊びに行ったとき、昼飯を何処かで食はうと相談したら、岩崎に行かうと言つた。ヲレは金持ちの所は嫌ひだと言つたら、「勝といふ事は匿(かく)してお取りまきになつてみろ」との事で、『それは面白い』と言つて同行した。
岩崎の事だから、大層御馳走をしたが、どうしてか、ヲレを見つけ出したとみえ、帰りがけに、玄関まで来ると、後ろから、シカと抱きすくめたものがある。何をするかと、静かにして居たら、是非ゆるりと話したいと言つて、たつて留められて、それから暁方まで話した。
その後すぐ病気にかゝつた。『役人にだまされでもするのかい』と言つたら、なかなかそんなものぢやアなかつたよ。
(明治二十九年十月二十一日)

岩崎さんが亡くなったのは、1885年=明治18年2月のこと。病死だそうだ。
談話の中にある「その後すぐ病気にかゝつた。」というのは、そのことと関係があるのかな。
前年は、先生にとっては親友・西郷どんの7年忌があって彼の名誉回復運動に奔走した年、五女(第九子)の妙子さんが生まれた年で、先生は御歳62だ。(ひょええ・・・先生、ずいぶん元気だね。汗)
「ただ一度だけ会つたよ。」というのは、岩崎さんが亡くなってしまって二度と会えなくなってしまった、という感慨の意味をこめての発言なんだろう。

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しかし先生。その風貌じゃあ誰も只の吉井友実さんのお連れ様だとは思ってくれないってば。(岩崎さんが勝先生に気付いたときの顔、見てみたかったわな。)

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馬鹿と礼讃。

「愚か者の周りには必ず、 さらに愚かな賛美者がいる。」

「馬鹿からの賛同は批判よりも迷惑である。」

上はボワロー(確か評論家で詩人でフランス人だったような・・・)、下はフロリアン(喜劇作家じゃなかったか・・・で、やっぱりフランス人。)の言葉。

今日は、馬鹿みたいに天気がよかったなあ。

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2009年5月 7日 (木)

つい1時間ほど前。

つい1時間ほど前、死にかけた。

小雨の降る中、帰り道。
自宅まであと数分・・・という場所にある交差点。
青信号で横断歩道を渡っていて、ふと右斜め前方を見ると、無灯火の軽自動車が走ってくる。

無灯火かよ、危ないなぁ。誰かに追われて逃げでもしているのか・・・?と思っていたら、いきなり右折してきた。
ウインカーなんか出してない。

やばい!!!

と思って、ダッシュ。

一瞬、運転席の男の顔が見えた。
ニット帽を被ったその男は虚ろな目をしていた。

あと50㎝の距離だった。

軽自動車はスピードを緩めることなく、走り去っていった。
横断歩道を渡り終えて、暫く呆然としてしまった。

傘を差していたから、危険に気付くのが遅れたのかもしれない。
自宅の近くまで来ていたから、気が抜けたのかもしれない。
いずれにしても轢き逃げに遭うところだったみたいだ。

ふと、傘に細長い芋のような形の小さなシルエットが張り付いているのに気付いた。
気のせいか、そいつはゆっくりと動いていた。
暫くするとそいつの頭(進行方向)から、角が2本出てきた。

ナメクジだった。

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2009年5月 6日 (水)

ふと、ドリフ。

「8時だヨ!全員集合〜」の「全員」って、正確には誰を指すんだろ(´・ω・`)

何か気になった。
それだけ。

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買い占めてきた。

Photo
「暴君ハバネロ」シリーズでは、おそらく一番のキワモノ、「チョコ貴族」。
在庫処分とやらで安売りされてる菓子の中に紛れてたので、そこにあるだけ買い占めてきた。

基本カカオの味なのに、何故かカプサイシンの味がする。カカオのコクのせいか、通常の「暴君ハバネロ」より全然穏やかな味だと思うんだが、気のせいだろうか。
ときどき食べたくなるんだけど、あまり売られてない。(キワモノだけにやむを得ないか・・・。)
買えるときに買わなきゃだ。

