カテゴリー「日本海軍」の9件の投稿

2010年2月25日 (木)

日本海軍本、まとめ。

■半藤一利「日本海軍の興亡」
日本海軍の誕生前から、その終焉までの流れを一気に学べる本。
海軍の姿を有機的な組織として、生身の人間が活躍する壮大なドラマの舞台として読むことができるよ。
 
■阿川弘之・半藤一利「日本海軍、錨揚ゲ!」
海軍の文化を楽しく知ろう♪軍人さんと仲良くなろう♪な本。
小ネタ満載、臨場感抜群。軍人さんたちの経歴もざっくりと解説。
 
■工藤美知尋「日本海軍の歴史がよくわかる本」
日本海軍の73年9箇月の生涯。(詳しくは前回の投稿にて。)
 
■日本博学倶楽部「日本陸海軍・あの人の『意外な結末』」
陸海軍の軍人さんたちが身近になる本。
草創期の西郷さん(陸)勝さん(海)~敗戦時の阿南惟幾さん(陸)鈴木貫太郎さん(海)まで+日本と戦った異国の軍人さん、総勢71人のおはなし。
 
 
3s
オマケ:海軍の「3S」。
(海軍士官心得のひとつ)

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工藤美知尋「日本海軍の歴史がよくわかる本」(PHP文庫)

なんかPHP文庫の「海軍本」ばかり読んでいるような気がするんだが(笑)。
 
 
内容は「中級以上」といったところか。
初心者には難しいかもしれない。当方は初心者同然ではあるが、海軍本自体は初めてではないので何とか読めたわけだけれど、入門本としては若干難しいんじゃないかとは思う。
 
実は自分自身、これを古本屋で発見したとき買おうか買うまいか少々迷った。やっぱり難しそうだったからだ。購入を決意させたのは表紙のメンツである。
「本書であまり取り上げられていない人物が表紙に登場するわけはなさそうだ・・・となると、このメンツを大きく扱ってくれるのならば、まんざらフィーリングの合わない本というわけもあるまいさ。」ということで。

Photo
ちなみに自分が判別できるのは5人。
秋山真之中将、勝安芳海軍卿閣下(てか軍艦奉行・勝麟太郎だ^^;)、加藤友三郎元帥、東郷平八郎元帥、山本権兵衛大将。以上五十音順。
 

本書は日本海軍の栄光と崩壊に至るまでの「航跡」を描く本格派海軍歴史本である。組織、制度、海戦の模様などの「各論」は勿論、海軍の成功と失敗を追っかける「総論」的な部分もしっかりと述べられている。細かなデータや象徴的なエピソードなどが随所に盛り込まれている点が何とも親切で有り難い。 黎明期の希望と危機感、明治期の躍進と大正期の深化と翳りの時期を経て、陸に揚がった「能吏」たちが海の男としての、そして国民を守る軍人としてのリアリズムを失っていった経緯が「よくわかる本」なのだ。
個人的には川上操六vs山本権兵衛の対決がやけに印象的だった。山本大将、万歳。
 
以下、おまけ。

■伊東祐亨元帥の評価
工藤先生の評価は決して高くない(笑)。でも個人的には好きな軍人さんだ。貰った勲章は「自分が代表で貰っただけ」、一番の思い出が「重傷を負った水兵さんが自分の手を握って『長官・・・ご無事でしたか』と言って事切れたこと」、清国の司令長官・丁汝昌の遺体を乗せた船を見送るときに弔砲+艦隊全員敬礼で見送ったという人だ。まずは紳士であれ、という、或る意味海軍の手本のような指揮官なんだよね。戦をする上での評価は別にして、立派な軍人のひとりだと思ったりもする。旧薩摩藩士、神戸海軍操練所出身。
 
