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2009年8月31日 (月)

ヅーフ・ハルマ。

日付変わって昨日の話題になっちゃったけど、8月30日は

「勝海舟が蘭和辞典ヅーフ・ハルマの写本を完成させた日」

なんだそうだ。(微妙な話題だなぁ^^;)

ヅーフ・ハルマ、全58巻。収録されている語句は7万5千とも8万とも言われているが、それくらいだと・・・手元にある「ジーニアス英和辞典」みたいなのを想像すればいいのかな。(・・・あれを写すのか。壊)

当時、買えば60両。とんでもなく高価な辞書だ。
まだ蘭学修行中、25歳だった麟太郎くんはこの辞書が欲しくて欲しくて堪らない。
蘭医の赤城ナントカさんという人が秘蔵しているのを知って、拝み倒して借りてきた。「年間10両の損料を支払う」という条件で。
インクは自分で調合し、鵞ペンも自分で作った。インクが変に滲まないように紙の上に陶砂をしいたりもした。和紙は繊維が長いからインクが染みちゃうということなのか。とにかく大変な手間だ。
で、半年かけて一部を写し終えたが、このままじゃ損料も払えなければ、紙代もインク代も払えず、妻子がいるのに生活費も足りない。仕方ないから、もう半年かけてまた一部謄写した。一部は自分で勉強する用に手元に残し、もう一部は人に売った。本屋の嘉七さんが引き取ってくれたのではないか(当時は普通に写本が売られていたらしい)とか、どっかの蘭学者が買ってくれたんじゃないかとか諸説あるが、とにかくこれは30両だか60両だかで売れたらしい。

個人的には、こんな会話があったんじゃないかと。

「おい、お民、写本は永井(青崖)先生が買いとって下さるってよう。滅法ありがてえじゃねえか。」
「まあ、さようでございますか。永井先生が。」
「おうよ、これで30両入る。おめえには苦労かけたな。」

昔、現在も勝さんちに保存されている写本をTVか写真か何かで見たことがあるんだけど、ものすごく綺麗に書いてあって、書いた人の几帳面で凝り性な一面が垣間見えるようだった。

終わりにこんなことが書かれているそうだ。

「弘化四未秋、業につき、翌中秋秋二日終業。
予この時貧骨に到り、夏夜蚊帳*無く、冬夜衾無し。
唯、日夜机によつて眠る。
しかのみならず、大母病床に在り、諸妹幼弱事を解せず。
自ら椽を破り、柱を割つて炊く。
困難ここに到り、又感激を生じ、一歳中二部の謄写成る。
その一部は他にひさぎ、その諸費を弁ず。
嗚呼、この後の学業、その成否の如き、知るべからず、期すべからざる也。
勝義邦 記。」

適当な訳:
1847年の秋から写し始めて、1848年8月30日に漸く完成。もう1年も経ちゃあがる。夏の夜は蚊帳がねえし、冬の夜は襖もねえ。夜は眠ったくなりゃあ机に突っ伏して寝たもんだ。おふくろは病気だし、妹たちはまだ若すぎる。仕方がねえから、もともとボロい屋敷の垂木を壊したり柱を削ったりして、俺が飯を炊いたよ。
まあこれで何とか二部写し終わったわ。大変な一年だった。そのうち一部は俺用。もう一部は金に換えてレンタル料(年間10両=120万円くらい)、紙代、インク代、生活費に充てた。
しかしまぁ、おいら苦労してこんなことやってるけど、果たしてモノになるのかねえ。そんなこたァお釈迦様でもご存知ねえだろうし、期待なんてできァしねえのに。by.勝義邦

*蚊帳・・・本当は「はばへん(巾)」に「厨」の字。

自分の学問がモノになるかどうかも分からないし、期待もできない。
それでも今学んでいることが将来自分だけじゃなくて社会の役にも立つんだ、と信じて頑張る。

学問って、ほんとうはそんなものなんだろうな。

幸い、彼の場合は長崎海軍伝習所時代に和蘭語の猛勉強が役に立った。
和蘭語がペラペラだったお陰でオランダ人の先生たちと親しく話をすることができ、西洋の政治や社会、近代海軍の理念なんかを肌で学ぶことができたんだ。
もともとテクノクラート向きではない「政治家」勝さんにとっては、造船や天文学、船の操舵の技術を学ぶことなんかよりもずっと大切な経験だったに違いない。

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