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2009年5月 5日 (火)

今日の間食。

今日の間食。
「旅麺」シリーズ。

黄金週間とは名ばかりで何処にも行けないもんだから、「熱湯3分」で沖縄に飛んでみた(笑)

細いうどんのような弾力のある平麺、ポーク出汁の塩味のスープ。たかがカップ麺だけど、なかなか雰囲気出てました。

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2009年5月 4日 (月)

「龍馬伝」、戦慄のキャスティング (今更だが。笑)

2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」
背中に毛の生えたムサ苦しい系の大男(一応褒めている)を、何故かあの福山氏が演じることが決まった時点で私の中では早々と「幕末コスプレもの」認定されている。

でも龍馬は好きだし「幕末モノ」だし、気にはなるんだ。
昨日の深夜、ふと新しいニュースはないかとググって見たら、あーら大変sweat01
もう主役以外の配役も少しずつ決まってるみたいだね。こんな記事が。

読んだ瞬間、戦慄が走った(笑)。

□岩崎弥太郎=香川照之さん(43)
□西郷隆盛=高橋克実さん(48)
□勝海舟=武田鉄矢さん(59)

主役との釣り合いを考えてのことかもしれんけど・・・役者の年齢だけでも何とかならなかったんかい。
これ、誤報じゃなかったら笑うぞ。
だいぶ前の記事なのに、NHKが否定してる気配がないところも大いに気になるわけだけれど。

・・・昨夜から、この配役を思い出すたびに凄い脱力感に襲われる。(笑)
よっぽどの破壊力だ。やるなぁ、NHK。

・・・とりあえず一言二言。

西郷どん
西郷南洲。少なくとも高橋克実さんっていうイメージじゃねえなぁ・・・と思っていたら、描いてみたくなったので。(弟の従道さんの肖像を少し参考にしたけど、意味なかった。)
300

ちょっと可愛めに仕上げてみたけど、これなら一般的な西郷さん像とあまり変わらないね、たぶん。

幕軍側に立って戦った諸侯や旧幕臣をあっさり赦免したのは西郷さん。
耶蘇教黙許を決定したのも西郷さん。
旧幕臣の山岡さんや勝さんと仲が良かったのも西郷さん。
大誠意、大胆識、春風面(オモテ)を払うが如し。(←誰かさんのパクリ。)
大局的な立場でモノを見ることのできる人物だけど、何ともとらえどころがない。
個人的には或る種の「宗教家」だと思っているんだけど。
(なお、半藤一利先生は西郷さんは「革命家」とおっしゃっていた。なるほどな、と思う。)

この際、高橋さんでも別にいいんだけどさー。
せめて182㎝/114㎏、血液型B型っていうイメージから
あまり遠くならないような人選をしてもらいたかったよ。
偉さの解りにくい、途方もない人物って印象を頑張って醸してくれ、としか言えない。
この人選、相当厳しい気がするんですな。
なんつーか・・・小粒なんだわ。西郷どんの割に。

まぁ、西郷どんは幕末キャラの中ではキャスティングが難しい人だとも思うんで多少は大目に見てやるべきなのかもしれないけど・・・。(はぁ。何となくガッカリだ。)

勝先生
これって誤報じゃねえの?と思った。でなけりゃ遅めのエイプリル・フールのネタ。down
龍馬が主人公だから武田さんはどこかで出してもらえるんじゃないかとは思ってたけど、これは予想の斜め上だ。龍馬を愛する武田さん的にはなかなか感無量な大役なんだろうけど、当方としては実に遺憾(笑)。

