« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

2009年11月30日 (月)

雑感:「JIN -仁 -」 第八話。

田之助さんの「一昨日来やがれ」。久々に聞いた言葉だった。
他人が汗水垂らして得た金を騙してせしめようとした悪徳医師を軽蔑する一言。
でもさ・・・

「音と生きやがれ」

って誤変換されるのは、カンベンな。(何そのミュージシャン。)
 
ということで、またまた「JIN」です。
今回も雑感をざっくりと。
 

■世の中、殆どの人が「恭太郎さん」だと思うのよ。他人を羨ましいと思い、劣等感を拭い去れず、焦り、途方に暮れる。特に道に迷っているときには、そんなことを考えるもんだと思う。龍の字の行動力や麟さんの「強さ」を持っている人なんて少数派だろうし、仁先生のように「俺にはコレしかない」ってものを持っている人も決して多くはないはずだ。
■でもね、「自分はこんなことしかできないから」としたことが実は大きな意味を持つこともありうる。「大きな仕事」ってさ、案外そんなものかもな。
■人は誰でも今できることを真面目にやればいいし、結局そうやって道を開いてゆくしかないのかもね。
■「先生は金策なんか出来なくたってぇいいんだよ。」勝先生は今回もまたニヤニヤしながら「ヒント」を出す役目だった。人には「天分」がある、と。
■「人はどんな者でも決して捨つべきではない、必ず何か一得はあるものだ」云々、というのはリアル勝先生の言葉だったわな。で、その一得は自分の努力と心懸け次第で伸びるもんだ、と。今の自分が野菜でしかないなら、誰か優れた人が水をやってくれても野菜の大きさにしかなれないんだよ、と。
■「写真」の謎が気になるなぁ。もしかして、未来さんがいない!とか? そ、それとも「俺がいない!!」とか??! 何なんだ、その「極めて残酷」って。
■やはりリョウマの「近目じゃき♪」って目つきがリアリティがあって良い。「センセィ~!」は何度聞いても可笑しいし。
■「あいつ、所謂『いい人』ってヤツでさ、ヘラヘラしてるだけなのに随分得してるよな」なんて、人当たりの良くて優しい人の悪口を言うヤツがいた。でもさ、人に優しくできる人、人が困ってるときにスッと手を差し延べられる人は、その人がピンチになったときに周りの人が助けてくれるんだ。そういう人は悪口を言ってる連中より社会の温かさを感じながら生きていくことができるに違いない。・・・「大きい器」「小さい器」じゃなくて「美しい器」(by濱口梧陵)。なるほどねえ。

 
・・・実はちょっと原作のコミックを覗いちまった(苦笑)。
何巻か忘れたけど・・・巻数はヒトケタだったと思う。

原作の仁先生はもう少し強そうで、しかもポーカーフェイスだ。
リョウマはもう少し重たいキャラクターだな。
「沈着(おちつ)いてな、なんとなく冒しがたい威権があつて、よい男だつたよ。」という勝先生の評を思い出した。
んで、勝麟太郎先生と仁先生は、もっと仲が良い。麟さんはあっさりライトなキャラクターだったが、ちょっといい男だった。

ドラマも好きだけど、原作のほうも好みかもしれん。
中身は時間が無くって殆ど読めなかったけどさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月29日 (日)

クリスピー・クリーム・ドーナツ。

Photo

えー、念願の「クリスピー・クリーム・ドーナツ」に行ってきましたよ。
1個160~180円てのはドーナツとしては安いとは言い難いんだけどさ。

食べてみた感想はですね、「普段はミ○ドでいいや・・と嘯いていても、ときどきは買うことになるだろう。」というカンジだ。

■オリジナル・グレーズド:
やっぱり基本だろう、ということで。フワリと柔らかく、きめが細かい生地のドーナツに砂糖をコーティング。優しい味だ。衒ったところがないから、飽きは来ないだろう。
■クッキーバニラ:
バニラクリームもコクがあってうまいが、クリームの中のクッキークランチのサクサクした歯触りが癖になりそうだ。サックリとした生地とクリームの相性も良い。
■オールドファッション・チョコレート:
単なるココア味のケーキドーナツだと思ったら大間違い。しっとりとした重めの生地とチョコレート味(ココアじゃなくってチョコだ)が、実に良くあっている。今回買ったヤツの中で一番「値段の高い理由」を感じることができたドーナツである。
■スウィートピンクストロベリー
ふわっと苺風味のパウダーシュガーが山ほどかかっている。中の苺フィリングは、ジャムというより「ソース」。フルーツの味が死んでいない。次回は「オールベリーズ」を買ってみよう。
■カスタード・マロングラッセ
安いモンブランに乗っかっているみたいなの(つーか、あれは芋か)じゃなくて、風味豊かな栗の味のペーストが塗ってある。中のカスタードはバニラビーンズ入りで柔らかめ。粉っぽくもなく、過剰に卵っぽくもなく、爽やかな風味&滑らかな口当たり。

画像はケータイカメラで撮ったからイマイチ美味そうではない。
もっと美味そうな画像とちゃんとした情報がお望みなら、こちら公式サイトへ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月28日 (土)

「夢酔獨言」解読用年表(PC用)

こちらで年表のリンクを張っておいたが、どうやらhtmlファイルの文字化けがデフォルトの状態みたい。何かそういうの面倒くさいんで、ブログに表を直接貼っつけておくことにする。ケータイではちゃんと見られないと思うけど御勘弁。
-----------------------------

「夢酔獨言」解読用年表 >>

年号(年齢) 小吉さんのあゆみ
1802年(1歳) 旗本・男谷平蔵さんの三男坊として生まれる。
お妾さん(別居中)の子だったが本妻に引き取られて育てられる。幼名「亀松」。
1806年(5歳) 凧喧嘩がきっかけで3つ年上の子供に唇を切る怪我をさせる。
罰として父に柱に縛られ、下駄で殴られて頭部から流血
1808年(7歳) 歴とした三河以来のお旗本、勝さんちの養子に。幼名を「小吉」と改める。
先代・甚三郎さん夫婦は老母と一人娘のお信ちゃん(5歳)を遺して他界、御家断絶の危機だった。(なお甚三郎さんも養子。)
養子縁組の真偽を確認する「判元見届」のとき、年齢と名を訊かれ「小吉と申します。歳は17で御座います。」と言ったら、小普請組支配の石川さんが「17にしては随分老けてるなあ」と笑う。

この頃20~30人を相手に大喧嘩。腹を切ろうとして米屋さんに止められる。
1809年(8歳) 40~50人を巻き込んでの大喧嘩。「竹槍」やら「なまくら脇差」やらまで登場する大騒ぎに。父のお仕置きで30日間押し込めに遭う。
1810年(9歳) 柔術を始める。
「男谷の悪戯っ子」として相弟子の子供やその親たちに憎まれ、稽古の帰りに40~50人ほどに待ち伏せさせて襲撃される

