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2010年1月26日 (火)

本寿院(メモ)

前回のエントリーで「篤姫」がメッタ斬り(?)になっちまったが、あの華やかな雰囲気自体は嫌いじゃないんだ。(評価できる点があったことも前回既に書きました。)
歴史物と称することに我慢がならなかっただけでしてね。つーか、幕末が解りにくいというなら、解りやすく伝える努力をすればよい。アナザーストーリーをでっち上げる必要なんてこれっぽっちもなかったのにさ。

それにしても本寿院さまは出てくるだけで嬉しかった。最後のほうは彼女の登場が楽しみで見ていたようなもんだったし(笑)
で、今日はその「本寿院さま」(と勝先生)についてのメモを上げておく。

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■本寿院(ほんじゅいん)
 

・ 1805~1885年
・ お旗本跡部氏息女、お美津の方(おみつのかた)。
・ 12代将軍家慶公の側室。
・ 1823年に大奥中﨟(ちゅうろう。上﨟・年寄などの下)に。翌24年政之介さま(後の家定公)を出産。
・ 家慶公が亡くなると本寿院と称するようになったが、家定公のご生母として影響力を持ち続けた。
 
ポイントは1983年(=明治16年)に亡くなった天璋院さんより長生きされてるってとこか。
 

 
>>お美津の方さまvsわんぱく麟さん
 
お美津の方さまが大奥に入って6年後の1829年。呉服の間に御奉公に上がっていた阿茶の局さまという人が数え年7歳になる親戚の子供(たぶん甥っ子の息子か何か)を御殿のお庭見学に連れてきた。大奥では男の子は珍しい生き物であったため、こういうのを連れて行くと喜ばれたのだ。
妙な子供だった。度胸が据わっていて好奇心旺盛、興味を惹かれたものがあれば奥までツカツカと進んでゆく。その堂々とした態度、無駄のない動作、ハキハキとモノを言う様子を奥でご覧になっていた将軍家(11代家斉公)はこの少年を気に入ってしまい、孫の御学友としてお城に召し出すことを勝手に決めてしまったのだった。(→徳川慶昌

さて、大奥の阿茶の局さまのお部屋で暮らすことになった7歳の麟太郎くんである。
小柄で色白、目元ぱっちり、鼻筋が通っていて、まるで女の子のような風貌。明るく社交的な性格で頭もいい。
たちまち大奥のアイドルになった。
ところが、こいつがまたとんでもない腕白で、女中さんたちの目を盗んではあちこち探検して回り、ときどきとんでもない悪戯をしでかしたそうである。「この子はおいたで困ります」とひっ捕まえられ、ときには本当に灸を据えられるようなこともあったらしい。
 
そんな小悪魔を「気性の面白い子じゃ!」と殊の外気に入って下さったのが、お美津の方さまだった。「麟さん、麟さん」と傍に呼んではお菓子をくれたり、ときには反物などの高価な物をくれたりして可愛がってくれたそうである。
 
 
【追記】
実は子供の麟さんが相当な悪戯っ子だった、って話の元ネタがどんな資料なのか知らんのだ。この内容の記述自体は何度かお目にかかったことはあるんだが・・・。
いや、何が気になるってね、麟太郎坊ちゃんが大奥でチヤホヤされながら、のびのびと過ごしたことは事実だろうけど、どこまで「おいたで困る」子供だったのか疑問に思ったわけだ。そりゃ小学校に上がるかどうかって子供が父上母上と離れて暮らしてるわけだから淋しい思いもしたかもしれないが、少なくともこの子供が大人の気を引くために悪さをする必要のある子供だったとは思えない。可愛くって賢くって、おまけに「珍しい」存在なのだ。それだけで充分注目してもらえるはずなのだから。
勿論子供だから好奇心にまかせてバカなことをたくさんやらかしたとは思うんだけどね・・・。(空き地の1メートル四方にミミズが何匹いるか知りたくてバケツに数十匹集めてみたり、蝸牛がどんな形状で収まっているのか知りたくて綺麗に殻を剥いて並べてみたり、本当に狭いところを通り抜けられなくなるのか知りたくて猫のヒゲを抜けるだけ引き抜いてみたり・・・いろいろやると思う。←懺悔。)
まぁ、明治大正期に書かれた子供向けの伝記物ならば、作家が「男の子だし、なんせ豪傑の子供時代だから」って理由で「灸を据えられるほどの悪さをした」話を入れた可能性もありそうだ。そのほうが勝さんらしいし面白い、ってさ。明治期に坂本龍馬の子供時代をわざわざダメダメに描いたのも、実は作家が若い(若すぎる)読者を励ます目的でそうした・・・という説があったけど、それと似た発想か。 
 
元ネタが判明したら、載せます。

 
>>本寿院さまと勝海舟@篤姫
 
「篤姫」の最終回、勝さんに眼鏡をプレゼントされた本寿院さまが「勝殿は気が利くのう~」と目を細めるシーンがあった。本当は子供の頃みたいに「麟さん」って呼んでたかもね、とニヤニヤしながら見ていたもんだ。
ドラマの中でも本寿院さまは勝さん贔屓だったけど、子供の頃のエピソードは盛り込まれていたんだろうか。(途中からしか見てないからなあ・・・)尤もあのキャスティングじゃあ本寿院さまと勝さんが親子ほど年が離れているようには見えなかったけどね。だから史実とかけ離れたキャスティングはやめろと何度言えば・・・
姫と尚五郎さんが幼馴染みっていうトンデモ設定より、本寿院さまと麟さんが旧知の仲だっていう事実のほうが余ッ程面白え、と思っているのは自分だけ?
 

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