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2010年4月

2010年4月30日 (金)

ホタルイカ。

ホタルイカ。
写真じゃ解りにくいが先にツメらしきもののついた長い2本の足がちゃんとある。
 
こんなにちっこいのに烏賊は烏賊なんだな。

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2010年4月28日 (水)

誰でもできるからこそ。

例えば書類の束を並べ替えてチェックして付箋つけて確認印押して…みたいな「誰でもできる仕事」ってあるけどさ、「誰でも」できるからこそ、「自分」はそれをどうするか?って部分が、この仕事が主観的な意味でどれほどの価値を持つかを決める。その積み重ねが客観的な意味での仕事の質をも変える。
 
…なんてことを今更実感し直している自分がいる。
 
人生に無駄などありはしないんだよな。

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2010年4月27日 (火)

CELESTIAL Sleepytime

CELESTIAL Sleepytime
「スリーピータイム」と名のついたハーブティー。暖炉の前で微睡むクマちゃんが可愛いじゃろ。
原材料は「カモミール(花)、スペアミント(葉)、レモングラス(葉)、ティリア(花)、ブラックベリー(葉)、オレンジ(花)、西洋サンザシ(実)、バラ(蕾)」とある。
 
カモミールとスペアミントが効いています。フンワリと優しい花の香りがする。ネーミングの通りリラクゼーション系。特別美味いもんでもないんだろうけどさ、気のせいか落ち着いた気分になるよ。
 
今夜はよく眠れるといいな☆.。.:*・°

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2010年4月26日 (月)

四季ポテト 味わいあさりバター味

四季ポテト 味わいあさりバター味
えー、そろそろ潮干狩りの季節であります。
 
というわけで、浅蜊のバター炒め味のポテチです。
貝類独特の旨味だけでなくミネラルっぽい風味(?)もきちんと再現。バターの風味とよくマッチしていて実にイイカンジです。
 
…しかしまぁ、毎日こんな低温じゃ潮干狩りなんか想像もつきませんわさ(汗)

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2010年4月25日 (日)

眠気防止薬 「カフェロップ」

眠気防止薬 「カフェロップ」
冬はいつ終わるんだ(怒)と憤慨していたら、漸く今日になって刺すような北風から解放されたみたいですな。
 
しかし、毎日眠くて眠くて仕方ありません。故あって毎日慣れない場所で慣れないことをやってるからなんだけど、もうね、朝起きて15分経つと既に軽い眠気が。
 
遂に「睡眠防止薬」に頼ることにしたんだが、…「カフェロップ」マジで効くよ☆.。.:*・°一見ただの珈琲味のドロップなんだけどね。これが案外侮れない。
 
明日も頑張るか。

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2010年4月24日 (土)

怪しい料理:まるごとエビ天むす。

怪しい料理:まるごとエビ天むす。
今日の昼食。
 
近所のスーパーの夜のセールで買った50%オフの海老天に塩を振るか、麺つゆをかけるかして味をつける。(今回は麺つゆ使用。)

ラップの上にご飯を広げ、海老天を乗せて巻く。

粗熱が取れたら海苔を巻いて出来上がり。
 
この写真だと照明の色が悪いわ、撮影は下手だわ…で、あんまり美味そうに見えないのが残念。

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2010年4月23日 (金)

ドラマネタ:オイラが「見るに堪えない」と思うとき②

さて、歴史物となると、またまた話が難しくなります。
 

■史実を忠実に描く必要ナシ 再現ドラマじゃないんだし。
 
それでも実在の人物の年齢や容姿など誰が見ても明らかな部分までをわざわざ大きく変えようとするのは理解できないですねえ。人間はその人の外見(身体が大きいとか小さいとか、顔の印象だとか、服装とか)に影響を受けないことはないからである。それは本人も含めてね。
勿論これは再現ドラマじゃないから全てを似せる必要はないが、制作サイドの人間というのは、その人物のどの特徴を前面に押し出したいのかを決め、それに基づいてイメージに合った人を連れてくるというのが普通だと思っているのだけれど。
エライ人=イメージ的に爺さん、みたいな小学生でもやらないような配役をしたがるプロはいないでしょう。
 
ただね、史実を無視して創作を加えた結果そういうキャラクターに描く必要が生じてきたというのであれば、それはそれで納得できる。(好きか嫌いかは別。)しかし、年齢や見た目の印象は気にしないことにした、という言い訳をするヤツがいたら最悪です。もしそんなヤツがいたら、それはちゃんとキャラクターを設定していないということを宣言してるだけなんじゃないのか。
史実ベースであることを良いことに「だって皆さん、その人物のことも知ってるでしょ、その人物のイメージも持ってるでしょ」などと、人物像の開きを埋める作業を視聴者の脳内補完に甘えることがあるなら、それも最低だ。
まさかそんな馬鹿は万人の目に触れるような劇の脚本なんか書かないだろうから、こんなこと言うだけ野暮かな。
 
ただ、150年も前のことなんか現代人は見たことがないし、何か新しい史料が出てきちゃえばコレまでの定説なんてあっという間に覆ってしまう。また、解釈の仕方によっては善にも見えるし悪にも見える。
だからこそ歴史を扱うというのは難しいし、また面白いとも言えるし、そういうグレーゾーンをどのように描くかが脚本家や演出家の腕の見せ所だとも言える。
ほぼ間違いないと思われている史実であっても、教科書とは別の解釈にしてしまっても構わないし、場合によってはそれを無視してしまってもいいのだ。
 
でもね・・・それが詰まらない上にリアリティに欠けているとなるとガッカリするのも事実。
(まぁ、これについては人それぞれ思うことは違うだろうから別に喧しく論じる必要はないのだけれど。)
 
 

■現代的解釈や新解釈は勿論OK、その上で現代的なテーマを設定するのもOK。
 
でも彼らは現代人ではない。
現代人を描きたいのであれば、現代ドラマをやればよい。
「今更大河ドラマ『篤姫』を語ってみる。」「『龍馬伝』、第2回でリタイアの理由。」なんかでも書いたけど、彼らが我々と同じ等身大の人間であるとするならば、彼らが自分たちの時代を未来から俯瞰するような目線を持ったり我々と同じ価値観を以て行動したりしてはならないはずなんだ。
 
特定のメッセージを発信するのはよいが、あくまで過去を描きつつ、その時代を必死で生きた人を彼の目線に寄り添う形で描きつつ、視聴者に疑問を投げかけるってのじゃ都合が悪いのか。
それでも充分「平和」や「民主主義社会」の良さ、「戦争の愚かさ」などを訴えることも可能なんじゃないですかね。(そのこと自体良いか悪いかは別にして。)
 
