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2010年4月23日 (金)

ドラマネタ:オイラが「見るに堪えない」と思うとき②

さて、歴史物となると、またまた話が難しくなります。
 

■史実を忠実に描く必要ナシ 再現ドラマじゃないんだし。
 
それでも実在の人物の年齢や容姿など誰が見ても明らかな部分までをわざわざ大きく変えようとするのは理解できないですねえ。人間はその人の外見(身体が大きいとか小さいとか、顔の印象だとか、服装とか)に影響を受けないことはないからである。それは本人も含めてね。
勿論これは再現ドラマじゃないから全てを似せる必要はないが、制作サイドの人間というのは、その人物のどの特徴を前面に押し出したいのかを決め、それに基づいてイメージに合った人を連れてくるというのが普通だと思っているのだけれど。
エライ人=イメージ的に爺さん、みたいな小学生でもやらないような配役をしたがるプロはいないでしょう。
 
ただね、史実を無視して創作を加えた結果そういうキャラクターに描く必要が生じてきたというのであれば、それはそれで納得できる。(好きか嫌いかは別。)しかし、年齢や見た目の印象は気にしないことにした、という言い訳をするヤツがいたら最悪です。もしそんなヤツがいたら、それはちゃんとキャラクターを設定していないということを宣言してるだけなんじゃないのか。
史実ベースであることを良いことに「だって皆さん、その人物のことも知ってるでしょ、その人物のイメージも持ってるでしょ」などと、人物像の開きを埋める作業を視聴者の脳内補完に甘えることがあるなら、それも最低だ。
まさかそんな馬鹿は万人の目に触れるような劇の脚本なんか書かないだろうから、こんなこと言うだけ野暮かな。
 
ただ、150年も前のことなんか現代人は見たことがないし、何か新しい史料が出てきちゃえばコレまでの定説なんてあっという間に覆ってしまう。また、解釈の仕方によっては善にも見えるし悪にも見える。
だからこそ歴史を扱うというのは難しいし、また面白いとも言えるし、そういうグレーゾーンをどのように描くかが脚本家や演出家の腕の見せ所だとも言える。
ほぼ間違いないと思われている史実であっても、教科書とは別の解釈にしてしまっても構わないし、場合によってはそれを無視してしまってもいいのだ。
 
でもね・・・それが詰まらない上にリアリティに欠けているとなるとガッカリするのも事実。
(まぁ、これについては人それぞれ思うことは違うだろうから別に喧しく論じる必要はないのだけれど。)
 
 

■現代的解釈や新解釈は勿論OK、その上で現代的なテーマを設定するのもOK。
 
でも彼らは現代人ではない。
現代人を描きたいのであれば、現代ドラマをやればよい。
「今更大河ドラマ『篤姫』を語ってみる。」「『龍馬伝』、第2回でリタイアの理由。」なんかでも書いたけど、彼らが我々と同じ等身大の人間であるとするならば、彼らが自分たちの時代を未来から俯瞰するような目線を持ったり我々と同じ価値観を以て行動したりしてはならないはずなんだ。
 
特定のメッセージを発信するのはよいが、あくまで過去を描きつつ、その時代を必死で生きた人を彼の目線に寄り添う形で描きつつ、視聴者に疑問を投げかけるってのじゃ都合が悪いのか。
それでも充分「平和」や「民主主義社会」の良さ、「戦争の愚かさ」などを訴えることも可能なんじゃないですかね。(そのこと自体良いか悪いかは別にして。)
 
根拠のない差別を描くなら、それを描けばよい。
身分社会の理不尽さを描くなら、それを描けばよい。
現代人から見たら誠に詰まらない争い事を描くなら、それも描けばよい。
脚本家が「今から思えば、こいつら愚かだし随分惨いことやってんな」と思うのは自由だし、それを描きたいなら描くべし。
でもね、だからと云って実在の人物を現代的価値観を持った人物像に仕立て上げて、その価値観を以て当時の人間を「断罪」するのはやめろ、と云いたいんですわ。
そして、そのことによって「ほらね、彼は当時からこんなに偉かった」とか「ほらね、彼は皆さんと同じような等身大の青年ですよ」とか、子供だましのようなことをシタリ顔で言う連中が製作サイドにいるなら、それは本当に不幸なことだと思う。
 
