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2010年2月 4日 (木)

2月4日:咸臨丸品川出帆。(Vol.01)

安政七年正月、江戸赤坂。
 
数日前から風邪を拗らせて寝込んでいた勝麟太郎は、ふらりと起きてきて身支度を始めた。妻のお民さんは吃驚した。
「あなた、そんなお身体でどちらへおいでですの?」
「なあに、ちょいと品川まで船を見にいってくるだけさ。」
「でも・・・」
「へっへっ、心配にぁ及ばねえよ。すぐ帰ぇるわ。」
 
勝さんはふらりと家を出た。高熱でぼうっとしている。頭がガンガン痛む。ときどき苦しそうに咳き込んだりしているが、不思議と足取りはしっかりしている。
彼は戻らない覚悟をしていた。
「おいら、船乗りだよ。艦上で死ぬなァ覚悟の上さ。畳の上で犬死なんぞ頼まれてもしてやるもんか。」
 
前年、幕府は新見豊前守正興さまを団長として日米修好通商条約批准のための使節団をメリケン国の首都・華盛頓に送ることを決定した。使節団はメリケンの軍艦ポーハタン号に乗せてもらうことになった。
「何でい、俺らがいるのにわざわざメリケンの船で行くこたぁねえじゃねえか。」
その話を長崎で聞いていた勝さんは憤慨していた。そこで江戸に戻った折「使節団の派遣は是非日本の船で行うべきである」と幕閣の連中に直談判に行った。
「馬鹿を言うでない。軍艦の操舵を習ったのは僅か4年、どうして太平洋を渡れると云うのだ。」
幕府は彼の訴えを突っぱねた。が、そこで引き下がる勝さんではなかった。
「それでは日本船を予備として派遣するというのは如何でしょう。冬の太平洋です、万が一メリケンの船が難破するようなことがあれば・・・」
「そうか、それもそうだ。」
岩瀬忠震、水野忠徳といった人たちが彼の意見に賛成した。勝さんは随行艦の艦長のような立場になった。 
 
派遣される軍艦は当初は観光丸を予定していた。10年前にアムステルダムで建造された木造外車式蒸気船である。全長51.82メートル、排水量780トンという然程大きくもない船だ。幕府が所有した最初の蒸気船がこの船だった。
ところが、それを聞いたオランダ人の海軍の先生がストップをかけた。
「この船では危険だ。外車式の古い船である。太平洋を越えられるとは思えない。」
幕府は急遽随行艦の変更を決めた。全長48.8メートル、排水量625トンと観光丸以上に小型ではあるが、2年前に幕府が10万ドルを出して買い上げた最新のスクリュー式蒸気船。原名ヤパン号、日本名は咸臨丸である。安政6年師走の24日、出航直前のことだった。
随行の言い出しっぺであり、軍艦操練所教授方頭取という地位にあった勝さんは積み荷の積み替えに追われた。冷たい雨が連日降り続いた。毎日ズブ濡れになった。彼は珍しく風邪を引いた。
 
遂に高熱を出してダウンした勝さんは、寝床の中で腹を立てていた。メリケン人を一緒に乗せていくことになったからである。
「へん。木村さまたちの指金だな。俺ら日本人だけじゃ心配だからメリケン野郎を一緒に船に乗せようって魂胆にちげえねえ。歴史に残る航海だってのに、これじゃあどうせ日本人だけじゃ海を渡れなくってメリケン人の助けを借りたって話になるに決まってらあ。クソ面白くもねえや・・・」
 
出航当日、船には本当にメリケンの軍人が乗っていた。乗組員は日本人96人、「メリケン野郎」11人。
勝さんの怒りと不満はピークに達した。体調はどん底である。船室に降りてゆくと、いきなり引っ繰り返って寝てしまった。
 
軍艦奉行・木村喜毅は「面倒なことになった」と思った。木村さんはときどき、勝さんを苦手だと思う。嫌いではなかったが、何というか「持て余してしまう」のだ。木村さんが長崎に派遣されたとき、勝さんは伝習所の舎監で伝習生のリーダーの一人だった。和蘭語が堪能だったからオランダ人の先生たちの手伝いもやっていた。先生たちの間では「頭が良く、明朗で、その上人当たりも良く親切」と評判の男だった。
ある日、伝習生があまりにも早く操練を終えて帰港してくるので木村さんは苦言を呈したことがある。勝さんは「気に入らねえ」という顔をしたが、直ぐにニッコリと笑って「ようござんす」と答えた。
暫くして勝さんが「ねえ木村さま、一度操舵の演習をご覧にいれますからご乗船になったら如何です?」と言ってきた。木村さんは言われるがままに船に乗り込んだ。
風の強い日だった。波が高く船はやたらと揺れる。船に慣れていない木村さんはだんだん気分が悪くなってきた。
「ここは何処だ。そろそろ戻っては・・・?」
木村さんを一瞥した二重瞼の目は笑ってはいなかった。
「何を仰有いますぇ、ここはまだ天草から5、6里のところでんすぜ。せっかくですから今日はもっと遠くまで行ってみようと思っておりますのに。」
あのときのことは思い出したくもない。だが勝さんが操練を早めに切り上げる理由は理解できた。この小普請上がりの舎監は、木村さんを含む身分の高い連中が困っているのを見て内心ニヤニヤしているような悪趣味な男だったが、若い伝習生たちには優しかった。
 
木村さんは地位的には大将とか提督のようなものだったが、航海の知識は殆どない。今回も困ったことがあれば船室に降りていって部下の勝さんに相談しにいくしかないのだが、「あなたが上官でんしょう、勝手になすったらようございます。あたしゃあ、あなたがたに指図できるような立派な御身分じゃござんせんのでね!」と当たられるのがオチだろう。もともと気が短くて臍曲がりの本所の旗本である。寝込むついでに例によって癇癪を起こして引き籠もっているに違いない。彼の癇癪玉は一級品で、ひとたび破裂すれば誰も手をつけることができなかった。
木村さんは彼の癇癪の原因が不平不満であり、その根本的原因がメリケン人の同乗だけではなく、「身分」にあることも知っていた。何故あんなに怒るのかは全く理解できなかったが、怒りの理由については彼にも十分に察することができた。幕府海軍の精鋭である筈なのに下っ端役人でしかない勝さんは、指揮官の仕事を任せられながら身分が上の者には必要な指図さえできない理不尽さに怒り、その非合理性が海軍発展の妨げになっていることに憤っているに違いないのだった。
 
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調子に乗って書いていたら長くなっちまったので、Vol.02につづく・・・。

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