だってねえ。

先生は江戸っ児なんだ。(「なんばしよっと」なイメージを払拭できるかな。)
軽妙洒脱な巻き舌なんだ。(学校みたいな野暮な説教はご勘弁。)
下町の大元締の倅だ。(父:夢酔先生=小吉さん。)
牛若丸って呼ばれてた。(ちっこくて身軽で武術が上手で頭がいい。)
子供の頃は女の子みたいな顔だった。 (見たことないけどそうらしい。笑)
ぱっちり二重shineだ。(しかも眼光鋭し。ここ重要。)
白いんだ。(皮膚は強くなかったようだが美白系。)
ひねくれ者だ。(説明不要)
オランダ語がペラペラだ。(語学は秀才。)
ワルぶっていて、エロチックで、モテモテheart01だ。(ここ最重要項目。)

そんな雰囲気を醸せるなら、別に誰でもいいんだ。
武田さんでも誰でも問題ねえさ。

そんな雰囲気を醸せるなら・・・ね。(ボソッ)

始めっから配役は期待してないんで、別にいいんだけどさ。
でも、1年かけて何か悲惨なものを見せてくれるんじゃないかっていうイヤな予感もする(笑)。
まぁ、説教くさくならなけりゃ御の字ってことかね。「はいっ、ちゅうもーく」「人という字はー」って。
・・・それとも、このドラマ的には先生は「ゲスト出演的チョイ役」だったりするのかな。メインは海援隊とかで。でも龍馬が生涯の師と慕った勝先生がチョイ役だったりしたら、制作者の見識を疑いますぜ旦那。

岩崎さん
あれっ・・・クワマンがやるんじゃなかったんですかい。(ウソですスミマセン)
てか、もう少し貫禄のあるタイプの人でもよかったんだぜ?と思った次第。

岩崎さんと言えばね、勝先生絡みでこんな話が。
吉井友実さんらに連れられて自分の正体を明かさずに岩崎さんとこに遊びにいった勝先生、帰り際に突然後ろからギュッと抱きすくめられたそうだ。先生は何があったか解らずに暫く捕まったままジッとしていた(笑)らしいが、彼を捕まえたのは誰あろう、岩崎さんだったんですと。岩崎さんは「もっとお話しが聞きたいです」とか何とか言って先生を引き留め、その日は明け方まで話をした。・・・そんな逸話。
(正体を隠して遊びにいったのに、どういう訳かバレてしまったわけですな。)
その話を初めて聞いたとき岩崎さんの好感度が急上昇したのだから不思議だ。

・・・ということで、やっぱり香川さんも岩崎さんのイメージじゃないや。

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せわしい一週間だった。

いろいろあって(?)まともにニュースも見ていなかったから、一週間分の新聞を纏めて読んだ
気になったことをメモっておこう。

さらば、黄金の隼
最近は朝が比較的早くて夜更かしも出来ないから、あまり観なくなってしまったのだけど、当方、サッカーが好きである。本当は3度の飯より・・・と言いたいところなのだが、食欲と睡魔に勝てるほど人間が出来ていないので、この状況も致し方ないと諦めている。

で、ユルゲン・クリンスマンである。
元ドイツ代表FW、昨年の夏からバイエルン・ミュンヘンの監督をやっていたのだが、どうやら先日クビになったようだ。

カリフォルニアに拠点を持つクリンシ(ファンの一部はそう呼ぶ)が新監督に就任したとき、その手法が何もかもが新しく、その新しさが注目された。多国籍の選手を抱えるクラブだが、彼が連れてきた10人ほどのスタッフの国籍もアメリカ、カナダ、ブラジルと多様なルーツを持つ人たちだった。練習場には最新の設備を持ち込み、食事は三ツ星シェフに監修を依頼。
フランツ・ベッケンバウアー会長は「彼は多くのものを引っ繰り返した。あとは結果だ、結果がでなければこの改革も我々の投資も意味がない。」と改革に理解も示しつつ、厳しく結果を求めていくことを明確にしていた。

クリンシは伝統あるクラブに新しい文化を持ち込もうとした。だが、改革には反発が伴うものだ。
開幕前。
最初の反発は就任当初に練習場を一望できるレストランを閉鎖したときだったっけ。
麦酒を飲みながらクラブの練習を眺めるのを楽しみにしていたファンをガッカリさせた。
ユーロ参加組(代表)のクラブへの合流が遅れたり、外国人の主力(トニ、リベリ、サニョル等)が怪我で開幕に間に合わなかったり・・・という事情もあったのだけど、親善試合でも思うような結果が出せず、そのときから不安を口にするファンはいたようである。

