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2010年3月12日 (金)

勝海舟、187年目の「格言」。(と作者の雑感)

1823年3月12日、文政六年正月晦日から恰度187年。
勝先生のために蝋燭187本とそれが全部載りそうなケーキを用意するほどの経済力は自分にはない(爆) 
 
思いつきで「自称・勝先生の弟子」になってから今日で丸1年が経過したわけですが、最初は「誰か面白い人物を軸に日本史の知識を増やしてやろう」程度の気持ちしかなかった。でも、直ぐに「せっかく弟子入りしたんだからこの先生から学べそうなことは学んでやるぞ」と思い直しました。(自分、案外真面目なところもある^^;)

そんで最初の自由研究の材料に選んだのが、勝先生の言葉と伝えられる、こんな台詞。  

 
自分の価値は自分で決めることさ。
辛くて貧乏でも
自分で自分を殺すことだけは
しちゃいけねぇよ。

 
 
しちゃいけねぇよ、って・・・如何にも江戸弁っぽいですわな。(萌)
 
先ず「辛くて貧乏でも」って表現がいい。
この先生は「辛い」のと「貧乏」なのとは別のことだと考えてるんだろな。幕臣最下層の出身で天井板まで炊いちゃうような生活の中で現代人にはちょっと想像できないような苦労もしてるだろうに、日々の暮らしに不足があろうと身分が低かろうと胸を張って生きていく気概のようなものを感じます。
 
で、1年かけて大真面目shineに取り組んだのは、この台詞の出典がどうの、と云った歴史家がやりそうな七面倒くさい調べ物じゃなくって、次のようなことだ。
 

 
人間の「価値」とは何で決まるのだろう。
「価値」を「自分で決める」とはどういうことだろう。
「自分で自分を殺す」とはどういうことか。
(まさか本当に自殺するって意味じゃねえだろうし。)
 
以下、これまで考えてきたことを思いつくままに書き連ねます。

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人の価値を決めるのは、勿論貴賤や貧富なんかじゃないけど、「~すべきだ」という規範なんかでもない。
「どうするか」にある。
で、どうするか(行動)を決めるのは、どうしたいか(意思)だってこと。
これは去年の秋にも書いた。
 
「~すべき」だからって行動するのは自分の意思じゃない。自分の意思で行動するのでなければ、その行動に本当の価値があるとは言えない。
「嫌われたくない」「いい人だと思われたい」っていう一種のスケベ心から先回りして行動するのも、やっぱり自分の意思じゃない。
心から正しいと思って行動する。
心から誰かを思って行動する。
そうじゃなかったら、それは単なる「偽善」だ。「媚」だ。
 
偽善者は直ぐに人を恨む。
偽善者は直ぐにいじける。
「よかれ」と思ってやった結果が裏目に出たり相手が無反応だったりすると
直ぐに誰かのせいにする。
 
でも自分の意思で行動した人は、その結果「偽善者」と罵られようが、それを理解しない人がいようが、人が知らなかろうが、最後は納得して前に進む。
一時は恥ずかしい思いをしたり辛くなったりするかもしれないけれど、自分の意思で行動したことが自分の力になる。「後悔していない」「これでいい」と思うことができれば、成功しようがしなかろうが、他人の評価が高かろうが低かろうが、行動への肯定が自己の意思への肯定感に繋がり、自己そのものへの強い信頼に繋がるに違いない。
 
この過程を「自信を得ること」と言っても良いし、他人の評価に簡単に左右されずに「自分の価値を自分で決めること」と言っても差し支えないんじゃないか。
 
失敗が辛いから、他人の評価が恐いからって、確実なチャンスを待ったり、他人の顔色ばかり窺ったりしてたら、ひとりでは何もできない自分のままで終わってしまう。
いつまでたっても人を恨んだり妬んだり勝手にいじけたりしながら、居たくもない場所にずっと居続けることになる。
 
そんなのは臆病者の人生だ。
沢山のチャンスを棒に振り、沢山の出会いを逃し、得られるはずのものも得られずに、卑屈な爺さん婆さんになって、鬱々とした顔のまま墓に入ることになる。
 
そりゃね、失敗なんかしない方が楽だし、人の顔色を窺って都合良く立ち回ってる方が楽だろう。「失敗するために挑戦するなんて馬鹿のすることだ」とか「あいつのためを思ってやったのに、それが解らないなんて人情の解らんヤツだ」とか、嫌われ者の老人のようなことを言ってるほうが楽に決まってる。
 
でも、そんなんじゃ一生自分の力を発揮しないまま終わっちまうわな。 
自分を安全な殻に閉じこめて。
そのうち今度は惨めさから自分を守ることに必死にならざるを得なくなってさ。
 
これって「自分で自分を殺す」ってことだよね。
 
 
 
勝海舟って御仁は、たとえ理解されなくても人が知らなくても罵られても命まで狙われても、自分が正しいと信じることを、自分が今できる精一杯のことを、ひたすらやり続けた。
媚びず、怖れず、開き直らず、言い訳さえせずに、どんな大波が来てもただ飄々と乗り越えていった。自分の志と義の示す方向へ「まっつぐ」に進路を取って。
残念ながら自分は勝先生のような確かな歴史眼・人間観察眼は勿論、高速回転の軟らか脳味噌も達者な口もクソ度胸も持ち合わせていないわけだが、こんな人間でも「自分で自分を殺すこと」くらいは何とか阻止しなくちゃならないんだろうなあ・・・。
 
 
 
自分、ちょっとは勝先生の弟子らしくなったんだろうか(笑)
やっぱり「テメエのようなグズは破門だぜ」って言われちゃうかねえ。

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