カテゴリー「格言とか。」の10件の投稿

2010年9月25日 (土)

ニュース見てて思い出した。

こんな言葉があった。
 
正道を踏み国を以てたおるるの精神無くば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん」 (西郷南洲)
 
100年以上も昔の言葉が鮮度を失わないのは如何なる理由に拠るのかね。「外国交際」の相手は中国でも米国でもカンボジアでもコートジボワールでもいいんだけどさ。
 
外交外交って特別なことのように云うけれど、人間が他人とお付き合いするのに、相手の腕力や経済力や権力を恐れて顔色を伺ってばかりいたらフツーにナメられるし、テメエの頭で考えキチンと意見することのできない人間は結局は信頼されない。(煽てられ利用されることはあっても。)
別に敏腕外交家でも何でもない西郷どんだが、そんな彼のセリフを綺麗事と片付ける外交官がいたら、そいつは定年退職したら年賀状が一枚も来なくなる交際下手かもしれないよ。
 
 
…そういや「西郷隆盛」って、西郷どんの本名じゃなかったよなあ。なんてことを考えてたら、ゆうべ観た番組(「最近の子供の馬鹿ネームってどうよ?」みたいな話してた。たぶんNHK)のことを思い出した。いろいろ思うことはあるんだが、その話は、また次回。

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2010年3月12日 (金)

勝海舟、187年目の「格言」。(と作者の雑感)

1823年3月12日、文政六年正月晦日から恰度187年。
勝先生のために蝋燭187本とそれが全部載りそうなケーキを用意するほどの経済力は自分にはない(爆) 
 
思いつきで「自称・勝先生の弟子」になってから今日で丸1年が経過したわけですが、最初は「誰か面白い人物を軸に日本史の知識を増やしてやろう」程度の気持ちしかなかった。でも、直ぐに「せっかく弟子入りしたんだからこの先生から学べそうなことは学んでやるぞ」と思い直しました。(自分、案外真面目なところもある^^;)

そんで最初の自由研究の材料に選んだのが、勝先生の言葉と伝えられる、こんな台詞。  

 
自分の価値は自分で決めることさ。
辛くて貧乏でも
自分で自分を殺すことだけは
しちゃいけねぇよ。

 
 
しちゃいけねぇよ、って・・・如何にも江戸弁っぽいですわな。(萌)
 
先ず「辛くて貧乏でも」って表現がいい。
この先生は「辛い」のと「貧乏」なのとは別のことだと考えてるんだろな。幕臣最下層の出身で天井板まで炊いちゃうような生活の中で現代人にはちょっと想像できないような苦労もしてるだろうに、日々の暮らしに不足があろうと身分が低かろうと胸を張って生きていく気概のようなものを感じます。
 
で、1年かけて大真面目shineに取り組んだのは、この台詞の出典がどうの、と云った歴史家がやりそうな七面倒くさい調べ物じゃなくって、次のようなことだ。
 

 
人間の「価値」とは何で決まるのだろう。
「価値」を「自分で決める」とはどういうことだろう。
「自分で自分を殺す」とはどういうことか。
(まさか本当に自殺するって意味じゃねえだろうし。)
 
以下、これまで考えてきたことを思いつくままに書き連ねます。

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人の価値を決めるのは、勿論貴賤や貧富なんかじゃないけど、「~すべきだ」という規範なんかでもない。
「どうするか」にある。
で、どうするか(行動)を決めるのは、どうしたいか(意思)だってこと。
これは去年の秋にも書いた。
 
「~すべき」だからって行動するのは自分の意思じゃない。自分の意思で行動するのでなければ、その行動に本当の価値があるとは言えない。
「嫌われたくない」「いい人だと思われたい」っていう一種のスケベ心から先回りして行動するのも、やっぱり自分の意思じゃない。
心から正しいと思って行動する。
心から誰かを思って行動する。
そうじゃなかったら、それは単なる「偽善」だ。「媚」だ。
 
偽善者は直ぐに人を恨む。
偽善者は直ぐにいじける。
「よかれ」と思ってやった結果が裏目に出たり相手が無反応だったりすると
直ぐに誰かのせいにする。
 
でも自分の意思で行動した人は、その結果「偽善者」と罵られようが、それを理解しない人がいようが、人が知らなかろうが、最後は納得して前に進む。
一時は恥ずかしい思いをしたり辛くなったりするかもしれないけれど、自分の意思で行動したことが自分の力になる。「後悔していない」「これでいい」と思うことができれば、成功しようがしなかろうが、他人の評価が高かろうが低かろうが、行動への肯定が自己の意思への肯定感に繋がり、自己そのものへの強い信頼に繋がるに違いない。
 
この過程を「自信を得ること」と言っても良いし、他人の評価に簡単に左右されずに「自分の価値を自分で決めること」と言っても差し支えないんじゃないか。
 
失敗が辛いから、他人の評価が恐いからって、確実なチャンスを待ったり、他人の顔色ばかり窺ったりしてたら、ひとりでは何もできない自分のままで終わってしまう。
いつまでたっても人を恨んだり妬んだり勝手にいじけたりしながら、居たくもない場所にずっと居続けることになる。
 
