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2011年3月11日 (金)

震災日記①おそらく日本最悪の日

漸くメールや電話が通じやすくなってきたので、ブログを再開します。

作者の住んでいる地域は関東の内陸、東京都内まで電車で30分足らずの地域です。
地震そのものによる人的物理的被害は免れました。
今の自分に何ができるのか。いろいろ考えては見たんですけどね・・・その答えのひとつが、まずはこの日起こったことをしっかり胸に焼き付け、決して忘れないことなんだと思ったわけなんですな。
これは、そのための備忘録であります。手元にある手帳に書きこんでいるメモをまとめる内容になります・・・たぶん。(3月17日)
 
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■15時前、勤務中。
いつもなら手元にある残りの書類を眺めながら退社までのスケジュールを自分なりに組み直す時間。デスクから離れようとしたとき、強い揺れが。
「どうせすぐに治まるだろう」と思っていたのに、横揺れが続く。「P波が長いですねえ」と自分。「これは・・・デカイね」と上司。「しかも少し遠いですね」と、自分。ヤバいな、と直感。何度も余震。 
 
■しばらくして揺れが落ち着いたのでTVを付けたら、津波警報。震源が東北の沖だと知る。
自分「何だかこのテレビ、映りが悪くないですか。ノイズばっかりで何が映ってるか全然判りゃしないですけど、地震のせいですかね?」
上司「あ、慌てて点けたからアナログだと思う。別にTVがヤバくなってるわけじゃないよ。」
自分「じゃあ、地デジに直してきます。」
地デジに直した瞬間、画面に映っていたのは、黒い水、水、水・・。空港が飲み込まれ、街自体が押し流される光景だった。絶句。
  
■17時30分過ぎ、早めの退社。電車が動かない。都内のビルで働いてる友達のことが、ふと気になる。
 
■上司が車で送り届けてくれると云う。渋滞はある程度予想できるが、まあ隣の市までだから二時間もあれば行けるだろう、という判断。
 
■国道は大渋滞。家族と連絡付かず。北へ向かう対向車線は一応流れている。
 
■2時間経っても市内から抜けられない。昼に食べ損ねたチョコレートの最後の一個を上司にあげる。定めし空腹だろう。北上する反対車線に宮城ナンバーのトラック。関東に仕事に来ていて良かったね、と思いつつ、東北が心配だろうなと思う。
 
■母からのメールが届く。3時間前に送ったものらしい。自宅のある一帯は停電中と知る。信号も動いていないため、余計に渋滞していると見た。
 
■21時。途中停電している箇所もちらほら。徒歩で帰宅するなら時間的にリミットか。国道沿いのカフェで休憩を取り、ここらまで来れば何とか土地勘も働き、危険な個所も判断できるからという理由で徒歩で帰ることにする。お互いに道中の安全を願う言葉を交わして、上司と別れる。
 
■父と連絡が取れる。国道を歩いて向かっていることを伝える。自宅付近が真っ暗で危険、車でそちらに向かう、途中で拾ってやる、とのこと。
 
■21時30分、漸く市の境を超える。
 
■22時前、父の運転する車に拾われる。助手席に母。
 
■帰宅。停電、断水。
 
■停電なのになぜかガスは使えるとのこと。電気制御の安全装置が働かないというリスクはあるが、ガスで湯を沸かし、何かあったときのために、と買っておいたカップめんにお湯を注ぐ。2食を3人で食べる。
 
■余震が怖いが、懐中電灯の電池もあまり残ってないので蝋燭を使うことに。蝋燭は趣味で買ったアロマキャンドル。緊急時なのに、妙にいい匂い。
 
■水も出ないから、緊急時のために捨てないでおいた風呂の残り湯をトイレ用にバケツに汲み、風呂に入る代わりにボディシートで身体を拭いて、就寝。なかなか寝付かれない。明日の弁当はどうしよう。電気が通らないと作れないし、コンビニもおそらく何も残っていないだろうし。
 
■やっと眠りに就いた真夜中1時40分頃、家中の電気がいきなり点灯。電話の音声案内が喋り出した声で目が覚める。漸く電気が通る。

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