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2010年9月30日 (木)

江戸の諱、平成の難読ネーム。

なかなか治らなかった風邪がとうとう悪化し、残念な一週間でした(笑)
咳止めは当然ながら咳中枢に働きかけるため、常に頭がぼんやりする。
ぼんやり頭では仕事は出来ないから、朝はドリンク剤、昼は眠気防止薬四分の一回分を投下。 
 
しかし恰度上期と下期の境目の時期、忙しくて「風邪を引いた」などと騒いでもいられず、いつもの笑顔でいつもの1.5倍ほどの事務仕事をこなす。
忙しいくらいじゃイライラしないのが自分の長所だが、流石に疲れた。
 
なので、一週間前の話の続きをします。
 
あれは木曜の夜だったと思うのだけど、たぶん某公共放送の番組なのかな。
「最近の子供の名前ってどうよ?」みたいな話をしてたんだよね。

自分も最近、直接の知り合いじゃないんだが、ある人の子供の名前を知ってガッカリしたことがあった。

その人の娘さん二人の名前が「結愛」と「結心」ってんだけどね。

「結愛」は「ゆな」って読む。
聞いた瞬間「ををっ、風俗だ!(勿論「湯女」をイメージ) でなけりゃ・・・韓流っぽいな。キム・ユナとか、本当にいそうだし。」と思ってしまった。名付ける前に同じ響きの語で変な意味の語がないのか何で調べないんだろうとも思ったし、だいたい「結」「愛」の2文字で何でそう読めるのかが解らない。しかも返り点を打てば「愛を結ぶ」になるぞ。エロカワイソス...
「結心」は「ゆい」と読む。
カナで書けば昔からある名前だし響きも可愛いから救いようがあるけど、「心」はどうしたのだ。ただの置き字なのか。つーか音読みで「ケッシン」と読みたくはならないのかどうなのか。
 
まあ、こんなのはまだいいほうかもしれないね。
 
ちなみに自分は「世界に一人しかいない我が子にオンリーワンの名前を!」などと言って、凝りに凝った煌びやかな名前(しかも読めない)を付ける気持ちが解らないし、そういうことをやるなら「子供のため」とか言わずに「俺の自己満のため」とハッキリ言え、とさえ思うこともある人間だ。
まあ、せめて自分が名乗りたいような名前を付けろ、と思うがね。
目の前にいる赤ん坊が自分そっくりのオジサンオバサンに成長したとき、その名前でいいのか?って考えてみたらいい。
 
ということで、私が子供の名付けには慎重になるべきだと思う理由は、主に4つ。
 
①名前は自分のものであって自分のものでない点(主に使うのは誰なのよ?ってこと。あまりに読みづらいと困る)
②名付けは最初のプレゼントとも云うが最初の押し付けでもある点(誕生そのものは除くからね。)
③名前は名付けた人の教養レベルを晒す虞がある点(例えば熟字訓を知らないパターン。「海月(みづき)」とか「心太(しんた)」とかね。子供自身が「あ、俺って実は“トコロテン”なんだ」と気付いてからじゃ遅い。)
④名は体を表さないことが負担になる場合もあるという点(これについては深く突っ込まないことにする。)
 

でさ、この番組で気になったのは、江戸時代の例を引き合いに出して「読めない名前が多い」のは日本の伝統だからある程度は仕方ないみたいな話に持って行きたいように見えた点だった。
 
その実例ってのが本居宣長が弟子たちの名簿を作ったのはいいが最近の名前は難しい読みが多すぎて困る、と嘆いたって話。
 
日本史を少しでも囓ったことのある人なら誰でも思ったことだと思うけど、確かに昔から日本人の名前は難しい。
でも忘れちゃならないのは、宣長の弟子たちが普段からクソ難しい「諱(イミナ)」で呼び合っていた訳じゃないんだということだ。
 
江戸時代、武家階級なら「田中氏」のように「名字+氏(うじ)」で呼び、これが江戸時代の後半になると「さん付け」が普及してくる。親しい間柄ならば通称を使い、身分の高い人なら「越中守様」のように官名を使って呼んだりした。正式な名である諱は文書の中で使われるくらいだったと云う。
 

んで、さっきっから「諱」「通称」「官名」「号」といろいろ出してみたけど、ここらで昔の武士の名前の仕組み(?)についてザックリと整理しておくね。
児童生徒に勉強を教えていた頃、たまに訊かれたのが「昔の人は何で沢山名前があるの? 全部一緒に名乗るときは順番とかあるの?」「ナントカの守って名前なの?」って質問。ある程度知識のある子たち(特に高校生や中学受験の子)は、ノートの端っこやプリントの裏などにこんなのを書くとそれなりに理解してくれる。
 
