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2010年1月17日 (日)

「龍馬伝」、第2回でリタイアの理由。

2008年の大河ドラマ「篤姫」は非常に興味深い作品だった。
 
「そうか」
の一言ですべてを悟り、
「わかっておる」 
の一言ですべてが都合良く動く。
 
それでも困ったら伝家の宝刀「勝を呼べ!」があった。
(麟さん、主人公の走狗にされちまったね。脚本家に代わってオイラが謝る。笑)
 
グダグダすぎて面白かったが、猛烈な怒りを感じたことも事実だった。
 
最初はその怒りの理由について、もともと歴史物なんかに興味のない連中を取り込もうと「媚びた」結果だからかな?と思った訳ね。
正直考えないで理解しようだなんて「太え了見」は気に入らない。そんなヤツらのために「解りやすいこと」を追求した結果、歴史的イベントは単なる話を盛り上げる道具となり、政治の話や物事の歴史的意義なんてものはお飾り以下になってしまったことが個人的に残念でならなかった。
歴史に疎い人向けに作っているのなら、フィクションの部分については今まで以上に慎重に作る必要があっただろうに、そんな配慮さえ見られなかった無責任さに驚きもした。
 
んで、その結果、幕末維新史が解りやすくなるどころか歴史の話がスッカリかすんでしまい、歴史の流れなんかまるで解らなくなってしまったところに、大河ドラマ「篤姫」の凄さがあったと思うのだ。
そして主人公がどのような価値観のもとに行動したのかを追求するのではなく、歴史を知らない(としか思えない)脚本家が新しい人物像を創作して終わってしまったことに、大河ドラマ「篤姫」の斬新さがあったのだろう。
 
そこでちょっと気付いた。
 
「結局どんな人物を描きたかったのよ?」 
と問われたら、脚本家はなんて答えるんだろうか・・・?

 
まあ、「現代に生きる私たちが感情移入できるような、等身大のキャラクター」とでも答えるのかね。(まあ表現の仕方には若干バリエーションがあるとは思うが。)
 
でね、その「等身大のキャラクター」ってのが間違いのもとなんじゃないかと自分は考えはじめたわけなのだ。
心懸け自体は決して悪くはない。
問題はその「手法」にある。 
 
「彼ら『歴史上重要な役割を果たした人たち』も我々と同じ人間なのだ」、ということは同意する。彼らもまた迷いながら荒波に流されそれを乗り越え、先の見えない時代と戦って生きた人間だと言うことなんだろう。
 
だとするならば。
彼らは我々現代人と価値観や目線を共有してはならないわけだ。
そういう登場人物が欲しけりゃ誰かをタイムスリップさせるしかない。
 
他の作品と比べるのは好きじゃないけどさ、去年安心して「JIN」を観ていられたのは、実はそのあたりに理由がある気がする。大沢たかおさん扮する現代の脳外科医の目を通して我々は幕末という時代を見、そこに必死で今を生きぬこうとし、或いは精一杯未来を見据えようとしている有名無名のご先祖たちの姿を見た。
土佐の素浪人にしろ、浪速の医者にしろ、江戸の軍艦奉行並にしろ、彼らは皆それぞれの立場から精一杯「自分の信ずるところ長ずるところ」(by氷川清話)をおこなった。「JIN」ではそのあたりがきちんと描かれていた。現代人の視線で時代を見つめる人物は本物の現代人である仁先生のみだった。「一寸先は闇」の世の中で、できる限り未来を見つめ、また未来を作ろうとしたところに、龍馬や麟太郎の偉さがあるのだと感じることができた。 

現代を生きる我々が共感できるのは、おそらくはそういう部分においてであって、我々が歴史上の人物たちから学ぶべき点が多いのも、それゆえのことであろうよ。
 
だからこそ、まるで我々現代人が彼らの時代=過去を見るかのように自分たちの時代を俯瞰しながら生きる大河の主人公など、描いてはならないのだ。未来人が現代と云う時代を見る目を我々とは共有できないのと同様だ。 
時代を飛び越えた大局的開明的視点を持つ姫君というオリジナルキャラクターを主人公に据えた「篤姫」の脚本家は勿論、上士も下士も同じ人間」「憎しみからは何も生まれない」などという現代人も吃驚の台詞を登場人物に吐かせた「龍馬伝」の脚本家も、ちょっと間違えちゃったんじゃないかな。
 
彼らが「等身大」であればあるほど、我々と同じ目線を共有することはできないはずだし、また、そうであってはならないんじゃないか。更に云うならば、いくら古い価値観にとらわれないキャラクターを描きたいからと云って現代の平等思想や民主主義思想を生まれつき内蔵しているような人物像は流石に拙いんじゃないか。
 
これは政治や社会の話だけじゃない。
 
「篤姫」の尚五郎さんは妾がいることに罪悪感を覚えてるようなとこがあったでしょ。
それに対して、自分が昔面白がって見ていた「物凄い侍」は自らのDNAをあちこちにバラまいて平気な顔をしていた。(「侍」の正体が判ってしまったので何だか生々しい。笑)
そりゃ例の「侍」のどうしようもない絶倫っぷり自体は異常なのかもしれないが、申し訳なさそうに妾を囲っている尚五郎さんのほうが、当時の感覚で云えば変であろうと思うんだよ。
 
何か収拾がつかなくなってきたけど、兎に角、「現代人が共感できる人物像」と称して提示されたものが、単に我々と似た価値観や我々に近い目線を持っているというだけなのだとしたら、こんな御粗末なキャラクター設定もないだろう、ってこと。
んで、我々が歴史(過去)を見るような視点と価値観とをもって新しい時代(我々から見れば過去)を見ている人物像が描かれるならば、そんな人物像に果たして共感できるのか。或いはそんな人を「凄い」と思えるのか。
自分にはちょっと無理だなあ。
 
 

「ムリじゃ~!!ワシにはムリじゃ―――― !!!」 
(「龍馬伝」第2回より)

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ついでだからもう一言。
自分は「龍馬ブーム」が苦手だ(笑)。
明治時代に書かれた小説(「汗血○里駒」だっけ?)やそれをネタに書かれた小説(「竜○が○く」)やそれをネタに書かれた漫画(原作が某武田さん)を読んで、それが史実だと信じて有り難がってる連中はもっと苦手。(あくまでお話だと思って愛読してる人は別。)
 
でもなぁ・・・あの「風雲児たち」ですら「汗○千里駒」路線の龍馬像だもんな、特に幼少期・・・何か食傷気味だわ(笑)
 
あ、でも勝先生の愛弟子の坂本龍馬っていう御仁は好きだよ。

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