寒稽古で徹夜で美味いものを持ち寄って皆で食うイベントがあった際、相弟子たちに天井に括り付けられる。腹立ち紛れに上から散々に小便を引っかけて御馳走を台無しにしてやる
1811年(10歳) 馬術を始める。
1812年(11歳) 剣術を始める。
小普請組支配の石川さんの息子が「40俵は小高だ」と笑いものにするから、木刀でぶちのめして悪態をついて泣かしてやる
1813年(12歳) 聖堂で学問を始めるが、授業を抜け出してばかりいたので直ぐに退学処分。本人は大喜び。

毎日馬にばかり乗っていたら金がなくなって、親の金に手をつける
1814年(13歳) 毎日不味いものばかり食わせ、小言ばかり言ってくる養家の意地悪ばあさんの嫌がらせを、遂に兄の彦四郎さんの妻のおゆうさんに打ち明ける。
お父さんの計らいで毎日飯は自分で作って食べて良いことになるが、醤油に水が入っていたり等、意地悪は続く。
1815年(14歳) 意地悪に耐えられなくなり、出奔
上方へ向かうが、浜松で「ごまのはい」に遭って身ぐるみ剥がされホームレスに。病気になったり道ばたに倒れたり女郎屋の客に助けられたり駕籠に乗せてもらったり・・・といろいろな経験をする。

夏に箱根山中で野宿。夜に寝返りを打った拍子に崖から転落し、キンタマを強打。腫れ上がって膿が溜まり死ぬ思いをするが、隠し通して全治2年

*「ごまのはい」について
旅人のふりをして道中で盗みをする輩。
由来=胡麻にハエが混ざっていても解りにくい→盗人が旅行者に紛れていて解りにくい→「胡麻の蠅」、高野聖の格好をして護摩の灰とやらを押し売りした連中がいた→「護摩の灰」
1817年(16歳) 御番入(就職)しようとして、小普請組の頭に御機嫌伺いに行くが、自分の名前も書けなくて困る。乞食をした話を正直にしたところ「よく修行したな」と感心される。

従兄弟(男谷忠之丞さん。新太郎&忠次郎兄弟の父)の家の用人・源兵衛さんに喧嘩のしかたを教わる。八幡のお祭りの日に早速この源兵衛さんと新太郎・忠次郎兄弟と4人で連れ立って喧嘩をしに行く。50人相手に大立ち回り

以来、毎日が「喧嘩の稽古」
この年の暮れには例の4人で浅草市で大喧嘩

*男谷新太郎
後の剣聖・男谷精一郎信友。後に兄・彦四郎さんの養子になるので、小吉さんにとっては家系図上は甥っ子に。1798年生まれと伝えられているが、1810年説もある。子母沢寛先生の「父子鷹」では精さんは小吉さんの8コ下ってことになってる。1810年説のほうか。

次兄の同僚に吉原に連れて行かれ、女遊びにハマる。遊ぶ金欲しさに兄のところから年貢の金を200両盗み、代わりに石ころを入れておくが、勿論すぐにバレる。
1818年(17歳) 忠次郎さんと剣術の手合わせをしたら、ボロ負け。団野源之進先生のことを聞いて、弟子入り。剣術に明け暮れる。もともとスジがよいので、めきめき上達。
1819年(18歳) 道場破りが趣味に。他流試合を商売にみたいにしているうちに大勢の子分が出来たので、怖いものがなくなる。平山行蔵先生のとこに出入りするようになったのもこの頃。

お信さんと結婚。

交際費が嵩んで借金まみれになる
1822年(21歳) 遂に一文無しになり、再び出奔。日本国中を斬り合いをして歩き、斬られて死んでも悔いはないと思って、剣術道具一式を抱えて東海道を走り出す。

7月、精一郎さん(新太郎さん)が迎えに来て、江戸に送還。父の平蔵さんが3畳の座敷牢を拵えて待っていて、そこにぶち込まれる。柱を2本抜けるように細工をしたが、逃げるのをやめて手習いをすることに。(24歳までの3年間、毎日読み書きの練習。)
1823年(22歳) 第一子(長男)誕生「麟太郎」(`・ω・´)と名付く。

小吉さんは勿論まだ座敷牢の中。
1825年(24歳) 「息子が3歳になったから家督をやりたい」と父に話したら「一度は人並みに奉公しろ。その後は好きにすればいい」と諭されて就活。毎日裃姿で有力者を訪ね歩くが、上手くいかない。

天野左京さんという人に土地を借り、家を建てる間は2階に居候。左京さんが突然病死、天野家の本家が左京さんの家を潰そうとするのを全力で阻止。

人の家は収めたが己の家は収まらない、と困っていたら老人が一言。
「怨みを恩で返すようになさい。」
で、その通りに生きる決意をする。
1827年(26歳) 昔いろいろ世話を焼いてやった山口鉄五郎さんのところに引っ越し。

刀剣の売買を始める

父・平蔵さん死去。心底ガッカリする。

吉田兵庫という神主と親しくなり、頼まれて亥の日講を主催。500~600人が加入。この神主の根性が曲がっていることが判り、自分が顔を利かせて加入してもらった分については契約解除。暫くして亥の日講は潰れたらしい。

この頃より暇にまかせて浅草や吉原を遊び歩く。刀剣の露天商、鑑定、研ぎ、胴試しなどで生計を立てる加持祈祷を習い始めたのもこの頃。
1829年(28歳) 自分は就職できないでいたのに、長男・麟太郎くん(7歳)が奥勤めの「お役人」に
大奥勤めの親戚のおばちゃま(阿茶の局さま)に御殿のお庭見学に連れて行ってもらったとき、大御所家斉公に大層気に入られて、初之丞さま(5歳)の御学友・遊び相手に大抜擢。

*麟太郎くんの殿様生活について。
9歳までは大奥の阿茶の局さまのお部屋で生活していたが(9歳になったら男子禁制ルールに引っかかる)、お美津の方さま(後の本寿院さま)なんかに「麟さん、麟さん」とメチャクチャ可愛がられたらしい。子供の頃の麟さんは女の子に間違えられるほど綺麗な子供だったとのこと。
1830年(29歳) 入江町の岡野孫一郎さんの土地に引っ越し。

白米ばかり食べていたら脚気にかかる
1831年(30歳) 御殿から帰ってきて本の稽古に通っていた麟太郎くんが犬にキンタマを囓られるという大事故に遭って死にかける。小吉さん、毎日毎晩暴れ散らし、たったひとりで抱いて看病をし、裸参りをする。近所の人に気が狂ったかと思われる。麟さん70日で完治。

*本書には坊やの怪我の具合については記述なし。子母沢寛先生の作品やマンガ「風雲児たち」では玉を片っぽ喰われちゃったことになってる。山路愛山先生の伝記本の古典「勝海舟」によれば袋を「食い破られた」ことになってる。真相は不明。・・・す、スミマセン、話題がお上品で。

岡野孫一郎さんの揚げ代(女遊びや飲み食いのツケ)が溜まって訴訟に発展しそうになる。駆けずり回って丸く収めてやる。
1835年(34歳) 娘が生まれる。(実は彼女の上に2人ほど女の子がいるらしいが、彼女らのことはよくわかっていないのだ。ひとりは「おはなさん」って名前みたいだけど。)「順子」と名付く。
1817年(36歳) 銭座の息子・熊さんと吉原で大喧嘩。2階から熊さんを投げ落としたら、暫くして20~30人ほどの鳶口を持ったヤツらに店を包囲される。