■べらんめえ軍艦奉行、或いは初代海軍卿閣下のこと。
工藤先生は・・・たぶん閣下のことが好きでいらっしゃる(笑) 「日本海軍の生みの親、勝海舟」って見出しまで付けて閣下の話に頁を割かれてるくらいだから。でも個人的には龍馬との話を書く前にもう少し勝麟こそが「生みの親」である理由をしっかり書いてほしかった。仕方ないから、ここらでちょいと補足しちゃう。(何だ偉そうに。)
 
幕府海軍には優秀な船乗りがいた。これは事実。(ただ、戊辰戦争のときに海戦以外の場面で船を沈没させちゃってるあたり、幕府海軍自体が優秀だったかどうかというと謎^^;) テクノクラートとか士官ってことなら、麟さんなんかよりずっと役に立つのがいたと思う。矢田堀景蔵とか、赤松大三郎とか、いろいろ。
 
それでも勝麟が「生みの親」だってのは、彼が国レベルで外交や貿易など、政治経済の観点から海軍と国防の在り方をトータルに考え、そういったことを次の世代に伝うべく教育に力を入れていたからじゃないかと思うよ。実際に明治の日本海軍で中心的役割を果たす人材を世に送り込むことにも成功している。幕府海軍が直接的には日本海軍と繋がらないことを考えると、尚更「日本」海軍の船出に閣下以上に大きな貢献をした人物がどれほどいるのか、という話になってこようというわけなんですわな。
 
で、この本、閣下の旧幕時代の肖像写真を載せてるんだけど、よりによって如何にも只者でない雰囲気を醸している写真をチョイスしちゃってるんだよね。
しかも和装に洋袴っていう^^;(↓下↓)
Photo_2
・・・やっぱりどう見ても普通じゃないよ、閣下は。
 

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2010年2月20日 (土)

阿川弘之・半藤一利「日本海軍、錨揚ゲ!」(PHP文庫)

阿川先生&半藤先生の海軍通(東大文学部の先輩後輩というご関係です)による面白対談集。
 

題名を見て、ひょっとしてこいつは自分のためにあるような本かも!と大興奮して手に取った。阿川先生の気の利いた歴史的仮名遣いの素敵な「まへがき」でも触れられているが、米海軍のマーチ“Anchor's Aweigh”(号令詞「錨揚げ!」の意)といえば、私の定番のアラーム音だったりするからだ。私の朝は出港のマーチで始まるのである。
まあ、それはともかく、読んでみると実に素敵な本なのだ。当方軍人さんに詳しいわけでもなく戦艦マニアでもなく軍服萌えな趣味もないが、日本海軍についての専門的知識などまるでなくても面白く読める内容になっている。雑学的話題や裏話が満載。日本海軍や軍人さんが、とても身近に感じられること請け合いだ。
 
私は好きなこと(もの、人)を語るのが苦手である。
その良さを伝えようとするとき、何か客観的な要素を探そうとしてしまい、その結果好きだという感情は押し殺されてしまうかららしい。だから結局、「愛」は伝わらない。
しかし、阿川先生と半藤先生は違う。
本書も遠い憧れや懐旧、嘆き・・・様々な思いを込めて海軍の思い出と歴史とが愛情たっぷりに語り尽くされるのだ。が、だからといって客観性を失うことはない。情に流されず、それが自壊してゆくさまをも、しっかりと見つめて語っていらっしゃる。
 
目先の成果にとらわれて理念を忘れ、軍艦の舵取りはできても国家としての大きな方針を示すことの出来ない硬直化した閉鎖的な組織、人間の集団であることを忘れ、その最も大切な要素である「人」を武器弾薬のひとつとしてしか見られなくなった組織は、やがて崩壊する。前を向くことも先を見ることも忘れ、視野の広がりも視点の深さも無用のモノとなった組織が何かにしがみついた挙げ句、現実というものがどんな時代の流れに乗っかって運ばれてゆくのか見誤り、ついには見失ってしまった悲劇。その中で人として優秀な、愛すべき人たちを失ってしまった事実・・・。
 