根拠のない差別を描くなら、それを描けばよい。
身分社会の理不尽さを描くなら、それを描けばよい。
現代人から見たら誠に詰まらない争い事を描くなら、それも描けばよい。
脚本家が「今から思えば、こいつら愚かだし随分惨いことやってんな」と思うのは自由だし、それを描きたいなら描くべし。
でもね、だからと云って実在の人物を現代的価値観を持った人物像に仕立て上げて、その価値観を以て当時の人間を「断罪」するのはやめろ、と云いたいんですわ。
そして、そのことによって「ほらね、彼は当時からこんなに偉かった」とか「ほらね、彼は皆さんと同じような等身大の青年ですよ」とか、子供だましのようなことをシタリ顔で言う連中が製作サイドにいるなら、それは本当に不幸なことだと思う。
 
あとは、歴史上の大事件、特に登場人物に大きな影響を与えたと思われる出来事をきちんと描くことかね。
その人の思想や人格に影響を与えないはずはないのだし、それを描かなければ時代の動きも雰囲気も解らない。
ホームドラマみたいな戦国時代や、殺伐としてない幕末があったら嘘くさいだろうし、「安政の大獄」をちゃんと描かずに「桜田門外の変」を描いたりすることがあるなら、それは手抜きだと思うでしょう。「本能寺の変」をちゃんとやらずに「山崎の戦い」をやるとかね。
みんな誰それのことは知ってるでしょ、この事件も知ってるでしょ、知識で補ってよ。
若しくは、そういう難しいことを描かなくたって、この話には影響しないし主人公は先見の明があるから動じないよ。
そういうふうに作られた歴史モノの連ドラがあったら、最悪ですわな。
 

「当時の人間」を当時の人間らしく、「実在の人物」をその人らしく描くのがイヤなのなら、別に歴史物なんざやらなくたっていいと思うわけです。
現代物で充分面白いし、手探りで一生懸命生きてきたご先祖に対しても失礼がないと思う。
それに殆ど創作なら、全部創作でもいいじゃないですか。
実在の人物を史実に沿って描いています、と宣伝しなくちゃ観客動員数が見込めない、視聴率が取れない、というのであればそれはその程度の出来の劇なんです。
大河ドラマでは「天璋院」という人物を描くと言っておきながら、実在の天璋院さんの置かれた状況や心情に寄り添う覚悟もなく脚本家がオリジナルキャラクターを作ってしまうということが過去にあったけど、あれは歴史物とは言えない。
あれは創作娯楽時代劇(暴○ん坊将軍とか遠山の○さんのような・・・)と謳うべきでした。
 
 
これまで大河ドラマ「龍馬伝」の悪口ばかり言ってきたけどさ、別に「コレ、創作なんです」「歴史ファンタジーなんです」って言われたら馬鹿だと言いつつ普通に見たかもしれない。登場人物たちの子供っぽい遣り取りにも笑っていられたかもしれない。
如何にも人望がなさそうで頑迷な馬鹿にも見える武市さんや、偏執的でおっかない爺さんの吉田東洋さん、頭の中身と精神年齢が8歳児程度に見える以蔵さん、面白くないモノまで面白いと言いそうな(てか実際そう言ってるようにも見える)阿呆爺で構成されてる「文政生まれトリオ」の容堂公&春嶽公&勝先生、そして何だか老成した外見のくせに馬鹿みたいに興奮する龍馬(たぶん薬やってる)・・・等、やたら年齢とテンションの高い変な幕末キャラクターたちも「ネタ」として楽しめたかもしれない。
 
そう思うと残念だよ。
 
「ネタ」として笑い飛ばす覚悟が出来たら、また視聴者の一人になるかもしれない。
でも「幕末」が見たい、と思ってる間はムリだろうな。
 

ちなみに自分、龍馬関係の本は評論くらいしか手に取ったことはありません。
有名な「竜馬がGO」(「龍馬伝」のDJ偽勝の滑舌の悪いラッパーみたいな喋り方に影響されてみた。爆)は読んだことないし、「おーい某」(これも司馬先生の創作がベース)も昔、従兄弟が床に放置していた一冊をパラパラ見ただけ。(武市さんが早漏キャラだった。苦笑)弥太郎なんかがどんなふうに描かれているかも知らない(若しくは覚えてない)し、「おいらはYO!」って喋る人物(偽勝ラッパー爺さん万歳。爆)も出てきてない。
これらの本に影響を受けた人たちは、どう思ってドラマを見てるのかなあ。やっぱり賛否両論なのかね。

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2010年4月22日 (木)

ドラマネタ:オイラが「見るに堪えない」と思うとき①

NHK様イチオシ大河ドラマ「龍馬伝」については、ここ暫く「雑感」と「考証もどき」を中心に好き勝手に語ってきましたが、こないだの放送後に「余程興味をそそられるようなことがない限りはもう見ねえだろう」と思ったので、そろそろ真面目に「ドラマ(特に歴史群像劇)」がどうあってほしいのか?について語ってみたいと思います。これまで書いてきたことと内容はだいぶ被ると思うのですが、自分の頭を整理する意味でも書いてみようかとね・・・まぁ、お暇な方はお付き合い下さいませ。
 
とは云うものの、自分は「用管窺天」の輩だからねえ(笑)
いや、19日のエントリーへのたった四文字(っていうとエロそうだな^^;)の名無しさんのコメントが滅法気に入ってしまったもんでね。
出典が荘子だって老子だっていいじゃないですか。なんたって、19日の記事ひとつ読んだだけで私を用管窺天の輩だと見抜いてしまったのですから世の中には凄い人もいるもんです。見習いたいですね(呵々)
 
 
■ひとを描く
 
舞台演劇だろうが映画だろうがテレビドラマだろうが、人間を描くことにおいて一番重要なのはどれだけ登場人物にリアリティを持たせることができるか、に尽きると思います。
だから脚本家はキャラクターの設定をしっかりと行い、それに基づいたキャスティングをし、俳優はそれに基づいた役作りをすべし。
それがイイカゲンだと話の展開の中で人物の言動に矛盾が出てきたり、物語そのものに説得力がなくなったりする。
キャラクター設定は、劇の基本なんでしょうな。映画・ドラマの人物の年齢設定や俳優の見た目(或いは役作り)に私が注目するのは、それが描かれる人物像に大きく関わる要素だと思うからです。
 