浅草市に多羅尾七郎三郎さん、男谷忠次郎さんらと5~6人で連んで出掛けたところ、多羅尾さんがイキナリ侍に禿頭をぶん殴られる。小吉さん、仕返しに侍の帯を切断
1838年(37歳) 隠居。「夢酔」を名乗る。
16歳になった麟太郎くんが家督を継いで小普請組に入る。

*隠居を決めた理由。
何か悪行が祟って御家がどうの(お取潰とか)、ということではない。長男の麟さんが初之丞さまの側近として一橋家に召し抱えられることが内定していたため。麟さんが当主となる準備として小吉さんが隠居をする届け出をしたということらしい。
初之丞さまは前の年、元服して慶昌と名を改め一橋家の当主に。しかしその慶昌公は1年も経たないうちに亡くなってしまい、麟さんの出世の話はオジャンになってしまう。

この頃、剣豪・島田虎之助さんと親しくなる。虎さんは息子の柔道の相弟子で、精一郎さんの高弟。この頃浅草で道場を開いたが、精さんの言いつけで麟さんが内弟子に入ったため、小吉さんが挨拶に言ったのが親しくなったキッカケ。小吉さんは、虎さんが田舎から来た堅物(中津藩士)と聞いてわざわざ派手な着物を着て会いに行き、吉原に連れ込んでキモを潰してやったとのこと。

虎さんの勧めで香取・鹿島に参詣。

「大川丈助一件」。岡野家を襲った難事件を見事に解決、関わった連中に怖れられる。
1840年(39歳) 摂州に無断で行ったことが支配頭にバレて、外出禁止(他行止め)に。

この年、長兄・彦四郎さん亡くなる。

茶道を始める
1841年(40歳) 大病。身体が浮腫んで寝返りも打てなくなる。(脚気が悪化?)

老中・水野さまの御改革のとばっちりで不良旗本のブラックリストに載ってしまい、支配頭から文句が出て「同役預」に。息子と同じ小普請組の保科栄次郎さんちに押し込められる。

*同役預の実態
麟さんの話によれば、この同僚の家は二間の広さしかなかったらしい。家は4両2分で売り払われ、麟さん大迷惑。(→「氷川清話」) なお小吉さんは病状が悪化、腰が抜けて立ち上がれない状態にまでなったらしい。
1843年(42歳) 初夏「平子龍先生遺事」、初冬「夢酔獨言」執筆。

*翌年、虎さんとこで無茶苦茶な剣術修行をしていた麟さんが免許皆伝に。その翌年にお民さんと結婚し、そのまた翌年には赤坂に転居し、父母と別居。
1850年(49歳) 嘉永3年9月4日、勝左衛門太郎惟寅、大往生

*実は小吉さん&お信さんのお墓は江戸じゃなくて静岡にある。御一新の後に幕臣が静岡藩に強制移住になった影響なんだと。

-----------------------------
追記(11.29.):
小吉さんは、いろんなとこからいろんなことを頼まれてるんだが、難事件を持ち込まれても、ドンと引き受けて快刀乱麻を断つ如く解決しちゃってるんだよな。困難があると召し出されるのは、息子の麟太郎くんと一緒。英吉利を動かして露西亜軍を対馬から立ち退かせたり、大奥の贅沢をやめさせたり、官軍の総攻撃を食い止める談判をやったり。
無欲で潔い下町の大親分と、明治政府内で面と向かって逆らえる者もなく外国人からも信頼されていた大規模政治家の姿がかぶって見えるわな・・・と思ったら、「夢酔独言」の解説で速水先生も似たようなことを仰有ってた。思うことはみんな一緒のようだ(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月27日 (金)

幕末明治廃人な朝だった。

まったりと朝飯を喰っていたら、父がまったりと一言、

「おい、白虎隊の白虎は、『ホワイトタイガー』かねぇ。」

そんな訳ねぇだろ、だいたい何で英語なのさ?と思いつつ…

「じゃあ青龍は?」

「ブルードラゴン!(得意満面)」

予想通りの答え。「玄武は?」って訊こうと思ったけど、やめた。

朝っぱらから白虎隊青龍隊。
脳内が瞬間的に幕末明治に模様替えされたところまでは良いとして(いや良かねえって。汗)、まだ金曜だと云うのに例の師弟コンビ、龍の字&麟の字が脳内を占拠。

(*´A`)「ほいたらーわしゃあー『どらごん・ほぉす』ーですかぇのぅー、センセィ!」
(`・ω・´)「ん。じゃぁおいら、『びくとりぃ』」

自分で思いついておきながら文句を垂れるのも如何かとは思うが、…もうね、阿呆らしくって死にそうだ。しかも最近「阿呆」という言葉を聞いた瞬間「おいらアホウの守(かみ)だからよぅ」って台詞が何処からともなく降ってくるし…。(勝先生は「安房守(あわのかみ)」が結構気に入っていたらしい。「安房は関八州の隅っこの、八州一小せえ国だ。それに見ねぇな。この字は『アホウのカミ』って読めなくもねえじゃねえか。」ってことで。笑)

いつまで続くんだ…幕末明治廃人生活。
世の中の歴史好きの人の頭ん中って、こんなふうに昔の有名人たちが闊歩してたりするもんなんだろうか(苦笑)

…しねえよなあ(´・ω・`)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

酉の市@花園神社

酉の市@花園神社
神社好き的には嬉しいイベントである「酉の市」。中学から連んでる仲良しと一緒に出掛けてきたぞ。
折角行ったんだからブログのネタにしようと張り切っていたが、当日24日も昨日も一昨日も更新できず…。
このままだと永久にネタにしそびれそうだから写真を上げておくか。

寒かったけれど、商売繁盛と明るい世の中を願う沢山の顔に出会えたし、アツアツの「おやき」もイイダコが丸ごと入ったデッかいタコ焼き「ハミダコ」も美味かったし、可愛いミニサイズの熊手も買えたし、何だか心がホッコリしたわ。

私信:
来年もゆこうや。んで、またタコでも食べよう☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月23日 (月)

雑感 : 龍の字ッ!! (JIN第七話)

キッ○ー○ンよりヤ○サの醤油のほうが美味いと思っていたことを、大声で白状したくなるような回だった。
ドラマの中の話だって解ってるんだけどさ・・・しかし、何だこのリアリティは。

■さよなら、洪庵先生。
種痘を広めるのに血の滲むような努力を重ね、理解してもらえなくって辛い思いもし、故郷から離れて故郷を思いながら、医術の発展の為に尽くした緒方洪庵先生。この人を仁先生の理解者とし支持者としたところに作者(原作者か?)の教養の深さを感じたのは、自分だけ?
おそらく、洪庵先生は貴賤貧富の差で医療が受けられる人とそうでない人がいることを悲しみ「平らな世」のために・・・という話をしたんだろう。今の世の中だって、科学の進歩とやらの恩恵を受けられない人なら沢山いるよ、洪庵先生。