こんな言葉があった。
 
「海軍とは単なる戦闘集団ではない。
生きた人間の組織であり、それ以上にひとつの文化なのである。」
 
おそらくはロイヤル・ネイビー(英吉利海軍)の伝統に通ずるであろう、海軍というモノの理念のひとつである。
薩摩の山本権兵衛がまだ海軍見習いだった頃、旧幕府海軍出身の海軍卿、勝海舟にビシビシ叩きこまれた基本理念のひとつがコレだという。(えー、山本さんは1箇月ほど勝先生んちに居候していたことがあり、そのときに英吉利流の基礎教育をみっちり受けているんですな。閣下万歳。)
 
日本の軍隊の上層部は、兵隊さんや国民が文化を共有する生きた人間の集団であることを忘れてしまったんじゃないか。日本海軍の辿った運命、これ自体が謂わば彼らの遺産である。それを生かさなければバチが当たるぞ、と思わずにはいられない。「賢者は歴史から学ぶ」とは良く言ったもんだ。

 
以下、雑感。
 
■海軍心得の「五分前」ナントカの正体が判明。正しくは「五分前精神」だそうだ。どっかの社訓にありそうな「五分前主義」って言葉より100倍素敵だ。
■「海軍大学校入試問題」の話。「3を3回使って0から10までの数式を出せ。あらゆる記号を使ってよい。」ってヤツね。実際やってみました。一応文系のオイラでも延べ2時間ほどかけて何とか0から9までは出来たんだけど、10は全然無理でした。(章末の解答例を見たけど、10は反則技だった。笑) あ、高等学校の「数学A」程度の知識があれば解けるよ。
 
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この本を読み終えたのは実は今年の正月頃。
感想文を書くのが面倒でズルズル延ばしてたら今頃になっちまった。まだ数冊分溜まってます。 

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2010年2月 5日 (金)

2月4日:咸臨丸品川出帆。(Vol.02)

前回のエントリー「Vol.01」のつづき。
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颱風並みの低気圧が猛威を揮う冬の太平洋は連日荒れた。
勝さんの高熱は下がらない。 
航海に出て何日か経ったある日、その勝さんが甲板に姿を現した。船から身を乗り出し、突然ゴボッと「何か」を吐いた。
「おや、船酔いですか。」
やはり蒼い顔をした船員がニヤニヤしながら声をかけた。勝さんはガバッと振り向いた。
「おう、だったらどうだってんだい。」
顔面蒼白、眼光だけが異様に鋭い。唇からヌラッと赤い液体が流れた。船員はギョッとした。勝さんは一瞬ニヤッとすると、また何処かへ行ってしまった。
 
こんなことを何度か繰り返し、勝さんは漸く動けるようになった。天気は相変わらず悪い。もともと乗り物が苦手だった勝さん、あまり揺れると眩暈がした。
 
実に皮肉なことではあるが、勝さんが寝込んでいる間、船の操舵において中心的役割を果たしたのは結局メリケンの乗組員たちだった。日本人の船員の大多数は初めて経験する悪天候に太刀打ちできずにいた。船酔いで潰れた挙句、真冬の風と冷たい海水に体力を奪われ、病気に罹る者も出た。そんな中でメリケンで航海術を学び船員の経験もある中浜万次郎の元気な働きっぷりや、数字に強い小野友五郎の正確無比の天文観測の技術なんかが辛うじて日本人船員の面目を保っているといった感じだった。
ジョン・ブルック大尉は呆れ返っていた。日本人の船員たちの操船技術の未熟さや経験不足は仕方がないとしても、それ以上に船員たちの役割が明確に割り振られていないこと、彼らが悪天候に対してあまり危機感を覚えていないことに心底ウンザリしていた。
 