 
■人格形成の背景
 
どんな人間でもその人格形成には、出身地、時代背景、家族、経歴、現在の年齢などが大きく影響します。だから、脚本家はそういう部分も含めてキャラクターを設定し、それを踏まえて話を組み立てなくてはいけないわけですわな。
「地方出身、身分は高くないが裕福な家庭の生まれ、年の離れた兄が一人、姉三人の末っ子次男坊」という設定ならば「優しくて甘え上手、天衣無縫の弟キャラ」「強い女性の好きな優しい男性」が出来上がるかもしれないし、「大都会の下町生まれ、伝統ある家系だが貧乏な家の出身、父は不良、母は聡明、4人兄妹の長男で妹三人」という設定ならば「権威や権力を信用せず、自分の頭と腕だけを頼りに生きる都会人」「女性の扱いが上手なプレイボーイ」が出来上がるかもしれない。また、頽廃の香りの漂う爛熟した大衆文化の隆盛期に、その土地に生まれたことを誇りにして生きる人たちの中で生まれ育った人間が、例えば「江戸人の矜持」を華やかに発散するようになるようなことも十分に考えられるわけです。(あ、特定の人物の話じゃないですよ…たぶん。) 
若い頃に取り組んだ学問やスポーツ(武術)が人格に影響を与えているのなら、どんな修行をして、どれくらい上達したのかをきちんと描いた上で、それがどんなふうに影響したのかも描かなくてはならないでしょう。
剣術遣いの話なら「思春期を迎え身体が大きく力も強くなり、それとともに剣術も上達して目録を取るほどに。その結果自信に溢れる大らかな青年になった」とか、「もともと敏捷で剣も筋が良かったが猛修行、免許取りの腕前に。その中で恐ろしく胆の据わった青年に成長した」とか、そういう部分をイイカゲンに扱うと「成長」に説得力がなくなる。勿論脚本家が頑張っても「中の人」が本当に強そうになって見えなくては意味がないけどね。(気合いの声が弱いとか腰が入ってないとかは問題外。あ、別にコレも特定の人物の話じゃないですよ…たぶん)
また「中の人」の年齢だけどね、個人的には青年であるはずが中年に見えたり、年が変わらない筈が凄く年下に見えたりするのはマズイと思ったりします。それを些細なことだと言い切れる人の気が知れない。(舞台ならともかく。)
「頭のキレる新進気鋭の政治家や官僚」ならば現代のイメージで考えても、知的な雰囲気の、少なくとも40〜50代前半くらいまでの俳優が演じないとならないでしょうし、「これから世に出るハタチ〜30代前半の元気な青年」を演じるなら、30代前半までの俳優を配すべきだと私は思います。でないと雰囲気出ないもん。40代にしか見えない「ハタチの青年」がはしゃいでたら馬鹿にしか見えないし、特に賢くもなさそうで明らかに定年後みたいな顔の「新鋭」が鋭い意見を理路整然と述べたところで特別デキる男には見えないでしょう?
人格は年齢を重ねても変わらないもんだ、ハタから見た印象も特に変わらない、元気な壮年と衰えの目立ってきた60代は同じように描いても不自然ではないと言うなら話は別だがね…。
 
漫画家がキャラクターを描くときは、如何に「らしく」見えるかに気を配り、人物像に説得力と奥行きを出すために綿密にキャラクターの設定をするそうだよ。
「実写版」であってもそれは共通の作業じゃないかな、と思うんですよね。背景だけ上手くったって仕方がない。
いくら美術さんが頑張っても、脚本やキャスティング、俳優の役作りがイイカゲンだとどうしようもないんですな。
 
創る側が視聴者に対して劇の中で明確に描かれなかった部分を想像力によって補完することを期待するのは当然のことだけど、それは話の中できちんと人物像を描いての話です。キャラクター設定があんまりイイカゲンだったりすると補完のしようがなくなります。
「この人ならきっとこう考えるだろうな」とか「この人は今こんなことを考えているのかな」とか、そういう想像がしにくくなる。
上方の風流を愛した教養の高い文化人が一人で江戸に「下ってきた」らどんな気分なのか想像すべきところで、それらしい人が演じてなかったら「そうか田舎モノが大都会に出てきて大変だったろうな」と違う形で同情しちゃったりするもんです。(別に民放の某ドラマの話をしてるんじゃないですよ。)
それを狙っていたんだったら別に構わないんですけどね。
 
 
今日は、疲れたからここまで。(てか、ケータイでの更新を試みたのが阿呆だった…)
 
明日以降は「歴史物」の話をする予定。
 
あ、上の話とは関係ないけど、そんなこんなでドラマが破綻してきたときに便利なのが、美しい映像や壮大なBGMやスポット的なお涙頂戴劇や裸(!)で、一瞬見る人の興味をひくって手法ね。要は誤魔化しなんだが、それは脚本家や演出家がやっちゃいけないことだと思うんですよね。いや、裸がいけないとは言ってないよ。

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2010年4月21日 (水)

悪意と妨害。

悪意による行動は自分自身を卑屈にし傷つけもするが、相手も同様の痛みを感じていると思い込めば自らの痛みを誤魔化すこともできる。だから私は他者のコソコソした悪意なんかに傷つきはしない。
 
…って言い切ってみたいなぁホントは(笑)
でも傷つかないでいられるなんて自分にはムリな話だから、たとえ妨害に傷つくことがあってもね、元気に喋って笑い飛ばして生きていく人間になりたいのよ。ていうか、そういう人が好き。

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アッシュモアーズ キウイフルーツ&ミルクチョコレート

アッシュモアーズ キウイフルーツ&ミルクチョコレート
デザートがわりにコンビニで買った。
 
オーストラリア産だけに外側のミルクチョコがめちゃめちゃ甘い。中身のダイスカットのドライキウイの酸味と良い意味での青臭さがそれを上手く中和している。フルーツのチョコレートコーティングではなく、寧ろセンターに乾燥フルーツの入ったチョコボールと謂ったほうがよい。
 
個人的には好きな味なんだが、2粒157円はちと高い気がするぞ。

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2010年4月20日 (火)

新しい経験。

楽しみだけど、緊張はするよね。いや、緊張するけど、楽しみなのかな。
 
ということで、行ってきますデアリマス(^-^ゝ

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2010年4月19日 (月)

お礼参り。

いろいろあって、川越氷川神社へ。
 
とりあえず例の鳥居をくぐり・・・
01_4
「やあ先生!」と中央扁額の御仁にご挨拶。
(未だになぜ看板書きが勝先生なのか謎。)
 
 
参拝の後、鯛を釣り竿で引っかける変わったおみくじ(¥300)を引いたら、
02
 
「大吉」。
 
調子がいいからって油断するな、という神さまの忠告だと思って精進しよう。
「得意澹然」ですからな。
 
・・・しかし、結構遠かった。。。

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龍馬伝(16回):勘違い自由人と田舎臭い軍艦乗り

某所で大河ドラマ「龍馬伝」について熱く語っている人を発見。
 
曰く。
 
 
「本物の勝海舟は、武田鉄矢よりも

安達祐実
 
に近くない?」
 
今回のミスキャストっぷりについて言いたかったんだろうが、男優ではなく女優の名前が出てきたので驚いた。
でも、言われてみれば解らないでもないなあ、その感覚。
ちっこくて、生意気そうで、瞳が大きくて、ぱっちりした顔立ちってことだよね^^;
妙にツボにはまってしまって、笑いを怺えるのが大変だった。
 