そんなのは臆病者の人生だ。
沢山のチャンスを棒に振り、沢山の出会いを逃し、得られるはずのものも得られずに、卑屈な爺さん婆さんになって、鬱々とした顔のまま墓に入ることになる。
 
そりゃね、失敗なんかしない方が楽だし、人の顔色を窺って都合良く立ち回ってる方が楽だろう。「失敗するために挑戦するなんて馬鹿のすることだ」とか「あいつのためを思ってやったのに、それが解らないなんて人情の解らんヤツだ」とか、嫌われ者の老人のようなことを言ってるほうが楽に決まってる。
 
でも、そんなんじゃ一生自分の力を発揮しないまま終わっちまうわな。 
自分を安全な殻に閉じこめて。
そのうち今度は惨めさから自分を守ることに必死にならざるを得なくなってさ。
 
これって「自分で自分を殺す」ってことだよね。
 
 
 
勝海舟って御仁は、たとえ理解されなくても人が知らなくても罵られても命まで狙われても、自分が正しいと信じることを、自分が今できる精一杯のことを、ひたすらやり続けた。
媚びず、怖れず、開き直らず、言い訳さえせずに、どんな大波が来てもただ飄々と乗り越えていった。自分の志と義の示す方向へ「まっつぐ」に進路を取って。
残念ながら自分は勝先生のような確かな歴史眼・人間観察眼は勿論、高速回転の軟らか脳味噌も達者な口もクソ度胸も持ち合わせていないわけだが、こんな人間でも「自分で自分を殺すこと」くらいは何とか阻止しなくちゃならないんだろうなあ・・・。
 
 
 
自分、ちょっとは勝先生の弟子らしくなったんだろうか(笑)
やっぱり「テメエのようなグズは破門だぜ」って言われちゃうかねえ。

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2009年11月23日 (月)

雑感 : 龍の字ッ!! (JIN第七話)

キッ○ー○ンよりヤ○サの醤油のほうが美味いと思っていたことを、大声で白状したくなるような回だった。
ドラマの中の話だって解ってるんだけどさ・・・しかし、何だこのリアリティは。

■さよなら、洪庵先生。
種痘を広めるのに血の滲むような努力を重ね、理解してもらえなくって辛い思いもし、故郷から離れて故郷を思いながら、医術の発展の為に尽くした緒方洪庵先生。この人を仁先生の理解者とし支持者としたところに作者(原作者か?)の教養の深さを感じたのは、自分だけ?
おそらく、洪庵先生は貴賤貧富の差で医療が受けられる人とそうでない人がいることを悲しみ「平らな世」のために・・・という話をしたんだろう。今の世の中だって、科学の進歩とやらの恩恵を受けられない人なら沢山いるよ、洪庵先生。

■未来さんの位置付け。
勿論「未来(みらい)」の象徴なんだろうけどさ。ストーリーそのものに必ずしも関わらなくてもよい存在なのかもしれないとは思うんだが、でもほら、毎回仁先生が写真に向かって話しかけるだろ、あれって一種の「総括」だと思うのね。そういう意味ではストーリー自体より、ドラマの進行に必要な人物なのかもしれぬ、と思った次第。

■勝先生の位置付け。
要は「冷めた覚醒者」か。この人はいつもニヤニヤしているか白っとぼけているか、どちらかだが、この人だけは「道に迷わない」キャラクターとして描かれていると見た。まあ、リアル勝先生も、誰よりも時代が見えていたにも関わらず最後まで迷わず幕臣であることを通した御仁だったからねえ・・・。

■労咳の薬って、何とかマイシンだよな・・・くそっ、名前が出てこねえ。流石の仁先生もそれは作れないか。

■自分だからこそ出来ることは何か?
これが今回のテーマかな。
海岸で語り合う師弟コンビ。外国の軍艦を幕府が修理し、その修理してもらった軍艦が同じ日本の長州を叩いている現実に納得できない龍の字。「センーセィはそれでええがかっ!?」と師匠に詰め寄るが、詰め寄られた麟さんは白ッとぼけた表情のまま言い放つ。「おいらァ幕臣だよ。」幕臣だから何でもやれる。幕臣だから呑まなきゃなんねえこともある。そこでリョウマは気付く。自分は何にもない。しがらみもない。そんな一介の浪人者だからこそ、できることがあるのではないか・・・と。
仁先生も出来ることを精一杯やろう。一生懸命やった先にある未来が悪いはずはない、と心に決める。
洪庵先生も、仁先生の医術とより良い未来のために出来ることをした。山田先生も命がけでペニシリンを守った。(山田先生が出てくると和むわ。笑) あとは・・・恭太郎さんだけかね。
「今自分に出来ることを精一杯やる。それが現在、そして未来に対する責任だ。」そんなカンジかねえ。

そんなアナタ(って誰だよ)に、一言。

「人は皆さまざまにその長ずるところ信ずるところを行へばよいのサ。
社会は大きいから、あらゆるものを包容して毫も不都合はない。」


出典は勿論「氷川清話」。(爆)