「アドミラル・キムラ(木村提督)」も「キャプテン・カツ(勝艦長)」も、あろうことか「sea sickness(船酔い)」で寝込んでしまっているのだ、と大尉は聞いていた。
大尉の見たところ、アドミラルはキャプテンより年少だったが、肉付きの良い頬をした温和な印象の男だった。身分や慣習を厳しく守るちょっと保守的な人物のようだった。一方のキャプテンは快活な人物に見えた。感じのよい顔立ちに、明るい表情。精悍な体つきといい、ひょいと手すりに飛び乗ったりする身軽な動作といい、よく訓練された船乗りのようでもある。傍でまじまじと見てみると驚くほど小兵だったが、大尉を見上げるその両眼は他人の心の中まで見透かしてしまうような鋭い光を放っていた。
 
太平洋に乗り出してから37日目の朝、咸臨丸はサンフランシスコの港に錨を下ろした。
人々は海の向こうからやってきた侍たちを熱狂的に歓迎した。新聞記者で詩人のホイットマン氏は侍の行列を見たときの新鮮な驚きを詩に残し、新聞記事にした。彼は行列の中にいた小柄な侍の風貌に衝撃を受け「あれこそが人間の顔だ」と書き留めた。詩人の心をも揺さぶった艦長・勝麟太郎の精悍な目元や理知的な額は、メリケンでもちょっとした評判になった。
当の勝さんは、これまで書物で読んだりオランダの軍人さんたちから聞いたりはしてきた「近代社会」というものを肌で感じることができたのを喜んでいた。恩義とか信義などといった私的なつながりではなく公的なルールに基づいて動く集団を、そして門地ではなく適材適所であることを第一に考えた人材の活かし方を実際に見ることができた。裁判所から呼び出しを食らったり、週末ごとにキリシタンの教会に連れて行かれたりという珍しい経験もしたが、この大冒険が元剣術遣いの軍人・勝麟太郎を大政治家・勝海舟へと変貌させる第一歩となった。
それから、女性を船に乗せないという日本の習慣を知ったメリケンの淑女たちが男装して乗船してきたとき、木村さんは素知らぬふりをして土産にかんざしの入った包みを渡すという小粋なはからいをしてのけた。けちな幕府に代わって乗組員たちへの十分な手当を支払うため、また異国で日本人が困ることがないようドル札を用意するために殆ど全財産を使ってしまった木村さん。彼はこの航海が生まれたばかりの海軍の歴史にとってどんな意味を持つものなのかを理解していた。
 
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勝さんとメリケンとの縁は、その後もずっと続くことになる。1867年には15歳になった長男の小鹿(コロク)さんが米国アナポリスの海軍学校に留学した。25歳で帰朝した後は日本の海軍で活躍したが、残念ながら40歳で病没してしまう。この小鹿さんの知り合いで、1871年に来日して静岡学校で英語や科学を教えていたE.W.クラークという米国人教師も勝さんと親しくなった。彼は帰国後「勝安房---日本のビスマルク」という本を出版した。クラークさんはこの本の中で「世界を3周したが、彼以上にナザレ人イエスの人格を備えた人を私は知らない」と書いて異教国の奇傑を絶賛している。1875年に来日したホイットニー一家の娘・クララさんは、勝さんちの三女・逸子さんの親友になった。さらに1886年には頼りなくお調子者の不出来な三男坊・梅太郎さん(母の実家の梶姓を名乗る)と結婚し一男五女を授かった。1899年に勝さんが亡くなると、夫に生活力がまったくないことを実感したクララさんは子供たちを連れて帰国してしまうのだけど、彼女は自身の父親であるウィリアムさんの話も子供たちの父親である梅太郎さんの話もしない代わりに、勝さんとの美しい思い出をよく語っていたそうである。末娘のヒルダさんは日本のお祖父ちゃんをとても誇りに思っていたので、戦時中も「カジ」姓を名乗り通したという。
 