Photo_2
 
で、昨日18日放送のサブタイトル「勝麟太郎」。
見ない気満々だったが、20時前になって何を思ったかオトンが「オイ、たまには龍馬見てみようぜ」なんて言い出した。
私「ヘヘッ…怖いもの見たさで?」
オトン「今日は凄いのが出そうだからな(笑)」
私「うわー・・・まさか?」
オトン「まさかの麟太郎。」
  
…で悩んだが片手間に見てみた。片手間だったのは、コント紛いの掛け合いが寒々しくて、また「文政生まれ、満年齢30代」の面々が揃いも揃って阿呆ジジイだったこと&中年のオッサンたちの薄気味悪いハイテンションぶりが痛々しくって最早正視できなかったことに因る。「目もあてられない」というのはこういうのを指すのか。
幕末は「若いエネルギー」が発散されるから良いんだよ。中年がハイテンションで騒いでいても何も面白くない。
 
以下、雑感。 
 
■たいした努力もせず、一人前に他人に説教して、あとはウジウジ悩んでいるだけで周りの女どもが都合良く動いてくれるという中年ニューヒーローが、今回も不思議な達観ぶりを披露。今度は自ら「海軍構想」を語りだしましたぜ旦那…。
■時代考証だけでなく方言指導も放棄か。ひでぇ江戸弁だな、ありゃぁ。一番の違和感はテンポとリズム感。歯切れが悪すぎる。
■画面が黄色で顔色がどす黒いのは慣れたが、なんで軍艦奉行並がそれに輪をかけた黒さなんだよ。
まさか一部の肖像写真を見て『日焼け顔』って決めつけたかね。確かにやたら黒光りした写真は残っているけれど、あれは黒いエナメルを引いた金属板に焼き付ける「ティンタイプ写真」だからだよ。被写体がどうしても黒っぽく写るの。
当時の歴史に詳しいならこれくらいは知っていてもおかしくないだろうに。演出家が手を抜いたのか。それとも俳優が勘違いして役作りをしてるのか。
■予告編でまた登場した容堂公含め、文政生まれの3人(後の二人は11年生まれの春嶽公と6年生まれの麟さん)が全員ジジイたぁどうゆうことだよ(←江戸弁風) 脚本家さんよ、さてはあんた文政時代に恨みでもあるんだな。
■脚本家は「自由人」を描きたいのかなあ。
でも自由ってああいうのを謂うのかね。自分の意思で選び、自分の意思で行動する。その過程で、或いはその結果によって権力による不当な抑圧を受けないこと。それについての責任を自分で負うこと。これが「自由」なんじゃないの?
好きな人と好きなときに好きなことをするのは「自由」じゃない。
今日は取捨選択の決断を迫られないノンプレッシャーな状態を「自由」であると勘違いしているモラトリアムな人物像が「自由人」だと思ってる人が脚本書いてるのかな、と思ってしまったんだが、どうなんだ。いや、まさかね・・・小学生じゃあるまいしさ。
■脚本家がどういう方向に話を持っていこうと自由なんだけど、そこに誘導するための伏線も張らずに視聴者の脳内補完に甘える根性がイヤだ。お前らプロでしょ。
■軍艦に乗り込む似非・勝先生に笑った。「どっこいしょ」って掛け声が聞こえてきそうで。渡米時に「逞しく身軽である」(ブルック大尉)と言われていた麟さんが、たった2年後にあんな無様な乗り込みかたをするようになるもんかね。
■いい年して「黒船じゃー」連発。海軍について悟ったことを語ったヤツが、そのテンションですか。馬鹿なのかなあ。
■おいらの弟子になりたきゃ勝手についておいで、みたいな勝先生が、あんな野暮な問答で若者を試したりするもんか。
 
 
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【オマケ】
「勝麟太郎『色白』説」を何処で読んだか思い出せないんだけど、肖像写真を拝見したり、お弟子さんの証言を読んだりする限りは、少なくともこんがり日焼けしたキャラクターではないと思わざるを得ない。
何せ色白であることが粋な男の条件のひとつに挙げられていた時代である。(「東海道中膝栗毛」にも「白い手拭をかぶると、顔の色がしろくなつて、とんだいきな男に見へるといふことだが、ほんとうかの」なんて台詞が出てくるくらい。)赤銅色に日焼けした逞しい男など珍しくもない時代、男女ともに綺麗だと言われたのは色の白い人間である。
と、考えると、やっぱり「キレイで牛若のよう」だったと言われた先生が色黒ってのも変な話だよね。
 
参考までに、勝先生の肖像写真を晒しておこう。
 
↓先生50歳くらい。
P131_01  

もう一枚。こちらは明治20年より前。
P131_02  
・・・下の写真は「中の人」である武田さんと同年代の頃だ。
もし、流石に満39歳の役に無理があるということで先生のアラカンの頃をイメージして役作りをするにしても、これくらいの雰囲気は目指してほしいと思うわけです。・・・って、無理かい?

ちなみに麟さんのひい爺さんと同じ北陸出身のウチのオカンは恐ろしく色白なんだが、彼女は「黒い勝先生」を横目で見ながら、元々白い肌の人間は多少焼けてもすぐに褪せる、あんなふうに黒いのはあり得ないと力説していた。
確かに周囲の色白の人間のことを思い出すとそんな感じである。ちょっとくらい焼けても、すぐに色褪せて元の白さに戻ってしまうんだ。

 
別に顔なんか似てなくったっていいからさ、せめて雰囲気くらいは「それっぽく見せる」努力はしようや。
来週大活躍の容堂公が、今から気の毒でならない。

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プロフィール画像を変えてみた。

Photo
こういう顔、偶にテレビで見ます。
たいていは「記憶力選手権」みたいな大会で取材されている側の人です。
本が何冊も頭に入っているような、記憶力に優れた人で、数字が好きでメカも好き、集中力がもの凄いが、内気な性格・・・みたいなキャラクターであることが多い気がします。
 
別に長州が好きな訳でも、村田蔵六さん(=大村益次郎)が特別好きというわけでもないんだけどね・・・(戊辰の役のときに官軍が勝さんちに殴り込みをかけたのもこの人の指金みたいだし^^;)
何だか最近彼の肖像画がしょっちゅう目の前にちらついて困っていたんで、ついでだから似顔絵を描いてみたというだけの話なんですな。
 
ということで、暫く当ブログのプロフィール画像は「蔵六さん」になるので、あんまり変な顔って言わないでね。

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2010年4月18日 (日)

坂本龍馬と勝海舟、その出会いの真相とは。

日付変わって本日4月18日。
大河ドラマ「龍馬伝」は、遂に龍馬が勝先生に出会うとこまで話が進んできましたよ。楽しみですねえ。絶対見るぞー(以上、棒読み。つーか、たぶん見ない。笑)
 