あとは、歴史上の大事件、特に登場人物に大きな影響を与えたと思われる出来事をきちんと描くことかね。
その人の思想や人格に影響を与えないはずはないのだし、それを描かなければ時代の動きも雰囲気も解らない。
ホームドラマみたいな戦国時代や、殺伐としてない幕末があったら嘘くさいだろうし、「安政の大獄」をちゃんと描かずに「桜田門外の変」を描いたりすることがあるなら、それは手抜きだと思うでしょう。「本能寺の変」をちゃんとやらずに「山崎の戦い」をやるとかね。
みんな誰それのことは知ってるでしょ、この事件も知ってるでしょ、知識で補ってよ。
若しくは、そういう難しいことを描かなくたって、この話には影響しないし主人公は先見の明があるから動じないよ。
そういうふうに作られた歴史モノの連ドラがあったら、最悪ですわな。
 

「当時の人間」を当時の人間らしく、「実在の人物」をその人らしく描くのがイヤなのなら、別に歴史物なんざやらなくたっていいと思うわけです。
現代物で充分面白いし、手探りで一生懸命生きてきたご先祖に対しても失礼がないと思う。
それに殆ど創作なら、全部創作でもいいじゃないですか。
実在の人物を史実に沿って描いています、と宣伝しなくちゃ観客動員数が見込めない、視聴率が取れない、というのであればそれはその程度の出来の劇なんです。
大河ドラマでは「天璋院」という人物を描くと言っておきながら、実在の天璋院さんの置かれた状況や心情に寄り添う覚悟もなく脚本家がオリジナルキャラクターを作ってしまうということが過去にあったけど、あれは歴史物とは言えない。
あれは創作娯楽時代劇(暴○ん坊将軍とか遠山の○さんのような・・・)と謳うべきでした。
 
 
これまで大河ドラマ「龍馬伝」の悪口ばかり言ってきたけどさ、別に「コレ、創作なんです」「歴史ファンタジーなんです」って言われたら馬鹿だと言いつつ普通に見たかもしれない。登場人物たちの子供っぽい遣り取りにも笑っていられたかもしれない。
如何にも人望がなさそうで頑迷な馬鹿にも見える武市さんや、偏執的でおっかない爺さんの吉田東洋さん、頭の中身と精神年齢が8歳児程度に見える以蔵さん、面白くないモノまで面白いと言いそうな(てか実際そう言ってるようにも見える)阿呆爺で構成されてる「文政生まれトリオ」の容堂公&春嶽公&勝先生、そして何だか老成した外見のくせに馬鹿みたいに興奮する龍馬(たぶん薬やってる)・・・等、やたら年齢とテンションの高い変な幕末キャラクターたちも「ネタ」として楽しめたかもしれない。
 
そう思うと残念だよ。
 
「ネタ」として笑い飛ばす覚悟が出来たら、また視聴者の一人になるかもしれない。
でも「幕末」が見たい、と思ってる間はムリだろうな。
 

ちなみに自分、龍馬関係の本は評論くらいしか手に取ったことはありません。
有名な「竜馬がGO」(「龍馬伝」のDJ偽勝の滑舌の悪いラッパーみたいな喋り方に影響されてみた。爆)は読んだことないし、「おーい某」(これも司馬先生の創作がベース)も昔、従兄弟が床に放置していた一冊をパラパラ見ただけ。(武市さんが早漏キャラだった。苦笑)弥太郎なんかがどんなふうに描かれているかも知らない(若しくは覚えてない)し、「おいらはYO!」って喋る人物(偽勝ラッパー爺さん万歳。爆)も出てきてない。
これらの本に影響を受けた人たちは、どう思ってドラマを見てるのかなあ。やっぱり賛否両論なのかね。

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