さて、あの航海から145年目の2005年秋。
米国バージニア州に暮らす大尉の孫ジョージ・ブルックさんの家に一枚の日本人の肖像画が保存されているのが「発見」された。A4版ほどのサイズのその絵、左手に脇差しを持ち、ぐっと正面を見据える総髪の侍が描かれている。モデルは勝麟太郎だ。肖像画の裏には「カーンより、ブルックへ」という文字が書かれているという。一緒に乗船していた絵師のカーン氏も大詩人ホイットマン同様、この日本人の風貌に創作意欲をかき立てられたのかも知れないね。
 
・・・ということで、安政7年1月13日(西暦1860年2月4日)は「咸臨丸品川出帆」の日でありました。
木村さんが私財を擲ってまでお金を用意した話、その覚悟と責任感において個人的に好きな話なんですが、これってよく考えてみると非常に「日本的」なんですよね・・・。明治時代に勝さんが「日本では外国とは違って、指揮官たる者普段から態度が立派で面倒見が良い人でなければ兵隊や水夫を手足のように動かすことはできない。上官となる者は兵卒の10倍頑張らなくてはいけない。」というような意味のことを書いてますが、わざわざこんなことを言わなくてはいけないということ自体、規則や指揮命令系統が厳正でないという状況の現れなんだろうな、という気がしてなりません^^; 
 
【追記】
実はこの「おはなし」、ここ2年ほど歴史本を読んでいるウチのオトンを読者に想定して書いたものであります。無茶苦茶読むのが遅い彼でも読めるよう一文一文を長くしないように、また「歴史ネタ」に疎くてもストーリーを掴めるように書いてみました。
2011年1月に後日談を加えたのち本当に父に読んでもらいましたが、ニヤニヤしながら読んでくれました。そして曰く「最近思うんだけど、勝麟太郎って面白いよな。」。
ええ、面白いですとも。昔から面白えさ。・・・でも、あんま人気ないんだよな(爆)

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2009年6月 3日 (水)

おい悪魔。

日本海軍の標語(士官心得?)に「オイアクマ」というのがあるらしい。

「オ」…怒るな
「イ」…威張るな
「ア」…焦るな
「ク」…腐るな
「マ」…負けるな

特に下のふたつ、「ク」と「マ」が秀逸だ。海軍の士官じゃなくっても、社会で生きてく上で大事なことだ。でも…これを実行するのって考えれば考えるほど難しいよなあ(;´∀`)

ちょっと反省。

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2009年4月29日 (水)

閣下と番兵。

「海軍ネタ」ついでに載せておこうっと。
大した話でもないんだが、昔どこやらで聞いた(読んだ)「海軍卿閣下と番兵」のやりとり。
若い番兵の元気の良さといい、50歳を超えた閣下の洒々とした言動といい、明治の日本海軍の明るい船出の雰囲気がチラッと伺えるようで個人的に好きな話です。

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明治六年、十一月。海軍卿閣下、門の傍(そば)までやつて来る。

番兵「おい、待てッ。待たぬかッ。」
閣下「(立ち止まりて)何でエ、おいらのことかい。」
番兵「然様。」
閣下「一体何だエ。」
番兵「貴様、送り券は持つて居るかッ。」
閣下「ほう、送り券かいな。」
番兵「門外に物品を持ち出す際は送り券が必要である。其の荷物は何であるかッ。」
閣下「あゝ、此(これ)か。此のことかい。」
番兵「許可なく寮内より物品を持ち出すことは罷り成らぬ。送り券なくば貴様、此処を通れぬものと心得よ!」
閣下「さうか、さうか。そンならチト待つてゐておくれな。」