そこで問題になるのは、ふたりの運命の出会いの真相は如何なるものであったのか、という点だわな。
 
両者の出会いは文久2年の後半~翌3年の初め(おそらくは2年10月)だと言われています。龍馬が「誰か」と一緒に福井の殿様・松平春嶽公の添書(紹介状)持参で赤坂の勝さんちに乗り込んできた、というところまでは概ね間違いないでしょう。
明治19年の土方久元さん宛の春嶽公の書簡には、こうあるらしい。
 
「坂本、岡本両士、余に言う。
勝、横井に面会仕りたく、候の紹介を請求す。
余、諾して勝、横井への添書を両士に与えたり。」
 
「両士、勝に面会し、議論を起こして勝を惨殺するの目的なりと聞く。」

 
つまり、龍馬と岡本健三郎さんとが春嶽公に「横井平四郎(小楠)先生と勝麟太郎(海舟)先生に会いたいから殿様の紹介状が欲しい」と言ってきたので、殿様は「こいつら物騒なことに勝くんに議論を吹っ掛けて場合によってはムザムザと殺す気だな」と思いつつ、紹介状を書いてやった・・・ということか。
そんな危険人物のために紹介状なんて書いてやるはずがない、と言う人もいるけれど、当の勝さんも「こいつはお前さんを斬りたいらしいが、会ってやれ」という西郷さん宛の添書を人見寧さん(だったかな)に渡したりもしてるんで、まぁ当時はそういうこともあったと考えた方がいいと思います。
 
当時、既に勝さんちには毎日ひっきりなしに怪しげな客人が訪れていたらしい。
勝さんは変人だ。陰で「変勝(ヘンカツ)」なんて渾名まで付けられてるくらい。
どんな怪しい客が来ても会ってやるが、そのかわり彼の応対の仕方は普通じゃなかった。
 
勝先生の初対面の訪問者への応対は「なんらかの手段によって向うの気を一転せしめ、その刹那に相手を赤裸々にして、その真相を見てしまう」(巌本善治さん)というものだったらしい。要するにいきなり虚をついてその反応から素顔を見てしまう、という方法である。剣と禅の修行を積んだ元「剣豪」らしいやり方だ。
「晩年、慈悲相の発揮された時でも、この悪辣手段の機鋒はしばしば人を驚かせたようである」と巖本さんは書いていらっしゃるが、実際先生(当時既に爺さん)に一喝されて、その剣幕にスタコラ逃げ出したはいいが、ガクガクブルブル震えが止まらず・・・という人もいたということだ。
 
初対面の、しかも怪しいことこの上ない客人だったであろう龍馬たちに対しても、先生は彼らの「気を一転せしめ」る「悪辣手段」を講じたに違いない。
  
・・・勝先生は、浪人風の訪問者たちの風体を見て「なんだい、また刺客かよ」と思った。
そこでイキナリこう切り出した。 
「おいらが勝だよ。おめえたちは刺客かい。どうせ攘夷の先駆けとばかりに斬りに来たんだろ? まあ、お上がりよ。」
 
若い浪人は何かを言いかけてポカーンとしてしまった。先生はニヤニヤしながら浪人を見上げる。
「おいらの議論に非があると思ったら、そんときに斬ってみるてぇのも悪かねえやな。」
若い浪人者はすっかり気合い負けしてしまった。完全に先生のペースである。
 
・・・そこから先は、だいたい伝えられている通りじゃないかと。
 
 
先生は後々まで「こいつ俺を斬りにきた癖によぅ」と冗談半分からかい半分に言っていたんじゃないかね。んで、弟子のほうも「センセエみたいながは斬られて当然じゃち思うちょったこともあったがぜよ」なんて言っていたんじゃないかねえ・・・。(実際攘夷派と行動を共にしていた時代もあったわけだから。)
 
勝先生は法螺吹きだが嘘つきではないので、「坂本龍馬が勝海舟を斬りに行くはずがない、あれは勝の嘘だ」などと目くじらを立てるのもどうかと思う(笑) 龍馬だって乙女姉ちゃんへの手紙に「(勝先生んとこの)客分のようなものになり申候」なんて書いてるけど、こいつは随分と大袈裟な話だよ。ほんとうは「子分」か「弟分」くらいの話なんだろうにさ^^; 似た者同士だと思うよ、この師弟コンビは。
 
いずれにしたって、この出会いがその後の日本を動かした―――― そう考えただけで楽しいじゃないですか。
「まぁ、細けえこたぁいいじゃねえか。面白けりゃぁよ。」
「ほうじゃ、ほうじゃ。かまん、かまん。」 
あの二人なら泉下でそんなふうに笑ってそうだしね^^;

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2010年4月17日 (土)

香水: Calvin Klein "CK be"

ブランド:カルバンクライン
名称:シーケービー
 
TOP:ベルガモット、ジュニパーベリー、ミント
MID:マグノリア、ピーチ
LST:オポポナックス、トンカビーン、白檀、ホワイトムスク
 
 
妹が昔から気に入って使っているものを少し分けてもらった。 
 
ユニセックス系の清潔感のある香り。それでいてどこか重さのある「一捻り」のあるトップノートは万人ウケ以上の狙いがあると見た。香りが落ち着いてくると柔らかな重さのあるフローラルウッディの香りに。ラストノートはムスクが力強く香る。ライバル「シーケーワン」よりは男性的、或いはナイトタイム向きか。
 
「力強い」「男性的」と書いたが、妹が付けるとフワリと香るムスクがまるで洗い立てのTシャツのような爽やかさ。清潔感のある知的な香りになる。自分で付けてもこの香りにはならないんだな。まぁ、そこが香水の面白いとこなんだけどね。

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アポロ入浴剤。

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こんなの買ってみた。280円もするのが痛い。
 
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中身は↑↑こんな感じ。一応「アポロ」っぽい。
風呂に投入するとシュワシュワ二酸化炭素の泡を出して溶けていき、湯の色が紫がかったピンクの濁り湯になる。香りは「イチゴ味」のイチゴの香り。
 
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中から出てきたアポロちゃんのマスコット。
全部で五種類あるのだが、その中で一番欲しかったのが出てきた。
 
こんなとこで運を使い果たしていいんだろうか?と思ったが、まぁ可愛いし、別にいいか。

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2010年4月16日 (金)

4月16日生まれの人。

4月16日生まれの元サッカー選手がいる。
 
ボール扱いが柔らかく、美しいフォームのキックは正確だったし、緩急をつけながら華やかにサイドラインを駆け上がってゆくドリブルは魔術のようだった。そして稲妻のようなセンタリングやシュート。思い出すたびに懐かしさで胸が一杯になる。
 