■未来さんの位置付け。
勿論「未来(みらい)」の象徴なんだろうけどさ。ストーリーそのものに必ずしも関わらなくてもよい存在なのかもしれないとは思うんだが、でもほら、毎回仁先生が写真に向かって話しかけるだろ、あれって一種の「総括」だと思うのね。そういう意味ではストーリー自体より、ドラマの進行に必要な人物なのかもしれぬ、と思った次第。

■勝先生の位置付け。
要は「冷めた覚醒者」か。この人はいつもニヤニヤしているか白っとぼけているか、どちらかだが、この人だけは「道に迷わない」キャラクターとして描かれていると見た。まあ、リアル勝先生も、誰よりも時代が見えていたにも関わらず最後まで迷わず幕臣であることを通した御仁だったからねえ・・・。

■労咳の薬って、何とかマイシンだよな・・・くそっ、名前が出てこねえ。流石の仁先生もそれは作れないか。

■自分だからこそ出来ることは何か?
これが今回のテーマかな。
海岸で語り合う師弟コンビ。外国の軍艦を幕府が修理し、その修理してもらった軍艦が同じ日本の長州を叩いている現実に納得できない龍の字。「センーセィはそれでええがかっ!?」と師匠に詰め寄るが、詰め寄られた麟さんは白ッとぼけた表情のまま言い放つ。「おいらァ幕臣だよ。」幕臣だから何でもやれる。幕臣だから呑まなきゃなんねえこともある。そこでリョウマは気付く。自分は何にもない。しがらみもない。そんな一介の浪人者だからこそ、できることがあるのではないか・・・と。
仁先生も出来ることを精一杯やろう。一生懸命やった先にある未来が悪いはずはない、と心に決める。
洪庵先生も、仁先生の医術とより良い未来のために出来ることをした。山田先生も命がけでペニシリンを守った。(山田先生が出てくると和むわ。笑) あとは・・・恭太郎さんだけかね。
「今自分に出来ることを精一杯やる。それが現在、そして未来に対する責任だ。」そんなカンジかねえ。

そんなアナタ(って誰だよ)に、一言。

「人は皆さまざまにその長ずるところ信ずるところを行へばよいのサ。
社会は大きいから、あらゆるものを包容して毫も不都合はない。」


出典は勿論「氷川清話」。(爆)

-----------------------------

メモ:濱口梧陵 (1820 - 1885)
7代目・濱口儀兵衛。実業家、社会事業家、政治家の顔を持つ実力者。幕末期に医学の発展に大きく貢献する活躍をしたのは史実。
彼の友人に渋田利右衛門さんって豪商がいる。彼は自分が援助していた貧乏な若者に「私が死んだら困ることもあろうから」と濱口さんを紹介したことがある。その話と「JIN」第七話はまったく無関係なのかなあ。・・・その若者こそが「軍艦奉行並」なんだが(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月21日 (土)

『夢酔獨言』を読む会②解読用年表&感想文

「夢酔獨言」を読む会①を更新してから、随分時間が経っちまいました。

何だか纏まった時間が取れなくって滞っていた年表作成作業ですが、何とか完了したんで貼り付けておきます。

Nenpyouthm
☆ もし文字化けしていたらブラウザの「メニューバー」から「表示」→「エンコード」→「日本語(シフトJIS)」を選んで下さい。
それで駄目なら、お手上げだわ^^;

感想文(長い。怒):
勝小吉「夢酔独言」(教育出版)

2度目の出会い
作者が「夢酔独言」なる奇怪な本に出会ったのは、もう15年程昔のことになろうか。言語研究家の間でも珍重されていると云う伝説の自叙伝。大喜びで読み始めたのは良いが、この本、実に読みにくいのである。旧仮名遣いや古語のせいだけではない。誤字脱字は多いわ、平仮名ばかりだわ、無茶苦茶なのだ。「えい勇ごうけつとおもつたゆえ」なんて書いてあっても、「英雄豪傑と思つた故」と自分で翻訳せねばならない。大部分が素敵な口語体で書かれているのは解るから、読めたところくらいは理解できると思ったが、当時の風俗や文化についての知識がまるでないこともあって話の内容がなかなか繋がらない。最後まで目を通したが、どうもそれだけで終わったようである。未成年の私に理解できたことは、夢酔先生は無茶苦茶な人生を送った豪傑だ、ということだけだった。
で、大人になってだいぶ経ったある日、この「夢酔独言」をもっと「簡単」に読める本が出ていることを知る。それが、本書である。子供でも読めるようにちゃんとルビまでついている。註の内容が「これ、社会の先生じゃなくて国語の先生が書いたな?」と思われるような明らかに怪しい部分もあったりするのだが、まぁそれくらいはご愛敬である。

不思議な文体
つべこべ論じるまでもない。ちょっと読めば解るほど、魅力的な文体なのだ。坂口安吾も大絶賛しているという、強烈なオリジナリティーである。(実はまだ「安吾史譚」読んでないんだよね・・・いつか読んでやろうとは思っているんだが。)

親子って似るもんだ
本書の著者・夢酔勝左衛門太郎惟寅は筋金入りの不良旗本だ。剣も喧嘩も滅法強かったから、なおさら始末が悪い。喧嘩と道場破りに明け暮れ、剣術の他流試合の元祖になってしまうばかりか、「さむれえ」の本分を離れて下町の大元締におさまってしまう。第一子である長男が生まれたときは実家の座敷牢の中だ。子供は大切にした夢酔先生だったが、三歳になったばかりの倅に家督を譲って隠居しようとしたりする。
この倅が勝麟太郎義邦、後の政治家・勝海舟だ。不良旗本の父と大規模政治家の息子。この親子は何もかもがそっくりである。本書がわざわざ「氷川清話」(流布本のほう)の一部を載せているのは、その談話の奔放さ、歯切れの良い江戸弁の小気味よさ、それからストーリーテラーとしての才能の中に、本書と同じ香りを感じ取ってもらいたいとの配慮かもしれない。本書を読む限り夢酔先生は「義邦は俺と違って真面目で立派だ」と思っているようだが・・・どうやら先生は大きな勘違いをしていなさるようだよ。
夢酔先生の機転、潔さ、豪放磊落な人柄、人助けを喜ぶところ、金のやりくりの上手さ等々は(それと、余計だけど本格的下戸で滅法女好きなとことかも)、確実に麟さんへと受け継がれている。「夢酔独言」にある喧嘩や大芝居の話と、「氷川清話」にある政治絡みのバカでかい話は、読み比べれば読み比べるほどその本質的部分において近いものに思えてくるから不思議だ。
目の前に転がっている面白いことを逃さぬように一日一日を精一杯愉しみ、下町の人情の中こそがおのれの世界だった「下町の大親分」夢酔先生。広い世界を手に取るように眺め、愛おしみ、自分が歴史という大きな流れの中にいることを片時も忘れなかった「大政治家」麟さん。二人に違いがあるとすれば、まぁそんなところだろう。たいして文章力のない自分が、これ以上論じようとするのは野暮天であろうから、ここらでやめておく。
しかしまぁ・・・つくづく、親子って似るもんだ。