閣下、玄関まで引き返す。

判任官「おや、閣下。如何なさいましたか?」
閣下「いやサそれがな、門前で番兵に呼び止められてよ。なんでも送り券がなけりや此処を通さぬとか言ふのさ。」
判任官「(驚きて)番兵奴(め)が斯様(かやう)な事を吐(ぬ)かしたわけでありますか。」
閣下「ハハハ、そりやあもう、てえへんな剣幕ヨ。そこでだ、お前さん、わりいが其の送り券とやらを書いちやあくれねえか。」
判任官「閣下、貴方が送り券なぞお持ちになる必要は御座居ませんよ。あの番兵奴、無礼千万である。捨て置けぬ。」
閣下「まァ、さう怒りなさんなテ。彼奴(きゃつ)はあゝして手前の務めを果たしてるまでのことなんさ。なかなかしおらしいぢやねえかい。おいらを咎めるも道理だ。兎に角送り券をおくれよ。」
判任官「然し、それでは閣下が・・・。」
閣下「おいおい、おいらのこたァいゝんだよ。つべこべ言はずに早えとこ書いておくれな。」
判任官「承知致しました。・・・どうぞ閣下、此方(こちら)をお持ち下さい。」
閣下「すまねえな。」
判任官「では、其処までお送り仕ります。」
閣下「うん。」

番兵、怪訝さうに二人を一瞥。

判任官「コラッ、海軍卿閣下のお通りであるッ。捧げーッ、銃(つつ)ッ!」
番兵、大慌てで捧げ銃*1の敬礼。
閣下「送り券、此処に置くからな。お前さんは、てえしたべらぼうだ。まァ、その調子でしつかりおやり。」

閣下、涼しい顔で歩み去る。判任官、敬礼。

*1捧げ銃: 軍隊の敬礼の一。銃を両手でからだの中央前に垂直にささげ持ち、相手の目に注目する。また、その号令。
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「明治6年、時の海軍卿閣下は、兵学寮を見回りに行った帰り、門のところで強い口調で呼び止められる。閣下を呼び止めた番兵は未だ閣下の顔を知らない。閣下はこざっぱりとした洋装だが軍服は着用していない。番兵は閣下に、送り券がなければ物品の持ち出しを許さぬと厳しく咎めたそうだ。すると閣下はただ「そうか」と言って玄関まで引き返し、判任官に送り券を書いてもらう。判任官は閣下と一緒に番兵の待つ門の傍まで来ると、大声で『海軍卿閣下のお通りだ』と告げる。番兵は驚き、慌てて捧げ銃の敬礼。閣下は送り券を差し出すと番兵の職務への忠実さを褒め、何事もなかったかのように去っていった」・・・という、ただそれだけの話。
台詞等詳細は私の勝手な想像。(笑)歴史的仮名遣いっぽくしてあるけど、明治っぽくしてみたかっただけ。(←阿呆だ。)
実際閣下と番兵、判任官との間にどんなやりとりがあったのか気になります。

あ、もうお判りかと存じますが、明治6年と云えば海軍卿は初代、勝安芳さんの頃です。
豪胆さといい、人を食った態度といい、いかにも勝先生だ・・・ということで、台詞回しを「それっぽく」しておいた。

この話、残念ながら元ネタが判らないんですよね。誰か御存知の方、教えてくれい。

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2009年4月26日 (日)

半藤一利「日本海軍の興亡(愛蔵版)」(PHP研究所)

