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2009年5月23日 (土)

旧新撰組・結城無二三さんと勝先生 ①

結城 無二三(ゆうき むにぞう)さん
弘化2年4月17日(1845年5月22日) - 明治45年(1912年)5月17日。
旧新撰組の隊士と言われている人。日本メソジスト教会の牧師・伝道師として後半生を耶蘇教に捧げた人で、日本のキリスト教史においては外せない人でもある。
無二三って随分変わった名前を名乗っているが、「俺ほどの人間は二人三人といるわけがない」という意味なんだそうだ。一種の豪傑だったんだろうねえ。
なお、旧新撰組の隊士だというのは「自称」かもしれないそうです。彼の名前は資料で確認できないんだって。

この御仁、太陽暦だと5月22日生まれってことで、ホントは昨日のうちに書いておきたかったのだけど、眠くて眠くて寝てしまった。(つーか、最近ずっと眠い。)
今回書くのは新撰組ファンからも憎まれている(!)勝海舟との逸話。「元新撰組隊士を討てと命じられて明治2年の江戸に潜伏するも金がなくなり、ちょうど紀州屋敷にいた勝さんを訪ねたところ・・・」という、別にどうってことない話である。当方文才はゼロだが、面白半分に書いてみることにするんで、お暇な方はお付き合い下さい(爆)。

結城さんは「自称」隊士だったかもしれないけど、本物の新撰組隊士だった南一郎さん(この話の中にも名前が出てくる)とは親友だったみたいだよ。

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沼津勤番組・結城無二三さんは旧新撰組隊士である。勤番組のメンバーには結城さんのほかにも函館戦争の生き残りである旧新撰組隊士がいた。南一郎さんや石川武雄さん、他には早川さん、福井さんなどがそういった連中だ。この4人は前年まで盛岡藩で謹慎処分を受けていた。漸く放免になったとき、早川さんは大小を取り上げられて丸腰だった。徳川家の重立取扱という立場にあった安部邦之助さんは、彼らを勤番組に入れてやる際、早川さんのために組長から刀を借りてきてやった。ところがある日、この早川さんと福井さんが突然姿をくらましてしまう。 
 
ふたりは沼津を出て江戸に逃亡したらしい。なんでも徳川家の禄制に不満だったというのが、その理由のようだ。安部さんは怒り心頭。早川さんがせっかく借りてきてやった大小を持ったまま逃げてしまったものだから、怒りは余計に治まらない。そこで安部さんは結城さんと南さん、石川さんの旧隊士3人を内密に呼び出した。
「・・・あの恩知らずどもを不忠の輩ゆえに召し捕って重く罰したいと言いたいところだが、表沙汰にするのも障りがあろう。足下らが江戸に行って両名の首をとって参れ。早川の腰のものは組長からの借り物だから持ち帰ってこい。」
その日の午後、3人は大急ぎで旅支度を整え、ひっそりと江戸に向かった。 
 
当時は諸国の武士が出府する際は藩主から許可証を頂戴し、江戸に着いたら宿主を経由してそれを町役場に提出するというルールがあった。だが、密命を帯びて江戸へやってきた彼らに、そんな許可証などあろうはずもない。したがって、まともな宿をとることさえできない。江戸に着いた3人は、仕方なしに結城さんの知人の家に転がり込んだ。
 
 
明治の御代になっても、やはり江戸は広い。その広いお江戸でたった2名の浪士を見つけ出すなんて、ちょっと考えただけでも気が遠くなりそうなものだ。だが、彼らはバカ正直にも両名の出入りしそうなところを探って歩いた。
そうして数週間が経過した頃、本所あたりで六千石を拝領していた旗本のひとりが盛んに浪士を募集しているという話を聞きつける。
「これは」と思って探りを入れてみると、案の定、例のふたりもメンバーに加わっている。
その場で討ち入ろうとも思ったが、警備が厳重で、ガラの悪い腕の立ちそうな連中が其処此処で目を光らしている。如何に元新撰組隊士といえども3人くらいでは太刀打ちできそうもない。討ち入ることが出来ないとすれば、表に出た所を仕留めるしかない。3人はしばらく両名の隙をうかがうことにした。ところが、2、3日も経つと彼らも何処からか結城さんたちが自分たちを付け狙っていることを聞きつけたらしい。外出時も集団で連れだって出掛けてゆき、門外では絶対に単独で行動しないように用心しているのが見て取れた。隙はなかった。
このまま襲撃のチャンスを待つことにしたが、冬が近づき、だんだん懐も冷ややかになってきた。仕方なく石川さんと南さんは一度沼津に帰って出直すことにし、結城さんだけが江戸に残って任務を続行することになった。結城さんは相変わらず襲撃の機会を窺って毎日のように本所界隈をウロウロしていた。

明治2年も既に暮れかけていた。資金も遂に底をついてしまった。沼津に手紙を書き送って送金してもらうこともできるのだろうが、それでは何の面目が立つだろう。「もはや江戸で誰かに金を無心するしかない」。そこで結城さん、思いついた。
「青山の紀州邸に、かの勝先生がいらっしゃるよし、あの御方にお願いしてみるか。」
結城さんは早速いそいそと紀州のお屋敷まで出掛けていった。

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疲れたんで、続きは次回。

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