引退後は指導者の道を選んだ。まるで伝導師みたいでさ。行動力と思慮深さとが同居していた。深い優しさと頑ななまでの信念を胸にチームを率いる姿はいつも真剣そのものだった。人を信じる気持ちの強い人のようだった。何か問題が起こってもたいしたことはないと振りきって迷わず前へと進んだ。それが大きな挫折を招くこともあった。内気だが社交的。優しいのに頑固。解りにくい人だったよ。
 
元気でやってるかな。
幸せだといいな。

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2010年4月15日 (木)

中野の梅酢都こんぶ。

中野の梅酢都こんぶ。
中野物産さんの「都こんぶ」の期間限定版。
 
通常の「都こんぶ」はただの酢昆布なので酢のにおいが生臭いが(アレはアレで好き)、コレは爽やかな梅の風味が効いていて尚更旨い。
 
70瓦入と云う超お徳用パックだが(フツーの箱入りのヤツは15瓦)、急ピッチで胃袋の中に消えそうだ。買いだめをしておくべきであった…。

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龍馬伝ネタ:ついさっき…

…次回の予告編を見た。
 
なんか柄の悪い爺さんが喋っていたが、ありゃあ一体何者なんだろう。妙にイキがってるようにも見えたけど、田舎のヤクザ者なのかなあ。
 
次回=16回のサブタイトルが「勝麟太郎」なんで、予告編でも江戸前っぽい洒脱なキャラクターが登場して然るべきだと思ってたのに、何故かそういうキャラクターは一瞬たりとも出てこなかった。
なんでかなあ。不思議で仕方ない。
 
と言いつつ…雷にでも打たれたような気分なのは何故なんだ…。
 
 
たとえ自分が嫌いな人物であったとしても、個人的にあまり関心のない人物であっても、実在した人間に対するリスペクトを欠いたキャラクター設定には腹が立つ。先祖をナメる奴は子孫にナメられりゃいい。瑞山といい、弥太郎といい、東洋といい、容堂公といい、描き方がまるでギャグだ。
そしてここから先は個人的な感想だが…リアル勝麟をもっと大事にしてやれよ、と言いたい(笑)
 
ということで、腹立ち紛れにブログを更新してみますた orz

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2010年4月14日 (水)

物分かりの良い人。

「まぁ、ありがちなパターンだし、こんなのフツーの範囲じゃね?」
「ぶっちゃけ興味ねえし、別にいいんじゃね?」
「もう決まっちゃってるんだし、仕方なくね?」
 
特に奇抜ではない話や、自分に関心も知識もない話、それから既成の事実に関しては、人間って随分と物分かりが良くなるもんらしい。
 
こういう「大人の寛容」が、時計の針を遅らせたり、人々にUターン禁止のハイウェイを走らせてしまったり、何処か遠くにいる知らない誰かの悲しみに気付かなくさせちゃうことも沢山あるんだろうな。
コレって場合によっちゃ、無知が偏見や盲信の温床になるのと同じくらいヤバいことなのかもしれない。

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2010年4月13日 (火)

恋愛って最高@龍馬伝。

もしや恋愛パートで丸々1話分潰しちまいましたか、15回は。
 
いや、気持ち悪くてとてもとても最後まで見られなかったんだけどね・・・。
 
 
つ ー か 、何 こ の 展 開 。


これから生涯で最も劇的な出会いを迎えるってのに、キッカケは で す か。

ねえ脚本家。

歴史的なイベントは省略しやがるわ、肝心な人物の成長過程は弥太郎のテキトー解説で済ましやがるわ、一体どうなっちゃってるんだよ。
これで「想像力のないテメエが悪い」と言われても困るわな。
だってキャラクターの造形が随分とイイカゲンだろ。
これで行動パターンや思考回路を想像しようってったって無理だよ。
それを描かなくても想像できる程度の人物なら、龍馬じゃなくて通行人Aで宜しい。

「新しい龍馬像」とか言って誤魔化すんじゃねえ。
新しいも古いもねえよ。
この脚本には初めっから人物像自体が存在しないんだ。

 
 
つーか、そんなに色恋沙汰を描きたい脚本家なら、

「勝先生の大恋愛heart04もやってくれるんだよなあ?
 
この頃なら一世一代の遠距離恋愛の真っ最中だぞ、先生は。
 
ドラマチックな出会い(まぁこれは渡米前の話だが)、聡明で美しいと評判の長崎女と粋でイナセな江戸っ子船乗りの恋、やがて子供も生まれるんだが(←先生そればっか。笑)、突然訪れる永遠の別れ。
 
もうドラマ的要素満載だぞ。
わざわざ以蔵の架空の恋人とかを仕立て上げなくったって充分面白いぞ。
(しかもこの脚本家の場合は手の込んだ創作の癖に面白くない。)
 
 
だから、やれよ。
 
 
このキャストで(爆)
 
 

おえー。絵的に無理だ。病気になりそうw
 
ていうか、歴史物に恋愛的要素が必要不可欠だとは思えないんだがな。
特にこういう気持ち悪いのは息抜きにもならんわ。

 
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えっと、龍馬と麟太郎の出会いと別れについては諸説ありますが、それについては近々話題にするかもしれないです。気が向いたら。

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2010年4月12日 (月)

原作=遠藤明範・漫画=神宮寺一「幕末めだか組②」(講談社)

私は飽きっぽい。
他に面白いモノがあれば直ぐプイと何処かに行ってしまう。
だもんだから、いつも何かに興味を持ったら「飽きるまでは、とことんハマる」ことにしている。(「飽きるまでは」ってのがポイントね。笑)
 
そして何故だか異様に長続きしている「脳内幕末明治まつり」。
歴史モノにハマるなんて潜在意識の中に逃避願望でもあるのかと思ったこともあったが、創作的な要素があるにせよ、あくまで史実にベースがあること、現代との繋がりを意識せざるを得ないことを好み、完全な空想の世界に惹かれたりその世界観にのめり込んだりするのを好まぬという点から考えると、まあ「逃避」ではないな。心理学で謂うところの「同一視・同一化」に近い効果を求めているのであろうと思われる。
 
 
ともかく、漸く「めだか組」2巻getである。以下、雑感。
 
■巻頭に1巻までの主要な登場人物の紹介が。操練所の教頭先生(正しくは「教授頭」)の名前は間違いなく「佐藤与之助」になっている。やっぱり「あの」与之助さんだ。リアル与之助さんは地味ながら現場でゴリゴリとその実力を発揮する秀才だが、この漫画では心配してるか怒ってるかのどっちかだな(笑)
 
■やんちゃ上等、能書きは後、兎に角やってみろ、結論を急ぐな、テメエの頭で考えろ、そして志を大事にしろ。操練所の教育方針はこんな具合か。何せ校長(創設者…が正しいのであろうな)が学生以上にやんちゃな江戸っ子先生だからね…リアル操練所の方針も概ねこんなようなもんだろう。
 
