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2010年4月22日 (木)

ドラマネタ:オイラが「見るに堪えない」と思うとき①

NHK様イチオシ大河ドラマ「龍馬伝」については、ここ暫く「雑感」と「考証もどき」を中心に好き勝手に語ってきましたが、こないだの放送後に「余程興味をそそられるようなことがない限りはもう見ねえだろう」と思ったので、そろそろ真面目に「ドラマ(特に歴史群像劇)」がどうあってほしいのか?について語ってみたいと思います。これまで書いてきたことと内容はだいぶ被ると思うのですが、自分の頭を整理する意味でも書いてみようかとね・・・まぁ、お暇な方はお付き合い下さいませ。
 
とは云うものの、自分は「用管窺天」の輩だからねえ(笑)
いや、19日のエントリーへのたった四文字(っていうとエロそうだな^^;)の名無しさんのコメントが滅法気に入ってしまったもんでね。
出典が荘子だって老子だっていいじゃないですか。なんたって、19日の記事ひとつ読んだだけで私を用管窺天の輩だと見抜いてしまったのですから世の中には凄い人もいるもんです。見習いたいですね(呵々)
 
 
■ひとを描く
 
舞台演劇だろうが映画だろうがテレビドラマだろうが、人間を描くことにおいて一番重要なのはどれだけ登場人物にリアリティを持たせることができるか、に尽きると思います。
だから脚本家はキャラクターの設定をしっかりと行い、それに基づいたキャスティングをし、俳優はそれに基づいた役作りをすべし。
それがイイカゲンだと話の展開の中で人物の言動に矛盾が出てきたり、物語そのものに説得力がなくなったりする。
キャラクター設定は、劇の基本なんでしょうな。映画・ドラマの人物の年齢設定や俳優の見た目(或いは役作り)に私が注目するのは、それが描かれる人物像に大きく関わる要素だと思うからです。
 
 
■人格形成の背景
 
どんな人間でもその人格形成には、出身地、時代背景、家族、経歴、現在の年齢などが大きく影響します。だから、脚本家はそういう部分も含めてキャラクターを設定し、それを踏まえて話を組み立てなくてはいけないわけですわな。
「地方出身、身分は高くないが裕福な家庭の生まれ、年の離れた兄が一人、姉三人の末っ子次男坊」という設定ならば「優しくて甘え上手、天衣無縫の弟キャラ」「強い女性の好きな優しい男性」が出来上がるかもしれないし、「大都会の下町生まれ、伝統ある家系だが貧乏な家の出身、父は不良、母は聡明、4人兄妹の長男で妹三人」という設定ならば「権威や権力を信用せず、自分の頭と腕だけを頼りに生きる都会人」「女性の扱いが上手なプレイボーイ」が出来上がるかもしれない。また、頽廃の香りの漂う爛熟した大衆文化の隆盛期に、その土地に生まれたことを誇りにして生きる人たちの中で生まれ育った人間が、例えば「江戸人の矜持」を華やかに発散するようになるようなことも十分に考えられるわけです。(あ、特定の人物の話じゃないですよ…たぶん。) 
若い頃に取り組んだ学問やスポーツ(武術)が人格に影響を与えているのなら、どんな修行をして、どれくらい上達したのかをきちんと描いた上で、それがどんなふうに影響したのかも描かなくてはならないでしょう。
剣術遣いの話なら「思春期を迎え身体が大きく力も強くなり、それとともに剣術も上達して目録を取るほどに。その結果自信に溢れる大らかな青年になった」とか、「もともと敏捷で剣も筋が良かったが猛修行、免許取りの腕前に。その中で恐ろしく胆の据わった青年に成長した」とか、そういう部分をイイカゲンに扱うと「成長」に説得力がなくなる。勿論脚本家が頑張っても「中の人」が本当に強そうになって見えなくては意味がないけどね。(気合いの声が弱いとか腰が入ってないとかは問題外。あ、別にコレも特定の人物の話じゃないですよ…たぶん)
また「中の人」の年齢だけどね、個人的には青年であるはずが中年に見えたり、年が変わらない筈が凄く年下に見えたりするのはマズイと思ったりします。それを些細なことだと言い切れる人の気が知れない。(舞台ならともかく。)
「頭のキレる新進気鋭の政治家や官僚」ならば現代のイメージで考えても、知的な雰囲気の、少なくとも40〜50代前半くらいまでの俳優が演じないとならないでしょうし、「これから世に出るハタチ〜30代前半の元気な青年」を演じるなら、30代前半までの俳優を配すべきだと私は思います。でないと雰囲気出ないもん。40代にしか見えない「ハタチの青年」がはしゃいでたら馬鹿にしか見えないし、特に賢くもなさそうで明らかに定年後みたいな顔の「新鋭」が鋭い意見を理路整然と述べたところで特別デキる男には見えないでしょう?
人格は年齢を重ねても変わらないもんだ、ハタから見た印象も特に変わらない、元気な壮年と衰えの目立ってきた60代は同じように描いても不自然ではないと言うなら話は別だがね…。
 
漫画家がキャラクターを描くときは、如何に「らしく」見えるかに気を配り、人物像に説得力と奥行きを出すために綿密にキャラクターの設定をするそうだよ。
「実写版」であってもそれは共通の作業じゃないかな、と思うんですよね。背景だけ上手くったって仕方がない。
いくら美術さんが頑張っても、脚本やキャスティング、俳優の役作りがイイカゲンだとどうしようもないんですな。
 
創る側が視聴者に対して劇の中で明確に描かれなかった部分を想像力によって補完することを期待するのは当然のことだけど、それは話の中できちんと人物像を描いての話です。キャラクター設定があんまりイイカゲンだったりすると補完のしようがなくなります。
「この人ならきっとこう考えるだろうな」とか「この人は今こんなことを考えているのかな」とか、そういう想像がしにくくなる。
上方の風流を愛した教養の高い文化人が一人で江戸に「下ってきた」らどんな気分なのか想像すべきところで、それらしい人が演じてなかったら「そうか田舎モノが大都会に出てきて大変だったろうな」と違う形で同情しちゃったりするもんです。(別に民放の某ドラマの話をしてるんじゃないですよ。)
それを狙っていたんだったら別に構わないんですけどね。
 
 
今日は、疲れたからここまで。(てか、ケータイでの更新を試みたのが阿呆だった…)
 
明日以降は「歴史物」の話をする予定。
 
あ、上の話とは関係ないけど、そんなこんなでドラマが破綻してきたときに便利なのが、美しい映像や壮大なBGMやスポット的なお涙頂戴劇や裸(!)で、一瞬見る人の興味をひくって手法ね。要は誤魔化しなんだが、それは脚本家や演出家がやっちゃいけないことだと思うんですよね。いや、裸がいけないとは言ってないよ。

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