創生期、黎明期から知りたい人に
これだけの内容で、しかも愛蔵版だけに見た目も美しくって、これで500円dollarとは本気でお買い得である。「お買い得」だなんて随分と下世話な言い方だけれども、文字通りお買い得なんだから仕方がない。「日本海軍の興亡」が知りたきゃ読め、と迷わずオススメしたい本である。この本、看板に偽りがない
ただし、マニア向きではないけどね。
私が本書を読もうと思ったのは半藤先生の本なら安心して読めるだろうということだが、気に入った最初の理由は、こんな記述があったからだ。ちょいと長いが引用する。
「海は瞬時も停滞することを許さない。自由で、しかもつねに変化に敏捷に反応しなければならない。日本が海洋民族たらんとしたとき、国民性そのものに実は根本的な変化が要求されたはずであった。それまでの陸地的な、大地的な意識からの脱却である。硬直した精神とは無縁になることである。海に向かってひらかれた眼とは、国際社会の変化の深さを読み取る眼でもある。国家にとらわれない国際社会という大きな観点からものを見ることのできる眼である。外にひらかれた眼は、ときには国家を超越する。しかし、歴史を予見する眼なのである。
確かに日本は海洋国家ではなく、未だに海浜国家なのかもしれない。最近では、北極圏の資源開発に日本の地の利(っていうか海に囲まれた海洋国家であり、航路を容易にひらくことができること)を生かそうという意見がある一方で、政府関係者は消極的かつ慎重な態度をとっているという話もあったっけ。島国日本は海によって守られてきた国であり、近海の恵みを存分に受けてきた国ではあるけれども、その近海が世界の7つの海と繋がっていて、その向こうには別の世界が広がっていることを意識した人がどれほどあったかね。大きな国際社会の中で、或いは世界の歴史の中で、自分たちがどの位置にいるのか正確に見ようとしたことがどれほどあっただろう。本書を読みはじめて、そんなことを考えてみたくもなったわけである。

たとえ立派な軍艦があっても
本書は人物ベースで話が進んでいく。ここが何よりのポイントであると私は思う。歴史は人間が作るものであるからだ。海軍の歴史であっても然りである。軍艦が好きとか、武器が好きとか、軍服が好きとか、そういうマニア的な人がいてもいいとは思うけど、軍艦のトン数で歴史は語れないし、国力は計れない。以前から「国防は軍人の専有物ではない」(加藤友三郎=大正期の海軍大臣)、「軍艦があっても動かす人がいなけりゃ玩具も同然」(勝安芳=初代海軍卿)、「金がなければ戦は出来ぬ」(右に紹介したご両人)という、国防の在り方や人材の重要性についての考え方が気に入っている当方としては、本書の「人物を通して日本海軍史をみる」というコンセプトが大変素晴らしいと思うのだ。
いくら立派な軍艦があっても、それを自在に動かすことのできる人間がいなければダメだ、いくら強い軍隊があったからといって、それを正しく動かすことのできる器の人間がいなくちゃダメだ。ハード面の充実だけを以て国防を語るべからず、ということも言えるわな。これはハード面の充実だけを以て近代化と称することに懐疑的批判的な目を向けることにも繋がる視点かもしれない。そんなことも考えさせられた。

圧倒的事実の力
半藤先生は端整な文体で日本海軍の興りから滅亡までを書き綴っていらっしゃる。先人たちを讃え、或いは厳しい批判の眼を向けつつも、過剰に情緒的になることも懐旧の思いに浸ったりすることもなく。
人間は怒りや悲しみをぶつけられたときではなく、事実の重みを示されたときのほうがずっしりと腹にこたえることが多いものだ。事実の力は圧倒的である。
その静かで乱れのない調子の文だからこそ、半藤先生の思いがビシビシと伝わってもくるのである。海軍の文化や精神への愛と敬意、その組織が次第に硬直化し官僚的なものへと変貌を遂げる一方で、その精神性が失われて野郎自大的な(半藤先生の言葉をお借りすれば英雄的自己肥大意識に凝り固まった)観念に飲み込まれていったことへの悲しみと嘆き。そして、それらが明治維新から一本の線で繋がっていることへの感慨。余裕で戦後生まれの自分にそういった思いを理解しろと言われても、まぁ無理な話なんだろうけど、この思いもまた「愛国心」というものなんだろうというのは私にも感じ取ることができた。そして「愛国心」というものを語る者は「ひらかれた眼」というものを決して忘れてはならないのだということも。

