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2010年3月26日 (金)

子母沢寛「おとこ鷹」上・下(新潮文庫)

和製ピカレスクロマンの古典。
子母沢先生と云えば股旅物の他に新撰組などの旧幕勢力の人々を描いた作品で有名だが、これはその中でも先生が最も得意とする題材のひとつ、本所の旗本「勝さんち」の話である。
 
物語は不良旗本にして下町のヒーロー、勝小吉さんと総領の麟太郎くんの父子を軸に進み、貧苦と戦いながらも屈折せずに逞しく育った「男前(オトコメエ)」の麟太郎くんが軍艦乗りとしての第一歩を踏み出すところで終わる。
カラリと晴れ渡った空のような爽快な作品だが、江戸の文化の香りとともに、あちこちから水の匂いが漂う。大川の畔の匂い、夕立の匂い、打ち水をした後の夏の庭の匂い、夜霧や朝靄の匂い…そして最後は暖かく湿った潮風の気配。まるで慈しむかのように細やかに描写される最後の江戸の情緒。その象徴こそが「水」なのかもしれない。
 

実は上巻を読み終えたのは去年のことなのだが、ずっと下巻を買わずにいた。どんどん滅法界(小吉つぁん流に発音するならば「めっぽうけえ」)な野郎に成長してゆく麟さんが世に出る瞬間を楽しみにしつつも、あと5年で小吉つぁんが死んじまうんだと思うと滅法界に悲しかったし、何より読み終えてしまうのが惜しかったからだ。
 
丹念に描かれたエピソードのひとつひとつが痛快で、また美しいのであるが、勝さん父子のファンならば、この話の元ネタは○○だな、と気付く瞬間も楽しめるだろう。自分も「夢酔獨言」や「氷川清話」の中にあるネタをいちいち発見しながら「あの記述をよくぞここまで脚色してくれたな」、と感心頻りであった。
さらに登場人物がいちいち魅力的である。勝さん一家は勿論、剣術家の精さん虎さん、掛け合いの愉しい佐藤サン杉サンの「○○の父」コンビ(鉄道の父&統計学の父)、「麟さんのお嫁さん」から「豪傑・勝の妻」へと進化するおたみさん、変人揃いのボロ塾の面々、人情にあついがシャイでブッキラボウな市井の人々、麟さんを可愛がってくれる大久保忠寛さんら一流の侍たち。江戸の武家社会の隅っこに生きる貧乏一家と彼らを巡る人々を描きながらも、その背後にあってやがては彼らを飲み込むであろう時代のうねりを感じさせる手腕は、子母沢先生、お見事と言う他はない。
 
さて、この作品を読んだら最後、いつかは文庫本にして6巻に及ぶ大作「勝海舟」を読まざるを得ないのだろうが、読み切れる自信がないからまだ読まない。この大作はなんでも明治以降のことには触れず、戊申戦争で話が終わっているらしい。(巻末の解説にも言及あり。)
 
だが、本書を読んで確信した。子母沢先生が「明治」を描きたくなかった筈はないのだ。
 
この長編「勝海舟」は昭和16年10月より新聞に連載された作品で、1974年の大河ドラマの原作にもなっている。連載当時、江戸開城のくだりと敗戦の時期が重なった。GHQは新聞の連載小説の中止を決めたが、「これは米軍の進駐の説明になっているんです」と言ってこの長編だけは休載を免れたんだそうだ。(詳しくは本書巻末の解説にも書いてあるよ。)
 
明治を描けば必然的に田舎ッペの占領軍の悪口を沢山書かなくてはならなくなる。
果たしてGHQがそれを許すか?
 
 
ときどき「子母沢寛は明治政府に出仕した麟さんなんて書きたくなかったんだよ」という意味のことを平気な顔で言うおバカさんがいるが、それは正確じゃないと思う。子母沢先生が、小吉つぁんらが愛し麟さんが必死で守った江戸の変わりゆく姿や、新撰組とは違う形の「誠」を30年かけて見せてくれた江戸ッ子侍の苦労の後半生を描きたくないとしたら、そっちのほうが不自然だよ。

苦しくなった旧幕臣たちの生活、それを救うべく明治政府からぶんどったカネや苦労して作った多額の私財をバラ撒く勝先生。瓦解のときも先生の許に残り、政府の鉄道建設の仕事をし、最後は先生の許で亡くなった与之助サン。先生の褌担ぎどころか最後は棺を担いだ杉先生。麟さんと一緒に明治政府に出仕しながら無口なまま通した大久保さま。本書の中でも丁寧に描かれるそれぞれの人物たちの明治の御代にこそ、侍の或いは江戸っ子の意地と「誠」が見えるはずなのだ。 
 
 
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……とまあ、実に愛おしい作品なのであるが、たったひとつ残念な点。麟さんと一回り歳の離れた娘、お順さんの描き方である。(この作品では他の娘はいないことになってる。)昭和39年の作品だからってのもあるんだろうね。現在なら子母沢先生も彼女を豪邁な面白い女のコとして描いたかも知れん…と思った次第。お順さんは性格も小吉父さんや麟太郎兄ちゃんに似ていたんじゃないかと思える話が残ってる人だし(それにたぶん色白で綺麗な子だったろうし。笑)、描き様によっちゃあ魅力的なキャラクターになったんじゃないかなあ。

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