そして、今回の解雇劇である。

順位表を見る限り「まだいいじゃん!」という見方もありそうだが、クラブは大事な試合を悉く落としていることを重く見て、クリンシの一連の改革に見切りを付けたということなんだろう。
残念だけど、仕方ないんだろうね。

アオフ・ヴィーダーゼーエン、クリンシ。
また、いつかどこかで会おうや。

おまけ:
部屋の片付けをしていたら、EURO2008の決勝戦の録画が出てきた。
結果は知ってるんだけど、まだ試合観てないんだよな。何やってんだ自分。

酩酊タレント
某ジャニーズのタレントさん、どうやら不起訴処分になりそうだ、という話をしている人たちとすれ違った。
あの日の朝のニュースで、逮捕者の名前と「公然わいせつ」の容疑だということを聞いたときは「まさか(笑)」と思ったが、何のことはない、「上機嫌な酔っ払いがいい気分で歌っているところをケーサツに邪魔されて抵抗したが、そのときその酔っ払いが裸だったのが問題だった」程度の話だった。
酔っ払って裸になって警察のお世話になった話なんか別に珍しくも何ともないが、誰も逮捕されてないし、ガサ入れに遭ったという話も聞いたことがない。(ガサ入れってことは・・・アルコール以外のモノの摂取を疑われたに違いない。苦笑)

残念なのは「公然わいせつ」という罪状(!)のみしか明らかになっていないうちから騒ぎ立てたマスコミと、それに乗っかって大騒ぎした何の利害関係もない連中だ。
報道する側も騒ぐ側も「ワイセツ」ってことで良いネタを見つけたとばかりに騒いだんだと思うけれど。

私は別にこのタレントさんが夜中に素っ裸で歌っていたことで自分が迷惑を被ったという認識はない。
酔っ払いごときの保護や逮捕に税金を使うのは如何なものかと思う向きもあろうが、それは今回の件に限定した話ではない。
実際に騒音で迷惑した人がいるのなら、その人たちに謝りに行けばいいわけで、我々が面白がって騒ぎ立てるのは、ちょいと野次馬的に過ぎないかとも思うわけだ。

そういえば、酩酊大臣ってのがいたな。

自分が関わっていない赤の他人の言動について恥ずかしいと思ったり誇りに思ったりするのは変だと思うが、あれは恥ずかしかった。
あんな政治家しか選べず、あんな政治家しか育てられない有権者のひとりとして情けなかったもん。

しかしまぁ、あの酩酊大臣を「日本一っ!」って励ました(?)ヨメさん、ありゃ逆説的なギャグか。それともホントに阿呆なのか。

因みに、私はモンゴロイドの20人にひとりと言われている本格的下戸です。
だから酔っ払いは理解できないし、酔っ払いに対しては寛容にもなれません。
何故記憶が無くなるほど飲むのか・・・まったく理解できん世界だ。
(何でその風貌で飲めないんだ、と言われると微妙に腹が立つけれど、最近は「西郷どんや勝さん父子も飲めないぞ、酒豪だけが豪傑じゃない」と自分を励ますことにしてる。飲めたところで豪傑なんかになり得ないのは解ってはいるんだが。爆)

パンデミック前夜
豚インフルの話。
ワクチンはない。でも或る程度予防はできる。タミフルが効く。
事態をナメてはいけない。でもパニックになってもいけない。

正しく怖れたり、正しく怖れなかったりすることって、案外難しい。
専門家じゃないから、情報を集めたところで正しい判断ができるわけでもない。
感染者を隔離するのはアリ。でも差別するようなことだけはしないようにしよう。
そして自分自身はといえば、感染しないように自己防衛するしかないってことですな。

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