奇禍
この親子の話をするなら、触れずにいてはバチが当たりそうな話題がある。
「犬」である。人の世に怖いモノなど何もない麟さんにも怖いモノがあったという話である。「おれは天下に恐ろしいものを二人見た」という有名な談話の話ではない。横井先生や西郷さんを「恐い」と言っているのは、笑い話の「まんじゅう恐い」みたいなもんである。麟さん一流の「レトリック」である。
江戸は「犬のクソ」が多かったそうな。犬が往来をウロウロしているのが普通だったからではないかと思うのだが、どうだろう。麟さんは、強盗や辻斬りではなく野犬が恐かったらしい。
夢酔先生が自分の孫や曾孫のために書き残したはずの「夢酔独言」は明治時代には孫や曾孫以外の人間の目に触れてしまったようである。(確か「旧幕府」なんかにも納められていたような・・・。)いずれにしても「ある日けいこにゆく道にて病犬に出会ってきん玉をくわれた」というくだり、初めて読んだ人はビックリしたことだろう。まぁ、こんな大事故に遭ってトラウマにならないほうがおかしいのである。なお、やられた場所が場所なので麟太郎くんの将来について余計な心配をしたくもなるが、彼の子供を授かった女性が何人いるかさえ実は判っていないというのだから、心配するだけ無駄である。彼は寧ろ暴走気味だ。

大河ドラマ「夢酔独言」(仮)を作りゃあがれ
夢酔先生は「幕末」を待たずに泉下の客となった。日本の歴史の大きな流れの中で、この先生が何をしたかと言えば、何もしていないと答えるより仕方ない。それでも、この先生は偉大である。理由を述べるまでもない。俊異卓抜たる怪政治家・勝海舟の父であるということだけですべての説明がついてしまうからだ。
こんな人をNHK大河ドラマの主人公にするわけにはいかないかね。本書に書かれた喧嘩上等無頼放蕩抱腹絶倒(←一応韻を踏んでいる。爆)な幼年時代からの話を、やたら丁寧に、しかも大真面目に描くのよ。「黒船前夜」の江戸の情緒たっぷりに。
年上の甥・精一郎さん(=若き日の剣聖・男谷信友)たちと連んで路上で大立ち回りをやった話なんか、実写化すると面白いぞ。それ以外にも、就活に失敗する話とか、大芝居を打ってトラブルを解決する話とか、エピソードには事欠かない。後半、息子が生まれてからは「破天荒な父性」とかをテーマにしようかね。そんで、新時代を予感し夜な夜な洋書の風呂敷包みを抱えて蘭学修行に行く息子のヨレヨレの着物の後ろ姿を見送りながら「息子よ、荒波を超えてゆけ」なんて呟いたりするわけよ(爆)。

余談だけど、他に作ってほしい大河ドラマは、鉄道の父・佐藤与之助が主人公のヤツ。この人は、「天保の三剣豪」のひとり、島田虎之助先生に剣術を習いたかったはずなのに、何故かその愛弟子の勝麟太郎から洋学を習うことになった庄内人ですわ。(なんか説明を端折りすぎてる気もするが・・・。)それから横浜開港に並々ならぬ功績のある人でもある。こういう与之助さんみたいな人を主人公にすると地味~に感動的な話が出来そうなんだがなぁ。2010年の大河(リョウマだったな。)で与之助さんが登場しなかったりしたら、泣いてやる(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雑感:映画「UDON」

いろいろやることがあった筈なんだが、何故か昼間っから映画「UDON」なんか観ちまった。
ストーリーやキャストはだいたい知ってはいたんだが、観るのは初めて。

「人を笑わすのは簡単。美味いものを食べれば、みんな笑顔。」(要約)

芸人を目指して挫折した主人公に、製麺所に命を懸けて饂飩を打ってきた不器用な父の幽霊が言う。

これって「食」の話に限らず、「職」すべてに言えることかもね。
「仕事」って、誰かの笑顔のためにするものじゃねえのかなって。
他者に奉仕してお金を戴く、って言っちゃうと味気ないんだけどさ。
誰かを踏みつけたり泣かしたりすることで「金を稼ぐ」んじゃなくって、
誰かが笑顔になって、或いは泣きやんで、
その数に比例して報酬が貰えるとしたら、
仕事としては理想的だな、なんて思ったりしてさ。

コミカルなノリの中に、ホロリとさせられるものがある。
キャスティングも含めて結構好みの映画でした。

しかし・・・風采の上がらない小男の役がピッタリだね、小日向さん。
全然駄目そうに見えて、妙な存在感があるわ。
まあ、善人風殺人鬼の役とかも似合うけどな。
ついでに「軍艦奉行並」も(爆)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暴君ハバネロ

暴君ハバネロ
デビュー当時から贔屓にしている東ハトさんの菓子「暴君ハバネロ」。こんな辛えスナックを年中喰らいたいとは思わないんだが、時々無性に買いたくなる。

「問答無用のウマ辛さ!」とあるが、確かに問答無用に辛く、それでいてフランス料理屋のコンソメスープ並(?)に野菜やチキンの風味がちゃんとするのである。過剰にスパイシーだが、香辛料臭くない。暴君ハバネロってネーミングこそ「ネタ臭」がするが、この菓子は相当真面目に作ったもんに違いない。

少量のカプサイシンは胃粘膜再生に役立つそうだ。やはり時々コイツを食したくなるのは、自分が胃弱傾向だからなのか(爆)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月20日 (金)

怪料理:しゅうまい湯豆腐

しゅうまい湯豆腐
昆布だしを「これでもか」と効かせた白菜入り湯豆腐に、シュウマイ1パックを投入、煮立ったら火から下ろしてハイ出来上がり。 (作・おとん)


寒い日は鍋物に限るぜよ (´∀`)b 今日の関東の寒さは異常だったからな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月19日 (木)

本、買った。

本、買った。
金も無いのに(笑)。

忘れそうになりながらも何とか毎週買い続けてる「週刊マンガ日本史」と「海軍本」2冊。海軍のほうはブッ○オフでゲット。

「日本海軍、錨揚ゲ!」は、海軍を愛する阿川先生&半藤先生の面白対談本。「日本海軍の歴史が…」は、「日本海軍の興亡」に続いて2冊目の海軍歴史本。表紙の人物の人選がなかなか好みだ(笑)

まぁ、ゆっくり読むとするかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月17日 (火)

欅並木。

俄に近所の欅並木が冬支度を始めたような。。。

小学校6年の頃、何もかもが馬鹿らしくなって学校を抜け出したことがあった。
師走の始め、薄曇りの日だった。

マンションの最上階から落葉の進む欅の木を眺め、風に舞う落ち葉のカサコソ云う音を聞きながら、平日の真っ昼間の不思議な静寂に驚いたっけ。

寒かったし泣きたいような気分だったけど、何故か幸福な時間だった。

もう11月も半ばを過ぎたんだな。

紅葉が本格的に始まるのが、最低気温が摂氏10度を下回ったとき、
落葉が本格的に始まるのが、最低気温が摂氏5度を下回ったとき。

確か、そんなデータがあった気がする。

こりゃ紅葉も進むはずだわ、と思いながら歩いていたら、ふと昔のことを思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月16日 (月)