■遂に人気者・新撰組Sさん登場。
 
■そして斜に構えた慎三郎の過去がちょろっと明かされる。剣が強い理由も、旗本三男坊という理由の他に自らを「厄介者」と称する理由も。
 
■べろんべろんに酔っ払った作左衛門さんの「校長のモノマネ(違)」、不覚にも笑ってしまった。アレはクラスメートの窮地を救うだけのインパクトはあったろうよ…。
 
■なんか薩摩藩の連中がチラッと出てきたよ? 顔は影になってたけど妙に身体のでっかいのもいるし。彼らと隼人はどんな関係なんだろ。
 
■この巻の主人公は事実上蘭丸ちゃんだな。遂に彼の正体と過去が明かされちゃう訳だが(泣)
最後に「自分自身の夢」を再確認するシーンはちょっと感動的だ。
 
■蘭丸ちゃんの件。150年後の現代でも「異質」なモノに対しては露骨に否定的反応をする奴はいる。異質と知れると昨日までの彼と何が変わったわけでもないのに態度をコロッと変える奴もいる。また自分が差別していた人種が自分たちと肩を並べようとすることに我慢ならない奴もいる。
ただ、ここに出てくる何人かのクラスメートや操練所勤務の面々のように、優しさ・屈託のなさを以て接してくれる人もあれば、入学を気持ち良く許した校長みたいな懐の深い人間もいる。頑張れ、すべての「蘭丸ちゃん」。
 
 
…第1巻での日高丸の一件の後、例の英国軍艦の艦長と校長がこんな会話をしている。
 
艦長「とんでもない連中を集めましたな、ミスター勝」
校長「ああ、日本海軍の将来もこれで安泰よォ」(ニンマリ)
艦長「OH…」(絶句)
 

幕府海軍ではなく日本海軍の未来を担う人材を育てる操練所。確かにワケアリ個性集団の「めだか組」こそがその象徴的存在で、校長は彼らの成長を相当楽しみにしているのだろうとは思ったが、2巻を読んで、ますます校長の「将来は安泰」発言は本音だろうな、と思えてきた。いつもニヤニヤしているが、ああ見えてミスター勝(!)は本気だ。
 
 
早ぇとこ次が読みてぇんだがね。(←校長の口真似)

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2010年4月11日 (日)

久しぶりに。

「薄紅色の雨」の舞い落ちる春らしい陽気でしたな。
 
久しぶりに彩々さん(相互リンク先様)とぶらぶら遊びに出掛けてきた。(すんません、勝手にブログのネタにして。でも嬉しかったんだもの。)
何故か大型スーパーの地下でガッツリと食事を摂り、何故か文房具や石鹸や菓子やハンガー10本組(\315)なんかを買い、愚痴まで聞いてもらい(話し出したら止まらなくって。いや、申し訳ないッス)…充実の1日だった。
 
お互い忙しくなりそうだけど、また会いましょう。カネとヒマができたら韓国にでも行きましょう(´∀`)
 
 
それにしても、彩々さんはポジティブで他罰的なところがなく、しかも押し付けがましいところがない。それに比べて世の中への不満が多すぎる自分に、ちとウンザリした。
まあ同時に、自分はそんなロクでもない世界を実は愛してること、少しでも何かを良い方向に変えたいと思う気持ちもあることを再確認できたんだけどね(-o-;)
 
いや、別にね、大事を成したいとかっていう野望なんかないんだけどさ。でも「こんなのオカシイだろ!」と思うことが何かひとつでもなくなったら自分としては嬉しい訳よ。

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2010年4月 8日 (木)

小谷野敦「大河ドラマ入門」(光文社新書)

恥ずかしながら小谷野先生のお名前を最近まで存じ上げなかった。最近「小谷野敦という大河マニアの文筆家がいる」と知ったのだが、それまでは「小谷野」と云えば、同期の「小谷野くん」と「小谷野玖磨」くらいしか知らなかった。(←誰だよ。)
 
 
何故特別大河好きでもない私がこんな本を読もうと思ったかと言えば、幕末大河「篤姫」や「龍馬伝」の悪口ばかり言っているくせに大河ドラマそのものについてはあまり知らないことに気付いたからである。
上の2作品のみでなく最近どうも駄作続きのように思えてならないのだが、それだって私がハッキリ内容を覚えているのが「篤姫」と「天地人」くらいであり、あとは「大平記」とか「翔ぶが如く」くらいは見たことをウッスラ記憶しているというだけだから、最近の大河ドラマが相対的に酷い出来なのか、或いは大河ドラマそのものがああいうクオリティが許されるものなのか判断できないのである。(まあ、「大平記」や「翔ぶが如く」については最近のペラい台詞大行進や高齢キャスティングの目立つ阿呆大河とは明らかに違っていたと思うのだけどね…。)
本書は小谷野先生の独断と偏見?で書かれた「四方山話」だから、これを基準に作品の出来がどうの、という判断はしかねるし、大河を解ったつもりになるのは危険である。だが、これまでの歴史をオサライでき、大河ドラマというものを見る幾つかの視点を提示してくれる本としたら大変面白いし、「入門」本としては有難い本だと思う。個人的にはしょっちゅう出現するユルい似顔絵(小谷野先生自筆)がツボだった。
 
 
==================
以下、雑感。
 
 
■役者の年齢
最近個人的に一番気になるのが、登場人物の実年齢と役者の年齢のギャップだ。ストーリーを考える上で人物の年齢の設定自体を変えちゃったのなら、それはそれでOKなのだが(ドラマは創作だから)、設定は45歳、中の人は65歳…とか、実年齢は3歳違いで設定も史実と同じと思われるのに、中の人の年齢が20歳違うとか、そういうのが気持ち悪い。というより、そこに違和感を覚えない制作者が何より気持ち悪い。(「篤姫」の斉彬公や勝先生、「天地人」の信長と秀吉、「龍馬伝」の以蔵と龍馬など。)
キャスティングの年齢調整の難しさについては小谷野先生も指摘されていて、実年齢でキャスティングしてしまうとクレジットタイトルの最後=「止め」の俳優がいなくなってしまうという問題が生じるからだという。なるほどな…とは思ったが、そんなことを理由に高齢大河を見せられるほうは堪らねえや、と思ったのは自分だけか。
 