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メモ:濱口梧陵 (1820 - 1885)
7代目・濱口儀兵衛。実業家、社会事業家、政治家の顔を持つ実力者。幕末期に医学の発展に大きく貢献する活躍をしたのは史実。
彼の友人に渋田利右衛門さんって豪商がいる。彼は自分が援助していた貧乏な若者に「私が死んだら困ることもあろうから」と濱口さんを紹介したことがある。その話と「JIN」第七話はまったく無関係なのかなあ。・・・その若者こそが「軍艦奉行並」なんだが(笑)

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2009年7月10日 (金)

嘆イテモ、ハジマラナイ。

「もっといい時代があるかも知れないが、
これはわれわれの時代なのだ」 
(サルトル)

…明日も頑張ろっと。

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2009年6月 3日 (水)

おい悪魔。

日本海軍の標語(士官心得?)に「オイアクマ」というのがあるらしい。

「オ」…怒るな
「イ」…威張るな
「ア」…焦るな
「ク」…腐るな
「マ」…負けるな

特に下のふたつ、「ク」と「マ」が秀逸だ。海軍の士官じゃなくっても、社会で生きてく上で大事なことだ。でも…これを実行するのって考えれば考えるほど難しいよなあ(;´∀`)

ちょっと反省。

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2009年5月 9日 (土)

馬鹿と礼讃。

「愚か者の周りには必ず、 さらに愚かな賛美者がいる。」

「馬鹿からの賛同は批判よりも迷惑である。」

上はボワロー(確か評論家で詩人でフランス人だったような・・・)、下はフロリアン(喜劇作家じゃなかったか・・・で、やっぱりフランス人。)の言葉。

今日は、馬鹿みたいに天気がよかったなあ。

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2009年4月 8日 (水)

焦るな、負けるな。

「それ自体不可能なことはあまりない。
ただ我々には、是非とも成し遂げようという熱意が
そのための手段以上に欠けているのである」

「もし成功しなければ、成功するまで働き続けて、
決して間断があつてはいけない。
世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、
はや根気が尽きて疲れてしまふから、
大事が出来ないのだ。」

…事が成就しないのは、敗北だ。
三日坊主も同様に敗北だ。
たとえ敗北でなかったとしても、敗北感を味わわずに済むとも思えぬ。

だから、何かを始めるのが怖いんだな。その先に待ってるかもしれない「敗北」を恐れるが故に。

でも、目的を見失わず、それに向けて試行錯誤し続けることができたら、その間は敗北することはない。---そう言われれば、それも真実なんだろうと思えてくる。

まぁ、ちょいと考えてみれば、何かをやろうと云う決意にはたいてい合理的な理由があるもんだし、その決意が間違ってるってことなんて無きに等しいんだよな。

やると決めたら最後、焦らず、腐らず、自我に囚われず、ただ無心にやり抜け。初心を忘れるな、そして負けるな…とまあ、そんな感じか。

二十四節気では、今頃は「清明」に当たる。清浄明潔、天地が明るく清々しい空気が満ちる時季。何かを決心するのに、これほど似つかわしい季節もなかろうよ。

因みに、最初に挙げた台詞はラ・ロシュフコー、二つ目の旧仮名遣いのヤツは勝先生ね(笑)。

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2009年4月 2日 (木)

成り行き任せ≠まったり

「成り行きに任せる人間は、みんな塞ぎ込んでいるものだ。」 (by.アラン)

なるほどー。確かにそうだ。妙に納得だ。
意志無き処に自由はない。意味もなくぶらぶらしている時間が自由なもんか。其処にあるのは薄ら笑いの憂鬱と被害妄想的な抑圧だけだ。

なんてね。
…ま、仕事でも勉強でも遊びでも何でも、やらされるな、使われてると思うな、自分の意志で行動してる実感こそが幸せってことかねえ。あんまり偉そうなことを言うと、自分じゃないみたいだからこれくらいにしておく。(笑)

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2009年3月27日 (金)

他人がやってくれる。

「どうして自分を責めるんだ。
他人がちゃんと責めてくれるんだから、いいじゃないか。」

アインシュタイン博士の御言葉。
何となく心が軽くなる格言だ。反省することと、自分を責めることは、確かに違うもんな。

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2009年3月14日 (土)

グズはイヤだ。

慶應4年3月13日(勿論旧暦)は「江戸開城交渉1日目」って話題でも良かったんだけど、弟子入りしたばかりの人間が、師匠の人生の山場…というか華について語るのはどうかと思うから、やめとく。(ホントは前日と話題が被るのがイヤなだけ。)

んでもって、今日もケータイからの更新です。

"You will never find time for anything.
If you want time you must make it."

(意訳:何をするにしたって時間なんざ見つかりっこねえのさ。時間が欲しけりゃな、てめえで作るこった。)

イギリスのチャールズ・バクストンって人の言葉らしい。訳が江戸弁っぽいのは、なんか景気が良さそうだから。

自分を変えることができるのは、究極的には自分だけだろう。
だから逃避できないくらいに、しっかり自覚すべきなのだ。

嗚呼、グズを直してえ…。切実だ。

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