Photo

こういう説明の度に安房守(先生曰く「アホウの守」)になる前の勝先生に登場してもらったもんだが、というのも、これほど便利な実例、他に無いんですな(笑)。実際、教材によっては号の「海舟」ではなく諱の「義邦」で載ってたりして、どっちで覚えるのがいいのか訊かれたりもしたしね…。(どっちも覚えろ篦棒め。) そういえばついつい調子に乗って「坂本龍馬」の「龍馬」は通称、諱は「直柔」ってんだけど云々って話もしたっけな・・・(汗)

先生の名前も全部並べちゃうとこんなに長いんだが、別に自己紹介の際にこんな長ったらしい名前を名乗っていたわけではなかろう。勝さん自身はただ「勝麟太郎」と名乗っていたろうし、他人もそういう名前だと思っていただろう。でも神社に和歌でも奉納するとなれば本姓+諱で「物部義邦」と署名するし(もはや誰のことだか判らない^^;)幕府に海防意見書を出すなら「○○支配 小普請 勝麟太郎義邦」みたいな書き方をすることになる。
 
なお通称部分は官名(ナントカの守、とか)を貰っちゃうと正式には名乗れなくなってしまう約束だ。勝先生の場合なら「麟太郎」の部分が「安房守」になるから「勝安房守義邦」みたいに表記するようになる。普段の呼び方も官名になるから、他人からも「安房守さま」「房州」「勝安房」などと呼ばれるようにもなる。大岡越前守忠相が「大岡越前」になるのと一緒。(かと言って「麟太郎」「麟さん」「カツリン」などと通称やそこから派生した渾名を使う人がいなくなるわけではない。)
 
そうだ、前回のエントリーでちょろっと話題にした西郷どんね。(実はこれがメインの話題かもしれない^^;)
彼、通称は「吉之助」だ。「南洲先生」と号で呼ぶ人はいただろうが、諱で呼ぶヤツなんか誰もいやしなかったろう。
前回「西郷どんの名前はホントは違う」って話をしたけど、それだって普段諱を用いる機会がなかったことに原因がある。
 
明治2年。
西郷どんが正三位の位をいただくことになったので書面で本名を登録しなくてはならなくなったんだが、本人は戦争で留守だし、仕方がないのでお役人が友達の吉井友実さん(当ブログではここで一度登場しているよ)に西郷どんの諱を聞きにいったそうだ。ところが吉井さんも彼の諱を思い出せない。みんな西郷どんのことは「吉之助」という通称で呼んでいたからだ。
暫く考えた挙げ句「そういえば・・・『隆盛』だったと思いもす。」と吉井さんが言ったので、役人は公式の書類に「西郷隆盛」と書き込んだ。しかし、吉井さんが思い出した名前は、実は西郷どんの父上の名前だった。西郷どんの諱は「隆盛」ではなく「隆永」だったのだ。
なお、間違った名前を登録されてしまった西郷どんは、その後は公式には父の名前を名乗ることになってしまったのに別に気にもしていなかったそうだ。(まぁ普段は使わないからね^^;)
ついでに言えば弟の従道さんも間違った名前を登録されちゃっている。名前を聞かれたので音読みで「リュードー(隆道)」と答えたら、「ジュードー(従道)」と書かれていたということらしい。なぜ音読みなのかって話だが、諱なんかどうせ書類用の名前みたいなもんなので、人によっては読み方なんてどうでも良かったり、そもそも読み方自体覚えていなかったりしたものらしい。実際、西郷従道さん自身も音読みで名乗ってるわけだし。
 
昔みたいに普段使い用の名前と正式な書面で使う名前が別で、しかも事情によって名前を変えてしまうことが珍しくない世の中なら、子供の頃は大人になったら恥ずかしくて使えないようなキラキラネームで呼ばれ、大人になれば難読ネームを書面に書くようになる・・・ってのもアリなのかもしれないけどねえ・・・。
 

というわけで、名付けの際にぜひとも一読をオススメするサイトがある。

■子供の名付け(命名)DQN度ランキング
 
極端な馬鹿ネームは笑えるが(いや当人のことを思うと笑えないわな)名前とは何かを考えさせられるサイトだよ。

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