 
■大河のOP
実は自分、かなり昔から「花神」(ハナガミと読んだオマエ、赦さん)と「勝海舟」の着メロはアラームとして使っていたのである。何れも民放のTV番組でBGMとして使われていたのを気に入って曲の正体を突き止めたら、大河のOPだったというだけの話。前者は、志を胸に自ら未来への扉を開け、サクサクと着実に人生のスタートを切ってそうな感じ(ってどんな感じだよ)が滅法気に入っており、後者は未知なるものを愛し困難を恐れずに世界に飛び出してゆくような勇壮さと、ふと波間に煌めくロマンの欠片のようなものが見える瞬間(?)が好みである。最近になって着うたが存在することを知って迷わず落としたが、改めて聴いてみると、ドラマの主人公であるゾーロクさん(=大村益次郎さん)や麟さんの人生をちゃんとイメージして作られているんだなあ、と感心してしまう。最近若干幕末維新に詳しくなってきた身としては、特に。
と思ったら、小谷野先生も「花神」と「勝海舟」は高評価を下していらっしゃる。だからどうってこともないが、仲間を見つけたような気がして何となく嬉しかった。
 
 
■「史実と大河ドラマ」の章
私も大河を含む時代劇のなかで人物が諱(イミナ)で呼ばれているのはホントは変だよな…と思っていたクチなんで、ニヤニヤしながら面白く読ませてもらった。
高校の日本史が面倒で仕方なかった自分が完璧についていけた話題は「篤姫」の中の史実とフィクションに関わる話のみ。勿論、深夜まで連んで遊んでいた41歳の将軍家未亡人と一回り年上の旧旗本Kさんの「怪しい話」も載っている。彼らが「姫君」と「騎士(ナイト)」の関係でいられたか否かについては、私も「否」の可能性が高いと見ているが、ドラマのキャスティングが40代の俳優さん×30代の女優さんだったら、最終回の夜のデートシーンはさぞかし生々しい雰囲気が漂ったことであろう、と悪趣味な妄想をしておくか。
 
因みにそのセクシィ旗本が壮年時代に大恋愛をした相手、長崎の未亡人の名前が最初に挙げた「小谷野玖磨」(通称=お久さん)ね。これについても本書に記述があったりする。
 
…まぁ、Kさんがワルい男だという結論で宜しいですかな(笑)

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晩夏の夢。

晩夏である。
黄金色の西陽が照りつける。コンクリートのブロックで四角く区切られた空地が点在する。大人の背丈ほどの高さに成長した薄が生い茂り、処々に黄金蜘蛛が巣を張っている。
 
 
暫く歩くと駅がある。
プラットホームは一つだけ。上りと下りの列車が同じホームの反対側から発着する小さな駅だ。
上りの列車に乗る。10両編成の列車の乗客はまばらだ。茜色の夕焼けを背に、列車は東へと走る。風景は開発途中の荒野から寂れた街になり、次第に高い建物の林立する都市へと変わる。紫色の残照のなかの薄墨色のビル街が懐かしさを誘う。
 
 
列車は大きな駅に吸い込まれる。灰色のタイルの貼られた壁。両端が黒く変色し始めた蛍光灯。21番ホーム。
階段を昇って直進し、更にエスカレータを昇って暫く歩き、再び狭い階段を昇って外に出ると、牛丼屋のオレンジ色の看板。
 
 
この風景、飯田橋じゃないか。飯田橋なんかに用はないぞ ―――。
そう呟いて踵を返した瞬間、自分は自宅の玄関にいる。
両親がリビングのソファで寛いでいるが、これは子供の頃に住んでいた家だ。
自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込む。胎児のように丸まって暫し微睡んでいたが、足元に何か柔らかく重いものを感じて目が覚める。誰かが座っているようだ。
 
見えないが、わかる。
妹だ。嫁いでいった妹が何故…?
 
 
------------------
夢はそこで終わった。
人間は人生の転機を迎えるとき、或いは大きな心境の変化を経験したとき、夢を見やすくなるものらしい。来るべき変化への心の準備なのだという。
 
 
それは自分のような夢など殆ど見ない人間にも当てはまることなのかな。

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2010年4月 5日 (月)

武田鉄矢のせいで@龍馬伝。

大河ドラマ「龍馬伝」第14回放送から一夜明けたが、勝先生の想像を絶するダサさ&ショボさがショックで寝付きが悪かったw
 
あのねぇ勝海舟は少なくとも都会的で知的でなくっちゃダメでしょーが。出来ればシュッとした端整な顔立ちの小粋な役者サンに演じてもらいたいくらいなのに。(ドラマなんだから実物よりカッコイイ俳優さんを連れてきてもバチは当たらんだろうし。)
 
脚本家はどうお考えかは知らんが(何も考えちゃいないか、既存のイメージを壊そうと躍起なのか…)、まさか先生に「なぁおい、龍馬はタダ者じゃあねぇぜ…」とか何とか言って弟子を可愛がるだけのリョウマ被れの「爺さん」の役回りをさせようってんじゃねえだろうなあ。
 

これから暖かくなるってのに暑苦しい勝麟像を電波に乗せて日本全国にバラ撒いて下さるというNHK様の粋な計らいに拍手だ。
おい脚本家、これで大久保一翁が華々しく活躍しなかったら、あんた最悪だぜ。
 
しかし武田サン…想像以上の破壊力だね。驚いたわ。
.・゜・(ノД`)ヽ(゜Д゜ )ナクナ

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「龍馬伝」が面白い!

いやあ、脚本家や演出家の力って凄いねぇ。大河ドラマ「龍馬伝」には驚かされることばっかりだよ。
 
…って、結局また見ちまった「龍馬伝」。TVでやってんのを見ると、つい怖いもの見たさで見ちゃうんだよね。一応幕末物だから気にはなるし。
あんな面白い素材を無惨に切り刻んで正体不明の創作料理にしてしまう脚本家の猟奇的才能と、変なカメラワークで見たくもない自慰行為を見せてくれちゃうような演出家の感性には脱帽だ。
 
相変わらず黄砂色の変なフィルターのかかったような埃っぽい映像、女優陣の黄疸のような顔色、男優陣のどす黒い顔色。態とらしい陰影。爺さんの東洋にも呆れたが、白髪頭の容堂公には萎えた。小学生レベルの台詞しか言えない半平太、「純粋さ」の方向がちと間違ってる以蔵、リョウマコスプレの奴は豪放磊落さを変な高笑いと顔芸で表現しようとしてるのが痛々しくって正視できない。オマケに一人だけ「ワシには時代が見えるがじゃ」的な現代人目線なのが馬鹿馬鹿しすぎる。
 
そして遂に、運命の出会いが待っている「あの」文久2年だが、リョウマは満27歳には見えず。江戸の御殿と幕閣の連中の様子が映ってたが「カツ・リンタロー」って誰のことだ。あの皺の多い、頬や顎のラインの崩れた、黒くて泥臭いオッサンの名前かな。そう名乗ってたし。
軍艦奉行並の勝麟太郎(満39歳)なら知っているんだが、そいつはたぶん別人だろう。
 
 
…今夜は悪夢に魘されそうで怖くて眠れない(笑)

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