メモ:「おとなの週末 12月号増刊 ゴクウ」

メモ:「おとなの週末 12月号増刊 ゴクウ」
【特集記事】
半藤一利 語り下ろし
幕末心理戦争
西郷隆盛と勝海舟
「日本を変えた虚々実々の暗闘」

11月14日発売、840円。(画像は一昨日の新聞の広告。)
うむ…半藤先生かあ。吉之助さーvs麟さんかあ。

よ、読みてえ(ゴクリ)
-----------------
なお、此方で使われてる妙に面構えのいい麟さんの写真は、1860年にメリケンで撮ってもらったもの。日本人を写したティンタイプ写真(黒いエナメルをひいた金属板に現像)は珍しい。時間が経っても写真が傷みにくい長所はあるが被写体が黒く写るのが難点。この写真もヤケに黒いが、被写体が船上で日焼けしたという訳じゃないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メモ:「JIN -仁-」第六話

外出先で騒々しかったけど、何とか見れたから感想をば。

■自分がそいつのせいで捨てられても人の命を奪ったりはしない、と啖呵を切った奥医師・多紀先生のプライド。アレは本物だ。
■「道」は自分だけの「抜け道」であったり「逃げ道」が用意されてちゃいけない。そうでないから「大道」なんだ。ね、そうですなあ、洪庵先生。
第三話の「誰も歩いてない道でも、正しい道なら仲間はついてくる」ってえリョウマの台詞と被るなあ。
■「欲は生の源。欲のない人間は死人と同じ。」by リョウマ。
実は最近ずっと考えてたことがあってね。「どう生きるべきか、なんて寝言みたいなもんだ。大事なのは意思だ。それに基づく行動だ。規範や他人の評価なんかじゃない。そうやって自分の価値が決まるんだ。」…みたいなこと。そんな自分の最近の気分にピッタリ寄り添う台詞だった。
■生きたい、と思うこと。そして生きていること。それ自体が生きる意味だったりしてな。
■「やい、おいらの出番はこれっぽっちかよぅ。」って台詞が聞こえてきそうだ。もっと活躍しやがれ、軍艦奉行並。…ていうか、もしや勝さんの中の人(=小日向文世さん)、ご多忙なのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月15日 (日)

坂本龍馬と相撲。

最近、週末になると勝先生とリョウマのコンビが頭の中を駆け回っていて困る。

TBSのドラマ「JIN」のせいかなあ(汗)

「なんだい、攘夷の先駆けとばかりにおいらを斬りにきたのかい。ふん、まあいいさ・・とにかく上がんなよ」とか「センーセィ(最初の「せ」にアクセント)の言葉には国を思う至誠が溢れちょるぜよ。勝センセイ、わしを弟子にしとーせ!」みたいな台詞がグルグル回っているんだ。騒々しくっていけねぇや。

旧暦の今日、11月15日は、その坂本龍馬の誕生日であり、命日です。
なので、勝麟太郎贔屓の当ブログ的には、先生とリョウマの文久年間のエピソードを話題にしておこう。

-------------------
「私は、しじゅう先生を牛若丸といいました。
キレイで、細オモで、小さくて、剣術柔術が上手で、イクサが上手で、
本当に牛若のようでした。
長崎で、龍馬と相撲を取られました。
坂本は、大キナ男で、セナカにアザがあって、毛が生えてネ。
ハア、一緒に湯などにも這入りましたから、ヨク知ってます。」

上背があって体格は大きいけれど柔術を知らないリョウマと、
身体は小さいが柔術は強い麟太郎先生。
小さな先生がでっかいリョウマにくっついてる様子は「鶴に鷹がとまったよう」で見物(ミモノ)だったそうだ。

上記は文久4年2月9日の長崎出張の折りに一緒にくっついていった高木三郎さんの回想談。
聞き手は巌本善治さん。取材は明治32年。
この巌本さん、談話を記録させればピカイチという御仁です。彼独特の読点の位置やカタカナ表記は、語り手の口調や呼吸を再現しようとする工夫なんだと。

高木さんの談話、個人的にポイントは2つ。

1つめは、相撲。勝先生はこうやってよく弟子たちと遊んでいたんじゃないか、って。
長崎に行ったからってイキナリ相撲を取る気になるのも変な話だし、普段からこういう触れ合いのない師弟が突然「はっけよい!」なんて出来っこないだろうし。
「若い人のプライドを大事にする」「大きな仕事を任せて成長を促す」「弟子は自分より出世するかもしれない存在」「人間の価値は身分や立場で決まるもんじゃないから人として対等に扱う」「自分が率先して現場でお手本を見せる」というのが、教育者・勝先生のやり方なんですな。優秀な弟子だったリョウマは福井の殿様と資金援助の交渉をする等、大きな任務をポンと任されたり、先生が偉い人と会うときに一緒に連れていってもらったりしてる。
でね、この「リョウマと相撲」のエピソード、そういう師弟が活動する神戸海軍塾や赤坂氷解塾なんかの自由闊達な雰囲気を伝える象徴的な話のように思えてならんのですわ。師弟の絆(?)みたいなものを感じるとこも滅法素敵だ。

もう一つは、先生が「義経様」ではなく「牛若丸」だ・・・ってとこね(笑)
ええ、大人じゃなくって子供のキャラクターなんですな。
小さくて身軽で生意気で武術ができるお伽噺系美少年キャラの代表・牛若丸。映画やドラマの中で、そんな「牛若キャラ」の男の「中の人」が歳を取りすぎてたり重すぎたりするのはどうかと思うのは、この談話のイメージを壊すのに賛成できないからってのもある。(苦笑)
そういや司馬先生の作品(「胡蝶の夢」だったかな。殆ど読んでない。)の中に勝さんのことを「妖精のようで気味が悪かった」と表現した箇所があったけど、「妖精」って喩えは「あちこち出没する」という意味だけではないんだろうね。

余談。
この出張の約10ヶ月後の12月6日、長崎にて先生の戸籍上(公認というのが正しいか)の6番目の子供・梅太郎さんが生まれている。
ねぃ麟さん、忙しい出張の間に暇を見つけて一体何をやっていたんだい。
  
この色男め。(-_-;

------------------
メモ:高木三郎(1841〜1909)
庄内藩士、江戸生まれ。勝先生の愛弟子のひとり。日本最初の駐米大使とか領事とか云うべき人。日銀総裁も務めた富田鐵之助さんと一緒に勝先生の長男・小鹿(コロク)さんにくっついてメリケンに留学。
口ではただ「おめえら倅の付き添いで行ってやってくれ」と言いつつ、優秀な弟子を外国で自由に勉強させてやる勝先生はなかなか立派だ。
なお、この高木さんと富田さん、1899年には先生の棺を担いでいる。

■顔写真が載ってる頁「近代日本人の肖像」
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/118.html?c=0

------------------

…以上、外出先から更新いたしました。
果たして「JIN」の放送時間まで帰れるんかいな(´・ω・`)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月13日 (金)

ひょっとして今日は

13日の金曜日だ(;゜▽゜)

だからといってどうするって訳でもないんだけどね…オイラ切支丹でも耶蘇教徒でもないし。(おんなじか)
…いや何、小学生の頃まるで何かのイベントみたいに皆で大騒ぎしたっけなあ、と思ってさ。

取り敢えず、今日と云う日が平和でありますように。アーメン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月12日 (木)

午後の紅茶 チョコレート

午後の紅茶 チョコレート
まずペットボトルの蓋くらいのプリン型に、滑らかなミルクティー風味のチョコレートを流し込みます。チョコが固まらないうちに、口溶けの良いミルクティー風味のクリームを冷やしたものを落とします。(此処でチョコの中にクリームが沈みこむ。)固まってきたら、ミルクチョコレートをスレスレまで流し込みます。冷やし固めたら、出来上がり!