海軍伝習所と咸臨丸渡米の意義についての記述もある!
たった5頁弱だけど、本書にはちゃんと長崎海軍伝習所から始まる「創生期」についての記述がある。本書10頁、「勝海舟・木村芥舟」。雅号の読みが一緒なのが素敵なお二人だ。幕府海軍贔屓(でも全然詳しくない。笑)的にはご両名とも超有名人なのだが、一般的には「曲者(若しくは食わせ物)」と「誰?」という感じだろう。それが本書では「『海軍こそが日本を救う』という信念を持ち、幕府とか藩などといった意識を捨てて日本海軍への扉を開いた人たち」(要約)という至極「まっとうな」扱いを受けている。嬉しい限りである。

・・・そういや木村さんについては手元にあまりまとまってないメモがあるので、そのうち解読してupしておこう。(永井尚志さんの後任として伝習所の総監理になった木村さんが、伝習所舎監・教授方頭取の勝さんに酷い目に合わされたエピソードもついでに。)

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2009年3月21日 (土)

5分前・・・?!

5分前に行動することを心懸けるようになって、頗るイイカンジです。
しかし・・・ここで疑問がひとつ。

3月10日のエントリーで「昔の日本海軍には5分前主義ってのがあったらしい」という話をしたんだけど、この「主義」って言い回しが、妙に引っかかるんだ。

だって、主義ってねえsweat02

「主義者」なんて言葉があったように、主義って云うとイデオロギーだとか、方針だとか、そんなカチカチの印象の言葉のように思われるんだが、それって凡そ機敏で機転が利くことを歓迎した海軍っぽくないよなぁdashと思うんですわ。「心懸け」を表すのなら「主義」なんて言い方よりも、もっと気の利いた言い方があって然るべきではないかと。
「5分前主義」なんて言い方、まるでどっかの社訓みたいじゃないか。

というわけで、暫く日本海軍の「5分前○○」について調べようと思います。
何か分かったら、また書こう。
勿論、これからも「5分前」を心懸けていくつもりではあるけれども。

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2009年3月10日 (火)

5分前主義。

「5分前主義」というのがあるんですと。
旧日本海軍の「船乗りの心得wave」みたいなもののひとつなんだそうですが、最近、これを密かに自分の目標にしてみることにしました。

つーか、本当に素晴らしいですよ「5分前主義」。
やっぱり思いついたことは、やってみるもんだ。

私は元来ケチな人間で、こんなヤツ(組織)のために自分の時間を削れるか!と思うと時間を出し惜しんだりします。まぁ、それじゃあ駄目だってことは重々承知しているんですが^^;
そういう人間なんで、これから出掛けていくというときにギリギリの時間帯に家を出たりするわけです。イヤな所に行く場合なんかは、ケチの上にグズが重なってますます行動が遅くなり、本当に遅刻寸前で焦る、なんてこともある。
そんな人間が「5分前」を目標に掲げるというのは実に勇気の要ることだったんですが、起床を5分早め、家を出る時間も今までより5分早くしてみたらね・・・

まず、忘れ物をしても戻る余裕が出てきます。
年齢ヒトケタの子供の頃から忘れ物の多さには定評があったんですが、忘れても取ってこられる、と思うせいか、持ち物のチェックがキモチ念入りになりました。
目的地に到着してからも時間的に余裕があるので心にも余裕ができます。
すると、焦りやイライラが減り、ミスが減る。
ミスが減れば、凹んだり落ち込んだりする回数も減る。
気持ちをより明るく保てるようになると、仕事が正確になるし効率も上がる。
そればかりか人当たりも良くなる。
一緒にいる人が気分よく過ごせれば、自分も気分がいい。

時間の余裕が、心の余裕。
頭ではわかってるけど、実感するのは難しい。
この「心の余裕」、ちょっとの焦りや判断のミスが自分や仲間の命を危険に晒してしまう軍人さん、特に多くの仲間と一緒に船に乗っていて逃げ場のない海軍の軍人さんにとっては大事なことだったんだろうよ。
(そういや海軍に伝わる「心得」って、素敵なのが多かったような。思い出したら、またここに書こうっと。)

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