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2009年12月19日 (土)

古川愛哲「勝海舟を動かした男 大久保一翁」(グラフ社)

誤字脱字を直そうと思ってケータイから編集しようとしたら、
編集画面に表示できない文字は全部消える仕様になっていたのね。
(しかもauの端末のみっていうオチがついてる。爆)

てことで、ササッと書き直してみた。
誤字脱字悪文は気にしないように。
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やっぱり自称「勝さんの弟子」目線で語ります。あしからず。
 
 
珍しい一翁さん本
「江戸幕府の三本柱」という言葉がある。幕末に幕府の幕引き役を担った3人の幕臣たちのことだ。
具体的には大久保忠寛、勝義邦、山岡高歩の三氏のことを云う。
最年長は大久保忠寛こと大久保一翁さん。ポーカーフェイスの硬骨漢で行動する政治学者、そして江戸開府以来最も思慮深い幕臣だ。
実を言うと、この御三方の中で作者が最もシンパシーを覚えるのは大久保忠寛こと大久保一翁さんだったりするのだ。
 

そんな一翁さんのことを詳しく書いた本は、そんなに多くはない。というより、作者が知る限りこれ一冊である。硬派でカッコイイ一翁さんのことを知りたくば読むべし。これはそんな殊勝な本なのだ。
 
 

勝麟さんは敵か?盟友か?
そんな一翁さんの素晴らしさ・偉大さを書きたくて、古川先生はこの本を書かれたのだろう。でもさ、張り切り過ぎちゃってとんだ「とばっちり」を受けてる人がいるように見えるのは気のせいか。張り切り具合は本書のタイトルを見れば判る。当然「とばっちり」を受けてるのは、一翁さんの盟友である勝さんだ(笑)。「偉いのは勝麟だけじゃないんだぜ」を通り越して「麟太郎なんてちっとも偉かねえ」になっちゃってるのだ。
 
 
本書から読み取れる一翁さんの盟友は、頭の回転の速い狡賢い野郎で、本当にしょーもない男である。
家茂公が可愛がってくれたのはお前の人徳のためではない、蘭学修業時代に貧乏してたって言うけど実はパトロンがいたじゃないか、お前なんかちゃっかりと一翁さんの尻馬に乗っかってるだけで、一翁さんがいなかったら無にも等しい存在なんだぞ。
・・・それなのに出世のために利用した挙げ句、手柄を独り占めしやがって、この目立ちたがり屋のお調子者め。と古川先生は言いたげなのだ。努力家の一面は認めつつも、それは彼が「計算高い」からであって、その努力は必ず私利私欲に結びついている。(さすがにちとひでえな、ここまで勘繰るてのは。苦笑)第一お喋りが過ぎるのが気に入らない。・・・まぁ、その「口数」が一翁さんと麟さんの違いが最も際立つ点なのだから仕方がないのではあるが。
 

だが、お喋りの麟さんが目立つのと一翁さんが何となく影が薄いのは無関係である。
一翁さんが「入手困難」な現状が問題なのであって、割り引かれて叩き売られているわけではないのだから。
そもそも勝麟好きに一翁さんを評価しない人間などいるとも思えない。
変勝(ヘンカツ=悪口用渾名)嫌いの連中は、そもそも一翁さんなど眼中ナシだろう。
 

 
古川先生は明治期の麟さん=氷川のご隠居が一翁さんの話を殆どしてくれないのが相当気に入らないらしい。
自分をアピールしたいばかりに他人の功まで横取りしようとする気だな、と。
 
 

当時、旧幕臣たちは少なからず勝さんを憎んでいた。「腰抜け」「大奸物」「大悪人」「薩長の走狗」「裏切り者」。
そんな誹謗を一身に受けながらも30年間黙って敗戦処理をする役目を選んだ男が恩人であり盟友である一翁さんのことを、日記まで燃やしてしまった一翁さんのことを、あの怪気炎に乗っけて「あいつも俺と同罪」「俺と一緒にアレもやったコレもやった」って吹聴して回ったりできるもんだろうか。
それにさ、記者に請われて話をするとき、彼は新聞や雑誌にそれが載るのを知っていて喋っているのだ。
そこに政治的な匂いを嗅ぎ取らなければ、「政治家」勝海舟の真意は解るまい。
 

明治を生きて
御一新後、一翁さんは東京府知事など明治政府の要職に就き、爵位も賜っている。
だが権力とは或る程度距離を置き、徳川家(とくせんけ)に悪影響が及ぶのを怖れて幕末期の日記まで燃やして灰にしてしまった。そして反骨精神からダンマリを貫いた。
咸臨丸渡米の際の提督だった木村喜毅さんは、そんな一翁さんを尊敬していたという。
あの福沢ナントカって男が明治24年に「痩我慢のナントカ」という作文を書いて政府に出仕している勝さんと榎本さんを口撃したわけだが、福沢君はもしかしたら恩人・木村さんが尊敬する一翁さんが亡くなったのを見計らって作文に取りかかったような気がしてならない。
 

古川先生は、明治政府は大久保一翁という人を潰したのだと仰有る。当然だ。
一翁さんは新国家の構想を語ることのできた数少ない政治家のひとりなのだ。もし明治維新が理念なき改革であるならば、彼のような「旧幕の奸雄」が邪魔でなかろうはずがない。斯くして新しい国家のために政権を投げ捨てた少数の人々の理念は歴史の中に埋もれてしまうのである。
 

100年の知己
一翁さんが亡くなり、山岡さんが亡くなったのが明治21年。お喋りの氷川のご隠居はそれから11年間毎日のように人に会い、毎日のように喋り続けるが、一翁さんについてペラペラやらかしたりはしなかった。
ご隠居は憎まれ罵られながらも100年の知己を待った。
「あと100年か200年も経てば自然と理解者が現れるが道理さ。だからおいら、寝ころんで待つことにするよ。」

勝さんちの本座敷の床の間には、肖像写真が2枚飾ってあったそうだ。
一枚は、山岡鐵つぁん、そしてもう一枚が一翁さん。
「大悪人」の称号をニヤニヤしながら受けつつ、江戸開城の盟友たちについては殆ど公で語ることのないまま逝ってしまった勝さんの真意がそこに見えないだろうか。
 

  
さて・・・と。
あと8年もすれば、大久保一翁生誕200年。
そろそろ現れる頃ですかね、勝さん。  

(因みに自分は一翁さんと麟さんはよく似てると思ってます。頭の柔らかさ、理屈好き、物事を大掴みに捉えるとこ・・・それに偏見のないとこも、かな。内向型と外向型という違いはあるような気がするけどね。)

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コメント

勝は、大久保一翁さんの墓碑に揮毫。また、亡くなった後、歌集『櫻園集』を編集・出版、巻頭言を書いています。それなりに先輩を立てているようです。

投稿: inamatsu | 2011年9月 5日 (月) 13時51分

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