…みたいなチョコ。

カバヤの菓子ってったら「ジューC」くらいしか思いつかないんだが、「午後ティーチョコ」も悪くないよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月11日 (水)

メモ:「JIN -仁-」第五話 +リョウマのキャラクター考。

■山田先生、すっかり仁先生のシンパだね。いいキャラだ。
■咲さんの「皆さんでどうぞっ!」は面白かった。せっかく喜んで貰おうと「青カビ」を持参したのに先生がいなかった。その戸惑いの表情といい、それを隠すための振る舞いといい、可愛い演出だったと思う。弁当だと思って喜んだお医者さんたちも何とも可愛らしい。人間っていいな、と思える場面だった。
■咲さんの「イテッ」には笑った。御旗本の姫様っぽくないとこが^^(まぁ「殿様」と云われる立場の勝さんが「べらんめえ」なくらいだからな。爆)
■花魁の野風さんが、夕霧姐さんの「おさらばぇ・・」に「あい、おさらばぇ。」と切ない笑顔で応えるシーンね。あれ、凄いわ。中谷さんと高岡さんの演技も良かったんだが、これ脚本や演出も相当イケてるよ。「行かないで~え」とかってぎゃあぎゃあ騒がないところが却って悲しみ(そして哀しみ)を際立たせている。
■梅毒の患者って本当は見た目的にももっとヤバいものらしいが、しかも病状が進むとペニシリンもロクに効かないものらしいが、そんなとこでリアリティを求めるのは無粋ってもんだろう。結局大事なのは「何を表現したいのか」という部分であり、観たヤツらが「何を感じるか」なのである。そこで作り手と視聴者の心が少しでも繋がれば、成功なんじゃないかね。
■洪庵先生、予告では死にそうになってたな。そういやこの御仁、文久3年に亡くなっちまうんだった。
■佐分利先生@華岡流・・・ハメられるのか(怖)いよいよ「出る杭は打たれる」モードに突入なのかな。
■龍馬の中の人(=内野さん)、今回も如何にも目が悪そうな目つきが宜し。(自分も目が悪いから、ああいう表情になるのは納得。)龍馬、勝先生んちの居候の癖に小さくなってお行儀良くしたりする気がなさそうなとこがウケるし。「こーゆーヤツだ」(←よく通る声+凄い早口)って諦めてる(?)先生も素敵だ。

-----------------------------
【坂本龍馬と云うキャラクターについて】
龍馬はガサツなわけでもお行儀が悪いわけでもなくって「常に自然体」で振る舞っていただけなんだ、と自分は密かに考えている。
ついでに小汚いのが好きだったワケじゃなくて、無理して見栄を張ったりしないだけだったんじゃないかとも。
唐突だけど元首相の細川護煕さん、あの人は若い頃乱雑な部屋で暮らし、いつもヨレヨレのコートを着ていたそうなんだが、どうも龍馬も似たところがあったんじゃないかと思えてならんのですわ。

彼の書いた手紙や遺されたエピソードから考えると、物事に凝滞せず形式や外見にも拘らないが、人に対しては驚くほど繊細な気遣いができた人、人の気持ちを大切にし、また深く理解しようとした人だと思えてくる。
そういうところが彼を人気キャラクターにしているのかもね。
そして、彼を温かく受け容れてくれた幕臣の大久保一翁さんのような超一流の硬骨漢や、彼を可愛がってくれた師匠の麟太郎先生のような煮ても焼いても食えない男(褒め言葉)にはない魅力になってるんじゃないかと思ったりもするわけです。

なお、本当にお行儀が悪いのは、龍馬ではなく師匠の麟太郎のほうだと思うよ^^;

本を読むときはゴロッと「寝読み」。気がつくと袴のポッケにズブッと手を突っ込んでいる。酷いと両手とも。
着物が肌にまとわりつくのが嫌いで普段から糊のきいた着物を着ているが、それでも暑ければ褌一丁でゴロ寝。夜になるとそのまま布団をかぶって寝てしまう。
夏でなくても寝るときは何故か着物を着ていない。
その姿で手水場へも行くが、それも面倒になると庭に小便を飛ばして面白がっている。
んで、ときどき女中さんを(以下略)。
晩年(しかも最晩年、亡くなる1年半ほど前^^;)になると流石にお民さんから「あなた、そろそろいいかげんに着物を着てお休み下さいなannoy」と叱られたらしいが、帯を締めると窮屈で鬱陶しいので、羽織るだけで勘弁してもらっている。
褌一丁で井戸端に行きザブザブ水をかぶる習慣は、爺さんになっても続いていたらしい。

司馬先生なんかは、そういう麟さんのワイルドさが苦手だったようだ。
何で読んだか忘れたけど、裸で寝るとこをやたらと非難していたそうだし。(どんなふうに非難されてるのか、ちょっと読んでみたい。笑)
「オン」のときの麟さんは洒々としていて見るからに気っ風の爽やかな江戸っ子だったようだが、「オフ」になるとオス♂っぽい部分が前面に出てきてしまう、とんでもない男だった・・・ということか。

自分はそういう変なとこも含めて好きだけどね。だって突っ込み所満載で面白いもの。(寧ろ大好き。笑)
でも、勝さんのワイルドな一面を気味悪がる人の気持ちも解らなくはない^^;

まあ、それはともかく。
「大政治家」勝海舟と「名交渉人」坂本龍馬の師弟コンビのことを思うにつけ、必ず考えることがある。


『人生を決めるのは人との出会いかもしれない』
、ってことだ。

歴史は随分と奇跡的な出会いを用意したものだと思ったが、彼らが折角の邂逅を蔑ろにしないだけの見識や好奇心を持ち合わせていた点を考えると、これってただの偶然や奇跡じゃないんだよな。

折角誰か(何か)と出会うチャンスがあっても、それに気付かずに「素通り」しないようにするためには、日頃の心懸けも大事だってことなのかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月10日 (火)

ペニシリン。

ペニシリン。
カツ丼を作ろうとして冷蔵庫から玉葱を出したら、そのうち1個に青と白のカビが生えていた。

思わず「うわあ…ペニシリンだ」と叫んだら、横から覗き込んだ父がすかさず「南方先生にお届けしろッ」と言った。
ウチはとうとう親子でJINに被れてしまったらしい…。

お陰様で当初の予定よりボリュームのないカツ丼に。
参りましたぜ、勝先生。

…その「JIN」第五話については後ほどメモをUpしておく予定。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

