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2009年7月27日 (月)

「汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集」(集英社文庫)

詩を書いてゐた。
書かずには居られなかつた。
言葉を吐きださなければ
窒息しさうだつたから
只苦し紛れに書いてゐた。
嘲笑に似た哀しみを書き、
恋愛にも似た哀しみを書き、
哀しいときは哀しい詩を
楽しいときも哀しい詩を書いた。
一晩で二篇も三篇も書いた。

だが詩人になどなりたくはなかつた。

芸術をやるには野心的すぎたし
人の心を扱ふには情熱が足りなかつた。
世の中の凡てのものに
感受性とやらを開いてゐなければならない筈なのに
そんな鏡を覗き込むやうな
度胸など在りはしなかつた。

だけどあの頃自分は
滑稽なほど幸福だつたと思ふ。
哀しいときに哀しいと言ひ
楽しいときに感傷を求める気楽さがあつた。
鹿鳴館の如き茶番が正義となり
悦楽に浸らぬ者は愚かであるかのやうな空気の
馬鹿馬鹿しさや
さもしさを
頭から否定しうる程
向かう見ずにもなれた。
俗つぽいものを拒みとほすだけの青さがあつた。

じつとりと暑い真夏の宵に
ふらりと立ち寄つた本屋の店先。
まるで遠心力でもかかつたかのやうに
既視感の真つ只中へと放り出された。

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諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

ほがらかとは恐らくは
悲しいときには悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
(「酒場にて」より)
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久々に詩集なんぞを買つて読んでやらうと云ふ気になつた。あの頃の自分との距離を
愛ほしむだけのために。

中原中也と云ふ詩人は、永遠に「在りし日」に留まり続けることを選んだ人なのかも知れない。我々の多くは「汚れつちまつた悲しみ」など気付かぬふりをして通り過ぎる。我々が多くのものを失ひながら生きのびてゐることを突き付けられるときがあるとするならば、例へばこんな詩人との邂逅がその瞬間なのかもしれないとも思ふわけである。

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