週刊マンガ日本史 聖武天皇

週刊マンガ日本史 聖武天皇
やっと「聖武天皇」ゲット。(このケータイ、ショウムテンノウも変換できねえぞ。怒)
発売日をすっかり忘れていて、昨日の夜になってから近所の本屋にノコノコ出掛けていったら、なんとラスト一冊。もう少しで買えないところであった。危ねえ危ねえ。

まだざっくり目を通しただけなんだけどね、今回もいろいろ考えさせられた。

大仏造立は、国のため世の中のためを思って聖武天皇が始めた大プロジェクトである。だが、それがもたらしたのは「鎮護国家」どころではなく公害や財政圧迫、人々の負担増。
我々現代人から見れば実に阿呆な話である。そもそも宗教そのものが国を守り世を平和にするなんて話自体非論理的だ。現代人なら別の方法で乱れた世を正そうとするだろう。

でもさ、だからといって当時の人が現代人より阿呆だという訳ではないし、現代人の脳味噌が当時の人のそれよりも高等に出来てるかっつったら、絶対にそんなことはない。現代人が物識りなのは、先人たちの膨大な汗や血や屍と引き換えに知識を得たというだけの話だ。

そのことを忘れた人間は過去から学ぶことの重要性なんか忘れてしまう。この傲慢さが歴史をループさせてしまうのかもしれないね。

過去に対する謙虚さの欠如が現在への過信を生み、それが未来を誤らせる。
長い長い歴史の中ではきっと、そんなこともあったろうよ。それも一度や二度ではなく。

自称歴史好きの人には、現在を、そして未来を愛してほしいよ。そうでなくちゃ先人から学ぶ意味なんかないもんな。(…自戒の意味もこめて。笑)

そういや、今日は「JIN」の日だ o(^-^)o
このドラマ、一生懸命生きてきた有名無名の先人たちに対する敬意が随所に感じられるところも好感が持てるんだ。

つーか…そろそろ目立ちやがれ、軍艦奉行並。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 7日 (土)

いつのまに。

親戚の子が手紙を寄越してきた。
国語の授業の課題なのだという。

内容はほぼ旅行に行ってきた話なんだが、何故かその大半が「食べ物」ネタ。
ここで晒したいほど面白い手紙なんだけどさ、
面白いのはいいんだけどさ、

返信はどうするよ?
良識あるオトナとして、何を書いて差し上げればよいものやら。

思案中。 
 

で、実はこの投稿が当ブログ200件目の記事だったりする。
ブログなんてすぐ飽きると思ってたが、案外続いているじゃないか。(自画自賛)

記念に・・・と言っちゃなんだが、プロフィールの画像を変えることにした。

【これまで】
320
題して「鳥頭」。ものの3歩も歩けば忘れる癖に「習ったことは忘れない」と言っている身の程知らずッぷりである。
 

【これから】
01blue150
うむ・・・勝先生shineだ(爆)。

「おいらァもうやめた」とでも言いたげな表情と姿勢が個人的にツボだったんで、悪ノリを承知で待ち受けふうに加工してみた。

それにしても・・・ヤル気なさそうな肖像写真だなあ(呆)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 3日 (火)

メモ:「JIN -仁-」第四話。

ケータイのメールの送受信が上手くいっていないらしく、必要なメールが届かずに途中で消えちまってるみたい。困ったもんだ。

…と言いつつ、今日はケータイからの更新。
とりあえず「JIN」第四話の感想と雑感をメモっておく。

■コウアン先生のお弟子さんたちの会話に出てきた「華岡流」という言葉が気になる。「いじゅちゅ」の世界で華岡てえと、あの華岡しか思いつかないんだが、コレって何かの伏線か。今後仁先生が戦う病と関係あんのか。まさか「トリカブト」で癌の「しゅじゅちゅ」とか…!?

■明け方の吉原を横切った男は誰だったんだ。確認できなかった。如何にも怪しいが「あれが辻斬りでした」ってオチはねえだろうし。

■「勝先生のお弟子になって以来やることが沢山あって忙しい」と言いながらも、やたらイキイキしてるリョウマ。あの絶妙な師弟コンビのことを思うにつけ「出会い」って大事だなあ、と思う。あれは歴史の奇跡なのか。それとも必然なのか。

■ごりごり、ごーりごりごりごりごごご→じゅじゅーう→ブシャッ…ってのが怖かった(笑) 「 しゅじゅちゅ」シーン、毎度のことながら実によく出来てるなあ。

■しかし、仁先生と麟さんが今後直接的にどう絡むのか、まったく読めないんだが(笑)

ムリだろうけど仁先生、家茂公をもう少し長生きさしてやってくれないかね。麟さんが「旦那のためなら、おいらァ命も要らねえ」って忠誠を誓った、たったひとりの主君だ。彼が亡くなった日、あの麟さんが泣いたんだぞ。

■なお麟太郎先生以外の家茂公お気に入りの家来の中には、剣聖・男谷精一郎の高弟で家茂公の剣術指南役だった榊原鍵吉さんってのがいる。彼は公の死を知って「自分の主君は家茂公だけ」と、あっさり下野してしまい、その後は市井の人になっちまってるんだ。お若いのに余程素敵な「旦那」だったんだろう。…彼が長生きしてたら、歴史はどういう流れになっていたんだろうねえ。
    

…次回も観るぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年11月 2日 (月)

尋常ならざる。

今日は一体何なんだ。


家に帰ろうとして外に出たら、身の危険を感じるほどの寒さじゃないか。


刺すような冷たい風の中を歩いていたら数ヶ月ぶりに寒さで耳が痛くなった。家に着くなり耳と耳穴の痛みに堪えきれずにベッドに倒れこみ、暫し七転八倒。(この表現に誇張はないよ、念のため。笑)


せっかく治まってきた頭痛が振り返してきやがったぞ。
まったく、今日は一体何なんだ(`Δ´#)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

朝から微妙。

朝から微妙に腹が痛むし、頭も痛むし、天気は悪いし…オマケに眠い。


何なんだろ今日は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 1日 (日)

関西限定 マーブルチョコレート

関西限定 マーブルチョコレート
Y君お土産シリーズ。

こちらのマーブルチョコは「宇治抹茶味」。子供騙しではない、ちゃんとした茶の味がする。お茶っ葉独特の苦味とか、低温抽出の緑茶のような或る種の生臭さなんかも感じることのできる力作だ。

…そういや、蓋のキャラクターのひとつが「新撰組」だなあ。彼らにはあまりシンパシーを感じないんだが、舌先三寸の連中なんかよりずっと立派だと思うよ。

というわけで、ごちそうさまですた(^∪^*)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リンクコーナー設置。

当ブログも漸く「リンク」コーナーを設置しました。
かねてから親しい友人の中でブログを始める人がいたら設置しようと思っていたため、このタイミングになってしまったんですが。

彩々の徒然なるまま『にっき』

作者の友人、彩々さん作。
彩々さんのポジティブ・ライフと温かな気持ちが伝わってくるようなブログですわ。
(こんな物騒なブログと相互リンクしてくれて、ありがとうです。汗)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »